Archive for 7月, 2010

客人、ロスより来る

土曜日は浅草に出向いた。あまりの暑さに死にそうだった。

アメリカで取材した日系三世が、親戚に不幸があったからと、日本にやってきたのだ。おじさまとお別れした後、残されたおばさまのケアで残っているのだという。とはいえ、時には一人になりたいだろうと、従妹が浅草のホテルをとってくれた。小倉に向かう前に、私に会うとすれば、この日しかなかった。

次回作にまつわる話はもちろん、大切な取材なのだが、それ以外にも、現在ロサンゼルスで起きていることが色々と面白いのだ。聞けば聞くほど、ロスは日本の未来図で、日本人、どうなってしまうのだろうと心配になる。これについては、後で詳しく書きたいと思う。

それにしても、ロスで生まれた彼女にとって、日本の湿気がどれほどシンドイか。若いころの一度の経験から、夏に日本を訪れまいと決意したのに、ご不幸があったのでは時期を選べない。しかも、数年ぶりの猛暑である。あの、ロスのさわやかさが恋しくてたまらないらしい。

それでも、アメリカには売っていない和物がいっぱい。特に浅草は種類が豊富な上にリーズナブルだから、彼女はショッピングに余念がない。両替では1ドル81円だったらしいから、以前に比べれば決して嬉しくはないのだろうが、お土産を買わないわけにはいかないのだ。

浅草だから、ウナギと天丼を提案したところ、ウナギは嫌いだという。そこで、大黒屋の天丼を食したのだが、朝から突然ひどくなった額関節症のせいで、食べるのに一苦労。おまけに、べったら漬を注文したので、これまた大変。でも、私が痛がれば、思い切り心配するタイプだから、あまりかまずに飲み込んだ。これが太る原因なのだが。

これまでは右の付け根が問題だった。2-3日前からは左。香港の整体師が言ったとおり。どうせ暑いのだから、香港に行こうかな。病院に通ったところで治るものでもない。こればかりは整体のほうが効果があがるのである。

気のせいで、涼しくなる

関西に取材に出向き、間に京都に寄って祇園祭を垣間見た。最終便で戻ったところだ。

宵山の室町を歩き、麻暖簾を買い、早朝は山鉾を組み立てる様子をカメラに収めた。

京都に比べれば、なんと東京の涼しいこと。より暑い経験をすれば、自分の置かれた環境が悪くない気がしてくるから不思議だ。

北京40度、モスクワ35度。そう聞けば、ほら、東京が涼しく思えてくるではないか。

追伸:上の情報は友人からのメールだが、その後のニュースによれば、ロシアではウォッカを飲んで暑さから水浴びをし、亡くなった人たちもいるらしい。ギリシャでは暑さのあまり山火事。経済危機で大変なのに、泣きっ面に蜂とはこのことか。

盆の入り

 東京では盆の入りは7月13日。読経はその後にお願いするものだが、両親の霊がいる間は平日という理由なのだろう、弟のアレンジでそれ以前の10日にお寺に行くことになった。同じような趣旨で、その日は何組も寺を訪れていた。

 盆の入りはといえば、霊園で迎え火と送り火を焚いてくれることがわかり、最近はそれに申し込むことにしている。とはいえ、灯篭だけ立派なのもバランスが悪い。供花と掃除はその前に終えなければ、と13日の昼ごろ、墓石を磨いていると、大粒の雨が降り出した。

 これまで、迎え火を自分のところでやってみたいと、マンションのベランダや入り口近くの歩道の端っこに小さな鍋を置き、その中で燃やしてみたりしたことがある。最近の東京は何時になっても明るく、一体いつが迎え火を焚くべき時刻か悩んだりもした。だが、そういうことに詳しい友人に言わせれば、私の家で迎え火を焚けば、両親の霊が仏壇のある弟の家に行けなくなるので、余計なことをしてはいけないのだという。

 お供え物の数々は今朝そろえてみた。果物はお供えパックのほうが、はるかに無駄が無い。手作りの蓮の落雁、それに白おこわやオハギは日々、西麻布の「青柳」で買うことにしている。老夫婦が営むこの店で、母が他界したときから、お盆の慣わしを色々教えていただいている。お二人とも髪が真っ白になったのを見ると、13年の歳月を感じずにいられない。

 とりたてて仏教徒というわけではないが、日本にいるときは、こういう慣わしに身をゆだねることにしている。これも、日本的なるものを探り当てる私なりの試みなのである。

 

  

 

日本エッセイスト・クラブ賞授賞式

 昨日の七夕は、第58回日本エッセイスト・クラブ賞の授賞式が日本記者クラブで行われた。前回のアジア太平洋賞のときは、大賞が一人、特別賞が三人だったので、ほかの人が話している間などに準備が整ったのだが、単独授賞というのは実に忙しい。スピーチの後は、すぐに列が出来て、ずっとサインをしていた。毛筆で、などとこだわったので、書くのも乾かすのも時間がかかった。