カーネーション母ある人の笑み眩し

カーネーション母ある人の笑み眩し

母がこの世を去ったのは私が39歳のとき。以来、母の日が来るたびに、言いようのない淋しさに襲われる。赤いカーネーションを見るたびに、やるせなくなる。母の日商戦にも苛立ちを覚えたことさえあった。

大人の私でもそうだったのだから、幼少期に別離を経験した人にとっては、年に一度の母の日がどれほど酷な存在だっただろう。それに気づいたのも、自分が失くしてからのことである。

だから、最近、もしくは若くしてお母さんを失くした人たちに提案したい。母の日には、静かに、手を合わせて、たくさん、たくさん、お母さんを想いだそうね。辛くても、淋しくても、思いをはせることが一番の供養だから。