Archive for 9月, 2011

『ワシントンハイツ』帯付、残りわずか

紀伊国屋新宿本店の文庫売り場を覗いたところ、『ワシントンハイツ』がまだ平積みで一瞬喜んだものの、あのペリドット色の帯がなくなっているのに気がついた。下のほうに2冊くらい埋もれている。その上に、追加された分が載せられたのだろう。最初に出庫された分が売れたと考えれば嬉しいのだが、帯がないと寂しくもある。複雑だ。

で、冷静に考えれば、世の中に帯付『ワシントンハイツ』がなくなるわけで、著者としても慌ててしまった。家に何冊残っていたか。保存版にせねばならない。

編集者に問合せたところ、帯付はもう、新潮社にも存在しないらしい。となれば、帯付の残っている書店の店頭で手に入れるしかない。

いつか買おうと思っていらした方、もしも帯に興味あれば、お急ぎください。

温水ゆかりさんの書評がウェブで読めます

先日ご紹介した温水ゆかりさんによる週刊朝日の書評がウェブ上で読めることがわかりました。ぜひご高覧ください(下をクリック)。いつものことながら、温水さんのコラムは温かくて面白い。ありがとうございます。http://book.asahi.com/reviews/column/2011091200001.html

日本が原発大国になったわけ

いまこのブログに立ち寄られた方、ぜひNHKEテレで放送されている「原発事故への道程」後編「そして安全神話は生まれた」をご高覧ください。先週、前編を途中から見たのですが、ある研究会のテープによる証言などを通して、なぜ日本が原発大国になったかを綴っています。今日はその後編。

私自身、『ワシントンハイツ』文庫版あとがきで、短いスペースながら、駆け足で同じテーマを扱っています。それを裏付ける意味でも、膨らませる意味でも、この番組の映像やテープ証言に耳を傾けることに意味があります。

篭城できる備えを

どうやら道路は乾いているようだ。さっきまで雨が降っていたのに、乾きも早い。18時ころには、街路樹が大揺れで、折れたらどうしようと心配していたのに、いまは微動だにしない。この分だと、駅で足止めを食っていた東京の帰宅困難者たちも、電車が動いて帰れるかもしれない。ここまで書いたら、JR山手線が運転を再開したとニュースが告げている。

都会で暮らす人々はできるだけ動かず、コンクリートの建物の中に篭城するのが良い。たとえ潅水しても、いつか水は引く。だから、職場にも家庭にも、食べ物と水を備蓄しておくのが賢明だ。

私の場合、日持ちするものを買い占めて、断捨離の真逆を行っている。水害だけならいいのだが、停電にも備えているわけだから、その量たるや、凄まじい。

くわえて、数日前、写真を小分けしてジップロックに入れた。本当はスキャナーを買ってカードに収めればいいのだが、その暇がない。タッパーウェアの収納箱も大いに役立つに違いない。そう思って、着物用の長いのを買ったのだが、やはり桐たんすほどの威力は発揮しないとわかり、洋服を入れることにした。

濡れて困るものは、ジップロックに入れてスーツケースに収めれば、水害は免れると勝手に思い込んでいるのだが、地球の怒りには勝てないかもしれない。

とにかく人間である私たちが謙虚になり、命あることに感謝しよう。思いつくかぎりの備えをして被害が小さくなることをイメージする以外、なす術はないように思える。今宵は、福島などの被災地に激しい雨が降らないことを祈るばかりだ。

皇居前にGHQ本部ができた日

厚木に降り立ってからしばらく横浜に滞在していたマッカーサーは、9月8日に東京入城を果たし、再び横浜に戻ります。そして66年前の今日、9月17日に皇居前の第一生命ビルに引越しをして、そこをGHQ本部としたのでした。

百夜句会十周年

青山で開かれた百夜句会に出席。十周年63夜、十六夜という特別な夜。私は2003年から加えていただいたので、それでも、すでに8年になる。それぞれに歳も重ね進化しつつも、同じ仲間と、これまでつながってきた縁に感謝。

棚に入った『ワシントンハイツ』のみつけ方

残念ながら、書店では9月の新刊が並ぶことになり、8月刊の『ワシントンハイツ』は棚に入ってしまいました。一部大手書店では、平積みのところもありますが。

書店では撮影ができないので新潮社の本棚を写しました。目印はペリドット(黄緑)色の帯。秋尾は「あ」行の一番最後にあります。つまりは「い」の隣。石川達三さんの左にあります。ぜひみつけてくださいね。

米軍の東京入城

宝島社のマッカーサーの広告が話題になっている。使われた写真は66年前8月30日、彼が厚木に降り立ったときのものだ。だが、すぐには東京には入らず、マッカーサーはしばらく横浜で過ごしている。

正式に東京入城を果たすのは昭和20年9月8日。日本軍に接収されていたアメリカ大使館を取り戻し、星条旗掲揚のセレモニーを行う。そして帝国ホテルで昼食をとった後、東京には留まらず、マッカーサーは再び横浜に戻っていく。第一生命ビルにGHQ本部を置くのは、もう少し先のことになる。

しかし、部下たちは日本軍の施設を中心に、着々と東京の接収作業にとりかかっていった。明治神宮の隣の代々木練兵場も、この日にGHQの手中に落ちる。やがて、そこは日本人の衣食住をアメリカ化するための発信基地ワシントンハイツと生まれ変わるのであった。

温水ゆかりさんの書評@週刊朝日

週刊朝日に書評が載りました。いつも拝読している温水ゆかりさんのコラムです。とっても嬉しい。ありがとうございます。

団塊の世代のご友人の話から始めるところ、さすがです。そしてワシントンハイツがアメリカの残像づくりの拠点であったという序章に記したポイントを使い、問題作と締めてくださっています。

許可を得ないとブログに写真をアップできないので、ぜひ、どこかで読んでくださいね。コンビニ、書店、図書館、銀行、いづこでも。

なぜか体重が減った

この写真は新潮社のロビーの棚に収まっている『ワシントンハイツ』。でも、よく見ると、撮影している私の服が写りこんでいる。驚くほどウェストが細い。いや、昔はこれより細かったのだが、ここ数年は、太るばかりで、あきらめていた服である。

奇跡やマグレではなく、ここへきて体重が減った。その数字が定着しているのだから、痩せたと言っていいだろう。この5年ほど太る一方で、落ちたとしても、ある数字をどうしてもきることができなかった。

それが、そこをクリアしたと思ったら、さらに1キロ、またまた0・5キロ、減ったのである。。博多のお土産にもらったとんこつラーメンを作って食べても、その数字がキープできているのだから、びっくりだ。

特に運動をしたわけではない。だが、つらつら理由を考えてみれば、この夏は以降、蒸留水をたくさん飲んでいる。暑いから喉が渇く。だが、極力、水を中心に氷を浮かべて飲んでいたのだ。1日に2リットル。仕事柄、コーヒーを欲するときは、インスタントを水に溶かしていた。

もうひとつ思いつくのは、ブルーベリー黒酢を飲んでいたことだろう。暑くて喉がかわく。そんなときに、酢が喉でぴりっと響くのがいい感じなのだ。去年まではヘルシアを飲んでいたが、食事を伴わねば、黒酢のほうが暑さに利く。

もっとも、家か図書館にひきこもって原稿書きの日々。外食をしないしお酒も寝る前のナイトキャップ程度だから、「酒抜き」効果があったのかもしれない。あれほど好きだったビールも、飲んで寝ると熱中症になるとテレビで見て、極力控えていた。ビールは少なからず太る理由のひとつだろうから。

食欲の秋になっても誘惑にめげず、この体重をキープできたら、また報告したい。

『ワシントンハイツ』@朝日新聞書評欄

今日の朝日新聞13面に、『ワシントンハイツ@GHQが東京に刻んだ戦後』が取り上げられています。

ありがとうございます。感謝。

目に留まった方々が若者にも拡散してくださって、原宿表参道を通して日本の戦後を知ってもらえると嬉しいです。

「どじょう汚染内閣」って呼んじゃいますよ

今日放送されたテレビ朝日「サンデーフロントライン」。放送後に内内で反応があった秋尾コメントを紹介します。ニュースのランクは、選定委員の総合評価です。

2位 土壌汚染”チェルノブイリ基準超え”について・・・

さんざん汚染が広がってからの「いまごろの発表」では、国民を見殺しにする気かと疑いたくもなる。野田総理、すぐに日本列島の除染にとりかからないと、「どじょう汚染内閣」って呼んじゃいますよ。

7位 カダフィ大佐 不明でも”徹底抗戦”主張 について・・・

40年続いた独裁政権の負の遺産がのしかかる中、リビア市民にどれほど多くの試練が待っているかを思うと胸が痛い。

こうしたコメントは金曜日に提出。全体の集計をした上で、スタッフがピックアップしています。 

韓国の追い上げ

円高ウォン安で、日本企業が苦戦している。韓国は国策で、ウォンを大量に刷っているのだから、日本企業は不利だ。ドルもユーロも同じである。日銀も日本円を刷ればいいだけのこと。でも、やらない。なぜだろう。

国策ということでは、韓国政府は徹している。政府を挙げて映画産業に投資し、俳優を育て、韓流ドラマというソフトパワーで、東南アジアにあった嫌韓感情を打ち消した。日本だけではない。

90年代、東南アジア各国で、韓国企業の評判はすこぶる悪かった。ベトナムなどは後進国と見下し、現地従業員を酷使していた。結果、暴力を振るったからと、強制送還された女性支店長もいたくらいだ。だが、21世紀になって、韓国は大きく変わった。

先日のシンポジウムでも、韓国企業の取り組みが話題になった。ベトナムに進出する場合、社員に徹底的にベトナム語を学ばせるのだという。ベトナム語は広東語と同じくい難しいのに、である。未来を見据えた戦略だ。他方、経済力をバックに恵まれた条件で東南アジア諸国に進出した日本企業はこの韓国の努力に、どう立ち向かうのだろう。

韓国政府を挙げての戦略と企業努力。5年後、10年後には、日韓逆転しているかもしれない。注視すべきは、中国の台頭だけではない。

防災の日

朝9時、東京都の訓練の様子が中継されていたが、手ぬるい。こんなにモタモタしていて、大丈夫なのだろうか。 

それよりも、地下鉄が心配だ。線路の上で自動停止すれば、真っ暗で閉じ込められる。津波の可能性を考えれば、一刻も早く地上に出て、ビルの上に逃げ込みたいのに、駅員はどうやって動員するのだろう。このシミュレーションだけは徹底してほしい。

 311の後、私は防災グッズを持ち歩いていた。外で被災して、そのまま避難所へ送られるパタンを想定してのことだ。家では、大きなスーツケースに避難所で必要とされそうな物を詰めて、瓦礫の中からも取り出せるようにしていた。ところが、危ないと言われた6月が無難に過ぎたので、持ち歩くのもLEDライトと眼鏡と気が緩んでいた。

 再び9月危機説が囁かれる中、改めて気を引き締めねばならない。港区では津波の水が川を伝って上がってこないとも限らない。豪雨で灌水する可能性もある。よって、1週間篭城できる水と食料、カセットガスコンロが必要だ。今日はその点検に徹した。

 津波の場合は、建物の上に逃げればいい。だが、火事に備えてどうしたらいいか。もう少し研究してみる必要がある。