Archive for 5月, 2014

5月末では、さすがに絽は早すぎる?

5月31日の今日、ある女性とお食事する機会を得て、ぜひとも和服を着たかった私。34℃という予報に、断念したのでした。どう考えても、単衣では汗だくになります。さりとて、5月に絽の着物というのは、京都では顰蹙を買いそう。6月なら許されそう。あと1日のことなのに・・・。

旧島津の FORTUNE GARDEN。ランチは美味でした。働いている男子も美形でびっくり。披露宴の後、お茶していた男子も皆、美形。日本男子の顔が変わってきたということでしょうか。

ご婚約、おめでとうございます

午前中に速報が飛び込んできて、驚きました。日本史にどんなインパクトを与えるのか、興味深い。15時から記者会見が開かれるようです。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140527/imp14052711410002-n1.htm

会見を見て・・・

遷宮が重なるとは、こういうことだったのですね。7年前に知り合ったそうですが、お待たせをした、プロポーズの言葉はなかった、という典子さまの発言から察するに、遷宮の翌年に周囲がセッティングしたということでしょうか。

御法川靖子さん三回忌

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薬膳の会、「感じて漢字の世界」、トミー・バハマ・・・

薬膳の会201405今朝、一番驚いたニュースは、タイの戒厳令。時代錯誤とさえ思えてくるこの事態。いまさら軍のクーデータなのか。この国の歴史は、こればっかり。治安維持のためなら、いいけれど。

ニューオータニにて「薬膳の会」に出席。写真を撮り忘れ、思いだしたのが最後のお粥だけ。菊の花入り、超美味。

その後、TFMにて、アドバイザーを務める「感じて漢字の世界」の収録に立ち会う。

夜は銀座でワインを飲みながら打ち合わせ。その後、銀座のバーに連れて行かれたが、女性の私には面白くない。若いころはね、お姉さんに教わることもあって、面白かったけど。若い子ばっかりで、なんだかなあ。

途中、旧松坂屋の裏にトミー・バハマ東京店を発見。やっぱり日本では割高。でも、雰囲気はホノルルに近いものがある。バーもいい感じ。暑くなったら、また来よーっと。

 

平田暁夫さんを笑顔で送り出す会

葵祭と呼ばれる理由

葵きもの勅使あおいIMG_0889葵 袖のみ葵 DSCN0778 御簾あおい葵祭のために昨年、誂えた葵文紗袷の着物に、今年は葵文の帯を締めました。あいにくの雨で和コートを纏い、ビニールのポンチョを被ったので、本殿祭のときくらいしか見せられなかったのが残念。そこで、翌日に上賀茂神社を訪れ、記録しました。雨天順延にしてくれたら、こんなにお天気だったのに。

 

人もみな かつらかざしてちはやぶる

神のみあれにあふひなりけり      ――紀貫之

本来は「賀茂祭」。「葵祭」と呼ばれる理由は、祭儀に関わる人々、社殿の御簾・牛車が二葉葵を挿し、飾るからなのです。昨年、御所の観覧席に集った人々はみな、葵文の和服姿でした。江戸時代、将軍家以外は禁じられた葵文。徳川家の家紋が三葉葵なのは、賀茂社とのご縁からです。

雨の葵祭@上賀茂神社2

斉王代IMG_0885勅使勅使IMG_091413時過ぎから降り続けた雨が突然、上がったのです。葵祭の本当の主役、天皇陛下の勅使が参進される段階で。これには驚きました。

まず、勅使が天皇陛下のご祭文を奏上。ご祭文とは、天皇陛下が国家繁栄・国民安泰を、賀茂の神に祈られるもの。宮司はそれを受け、ご幣物とともに本殿内陣に納めます。今度は勅使にご神意を伝えるため、宮司が祝詞を奏上。神のみしるしとして、勅旨に葵を授けるのです。

5月5日の競馬会でも、ずっと雨が降っていたのに、馬が走る段になって、雨が上がりました。これを神意という人もいます。

それにしても、今年の勅使は佇まいが美しい。歩くときだけでなく、腰掛けている姿も、背筋がぴっと伸びて、少し感動しました。宮内庁の方なのですが、所作がほかの方とは違いました。

この後、馬が走ります。

 

雨の葵祭@上賀茂神社

斉王代DSCN0600斉王代   DSCN0597上賀茂神社では13時過ぎから本降り。おそらく路頭の儀(行列)は下鴨神社までで中止されるに違いないと思って待っていたのですが、なんと15時半過ぎに参進してきたのです。おそらく14時半にあちらを発つときには、降っていなかったのでしょう。加茂街道を北上する間に雨に降られ、皆さんびしょ濡れでした。

斎王代の腰輿(およよ)は、一の鳥居で降りるもの。お天気なら、そこからは斎王代は童女に裾を持たせて、歩いて参進するのです。そこが絵になって、人々の目を楽しませるのですが、今年は雨だったので、写真のように車輪の力を借りずに運んでいます。かなり重かったに違いありません。

 

雨の葵祭@下鴨神社

斉王代IMG_0842斉王代DSCN0083ご一行は下鴨神社に到着。途中で雨がばらつきましたが、それでも、斎王代が歩ける程度でした。一の鳥居の着いてからは、童女に裾をもたせて参進するのです。

葵祭は日本最古のお祭り。嵯峨天皇は最愛の皇女・有智子内親王を賀茂の社に奉仕させました。それ以来、内親王を斎王とした葵祭りは国を挙げてのお祭りとなったのです。

斎王代と「代」がつくのは、現在は内親王ではないから。戦後、京都で代々続く由緒ある家のお嬢さんが選ばれるようになりました。纏っているのはもちろん、十二単。垂髪に飾り金具は、金枝と銀の梅花で飾られた心葉をたてたもの。左右に垂らしているのは、白い組紐を蜷結びにした日蔭の糸。

左の写真、斎王代の腰輿(およよ)を抱えているようで、実は車輪がついているので、それほど難儀ではありません。しかし、上賀茂に着いてからは・・・。

この後、勅使が主役の「社頭の儀」が行われましたが、私は途中までで、上賀茂神社に向かいました。

 

雨の葵祭 御所を出発

牛車IMG_0750天候によっては雨天順延とされる葵祭。前日には、きっと順延に違いないと思い、15日には社頭の儀を観て、翌日に路頭の儀(行列)を観るつもりでした。朝6時に決定するのですが、まさかの決行に、びっくり。

左の写真は牛車が御所を出たところ。藤の花が飾られた牛車は、京都御所にのみ存在します。東京の皇居にはありません。水牛の曳き綱を持つ牛童がかわいらしい。ぎぎ・・・。玉砂利に軋む車の音が、なんともいいのです。

今年も招待席のチケットを頂き、向かって左の席。正直なところ、昨年の右の席のほうが写真のアングルとしては都合が良かったのですが、途中で雨が降り出し、あわてて和装雨ゴートとビニールのポンチョを纏った私でした。

 

移民1年に20万人計画は見直すべき

「今回のウクライナで、日本人、いろいろ学習できましたよね」

京都で暮らす40代の女性が何気なく、こう語った。

--そんなわけないでしょ。そこまでの想定力があったら、日本の将来万々歳。そうじゃないから心配なんです。

ウクライナ情勢で学ぶべきことは、大国の思惑で国家が分断される可能性があるということ。しかも、住民投票という、きわめて民主的な手法で。ロシアはクリミアをきっかけに東ウクライナを併合することを射程に入れているはず。それを、中国はじっくりと観察しているのです。

早晩、日本でも同じことが起こりえます。年間20万の移民を入れる計画は危険です。しかも「新移民」にまで「外国人参政権」を与えれば、「新移民」が集中した地域は、住民投票で日本から分離独立、「新移民」の母国に帰属が可能になるのです。最初の危機は沖縄に訪れると私は観ています。

移民受け入れには条件が必要です。まず1年に20万人は多すぎ。5年で100万人ですよ。移民の母国も多様であるべき。特定の大国から1度に数万人ずつやってきて過疎地で暮らせば、住民投票であっという間にその土地は日本ではなくなるのです。しかも、彼らは母国にいる家族をごそっと日本に呼び寄せるのです。外国人参政権も、昭和から日本で暮らした人々、あるいは30年以上日本で暮らした人々にに限定すべきです。

日本の若者だって非正規雇用なのだから、外国人労働者も5年限定でいいのではないでしょうか。あまりに優秀で、日本企業が正規雇用を考えたいのみ、その枠を広げればいい。あるいは、呼び寄せる家族の人数を限定すべきなのです。

毎年20万人も来られた折には、彼らが日本的価値やモラルに寄り添わず、日本人が欝になる可能性も覚悟せねばなりません。当然、犯罪者も大量に入国してきます。マフィアのような地下組織だけでなく、一見、普通の労働者のように見えて、実はグローバルな犯罪ネットワークにつながる人々も含まれるということです。日本の安全神話は飛んでしまいます。対岸の火事で眺めていた事件が、日本国内で起きるということなのです。人身売買やテロも起きるということです。

TPPより、はるかに危険な移民20万人計画。この動きに目を光らせることこそ大切なのです。

メキシカン@岡崎

ワカモレまたまたエスニック料理の話で恐縮です。

つい店頭に並ぶ朝堀筍を見ると買ってしまい、家で茹でて日々食べていたせいか、異国ものが恋しくなっている。というより、陽射しが強いと、暑い国の料理を欲してしまうらしい。

平安神宮近くの京都近代美術館のあと、歩いていたら、メキシカンを発見。無性にワカモレ(アボカド・ディップ)が食べたくなった。

インドネシア料理@木屋町三条

ナシゴレン京都にいると時々ジャカルタを思いだす。光の具合に何か似ているものがある。初夏、あるいは盛夏でもそう感じるから不思議だ。

下鴨神社での流鏑馬の後、バスで南下。京都木屋町三条で、インドネシア料理店をみつけました。samsama 。オーナーは20年近く日本にいるインドネシア人。

写真のナシゴレンとテンペ(納豆のようなもの)を食し、インドネシアの総選挙結果と来る大統領選挙について語り合った。

京都には4軒くらいあるらしい。また、来よーっと。

流鏑馬@下鴨神社 続き

★IMG_2732 若正面★IMG_2739 若★DSCN0100行列下鴨神社の流鏑馬を担ったは小笠原流。この美しい男性は若宗匠です。

流鏑馬の段取りがわからず、若の射る瞬間を逃しましたのは残念です。

ところで、流鏑馬の前の神事に向かう人々の中で、一人紅色の人がいます。彼は前原誠二議員です。先頭は堀場製作所社長。

 

 

菖蒲と蓬@端午の節句

屋根の上の菖蒲菖蒲湯2014菖蒲@神官菖蒲の少年たち馬の菖蒲1子どものころから日本にいるときは菖蒲湯を欠かさなかった私。でも今年の菖蒲湯は特別でした。上賀茂神社からのおさがり「菖蒲と蓬」を湯に浮かべたのです。これで5月の邪気祓い、完璧。

5月5日の端午の節句。端の午、つまり5月最初の午の日という意味でもあります。陰陽道としても、奇数が二度重なるので重要なのです。神官だけでなく、競馬会の馬も乗尻(騎手)も、菖蒲&蓬を腰につけています。

京都では、香りの強い菖蒲と蓬がセットなのです。『枕草子』には「節(せち)は五月にしく月はなし。菖蒲・蓬なるかをりあひたる、いみじうをかし」とあります。いまでも老舗によっては菖蒲と蓬を家の軒に挿して邪気を祓います。農家では、蔵の屋根の上にこれを置くことで、蔵を清め、五穀豊穣を願ったとか。今回は上賀茂神社の社殿の屋根だけなら、と撮影許可を頂きました(↑)。

上賀茂神社は来年、式年遷宮。これから本殿は檜皮葺き社殿の屋根葺き替え作業に入ります。いま神社に行くと、本殿に使われる檜皮に自分の名前を書くことができるので、ぜひお勧めします。

禊の儀@上賀茂神社

斎王代入場襲 横禊の儀人形に息吹きかけ人形葵祭りに先立ち、斎王代と、お付の女性たちが手を清める儀式が上賀茂神社で行われました。昨年は、下鴨神社だったのです。

今年の斎王代は和菓子の老舗「老松」のお嬢さん。頭に葵をつけています。葵祭当日も。

十二単の襲が美しいですね。雅な色使いが好きです。フランスにも通じるものがある。こういう光景をよく目にする京都では、はんなりの着物を着たくなります。東京とは気分が変わります。

肝心の禊ですが、ならの小川の畔で手を清めます。撮影には、介添えの女性が邪魔ですね。どのショットにも入ってしまいます。彼女にも平安装束に近いものを纏わせるか、女官の誰かに介添えの知識を叩き込むかにしてほしい。

その後、橋殿に戻って、人形(ひとかた)に息を吹きかけ、ならの小川に流します。これは夏越の祓などと同じ、上賀茂神社ならではの禊の作法です。

流鏑馬神事

★IMG_0088葵祭の無事を祈りつつ、26度の今日、下鴨神社で流鏑馬神事が行われました。

上賀茂神社の馬も、ものすごいスピードだから、カメラに収めるのだけでも大変でした。流鏑馬は、加えて矢を射るので、そのタイミングが、もっと難しい。その上、ピントをあわせるだなんて、神業としか思えません。とてもとても素人の私には無理でございました。

写真は、矢を射った後、次の屋の準備に右手が後ろに向かっているところであります。

午年でもあり、皆さまにも馬の写真をお届けしたいと思いつつ、プロのカメラマンのように、馬にピンがあうように撮れた写真が少ないのであります。それ以外の神事にまつわる写真は、後ほどアップします。

足沙式、そして床開き

試乗1宙にういている競う2頭長刀鉾 暗くなってからテレビ中継DSCN0064少し前まで桜色に染まっていた加茂街道は、すっかり若葉色に変わった。今年も葵祭の季節がそこまでやってきている。その前に行われる競べ馬に先立ち、今日の午後、足沙(あしぞろえ)式が行われた。予行練習と考えていい。途中、雨に降られたが、無事に終了。

夕方は床開き。「鴨川納涼床」が鴨川沿いの料亭や旅館88店で始まった。「長刀鉾祇園囃子(ばやし)保存会」がおはやしを披露。彼らにとっても浴衣を着て演奏する稽古はじめということになる。だが、浴衣姿はいかにも寒そうだった。特に小中学生の子どもたちには。テレビ局の中継も。