ベルコモが消えた?
青山3丁目を久しぶりにタクシーで通って、びっくり。ベルコモことベルコモンズが消えているではありませんか。
ベルコモの屋上にテニスコートがあったの? 黒川紀章さんの設計だったのですね。中のお店はあまり記憶にないのに、この不在の存在感、ある種、すごい。
青山3丁目を久しぶりにタクシーで通って、びっくり。ベルコモことベルコモンズが消えているではありませんか。
ベルコモの屋上にテニスコートがあったの? 黒川紀章さんの設計だったのですね。中のお店はあまり記憶にないのに、この不在の存在感、ある種、すごい。
1月17日は阪神大震災で犠牲になった方々の命日です。早起きして黙とうするつもりが、6時半になってしまいました。
私にとっては、母の命日でもあります。ちょうど今年で20年。新幹線で東京に移動し、お墓に花を手向け、手を合わせたのでした。
前泊しない場合、東京駅→新宿駅→小田急線生田駅という経路になるのですが、スーツケースを預けるのにどう考えても新宿駅にするのが効率よく、西口でロッカーを探したのです。私が利用したのは、JRと小田急から近い場所のもの。PASMOが使えるので簡単ですが、800円と安くはない。後に、営団地下鉄寄りのロッカーは、700円とわかりました。地下鉄の改札に近いほう、ハルク入口に向かうところにあるので、経費節減を考える人は、そちらをお試しあれ。
新宿に戻って伊勢丹などを覗き、スーツケースを積んでタクシー移動。南口前を通って、びっくり。「バスタ」って何?の私でした。新宿のバスターミナルは、ここに集結させたのですね。京都にいるから、浦島太郎状態。
小正月の15日、雪がふりしきる中、吉田家へ。雪国仕様アザラシの草履で歩いたのですが、雪道だと、なんと遠く感じるものでしょうか。「我が衣手に雪は降りつつ」、傘をさしていても、コートの袖に雪が積もったほどです。
生まれて初めて、お餅をつきました。つきたては、えもいわれぬ美味さ。おかげで、炭水化物過多の一日。
最初は納豆で、次は白みそのお雑煮仕立てで。意外にも、京都人も、昔から納豆を食されたのだとか。しかし、お餅の中に納豆を入れるのではなく、お餅を納豆にからませて頂くのです。ふーん、またひとつ学ばせていただきました。最後の写真で手にしているのは、ナスの砂糖漬け。久しぶりに白いお砂糖を口にしました。ますます糖質摂りすぎが気になります。ただでさえ、この日は顔がむくんでいるのに。
夕方は洋服に着替えて、整体へ。北大路駅でみつけた白銀の枝もくわえます。
東京の空には赤い月が浮かび、降り立った京都駅には雪が舞っていました。
一晩降り続けた幾ひらもの雪は京都の町を白銀に染め、しかし、転倒のトラウマから、カメラ片手に雪道を歩きまわる勇気もない私は午前中、部屋の中でぬくぬくと仕事をしていたのです。
静寂の中、部屋から雪が降りしきる様子を眺めていると、やはり地球は寒冷期に向かっている、私たちは自然の中で生かされていると感じます。改めて、暖をとる住処のあることに感謝。松飾りをはずしながら、謙虚な気持ちで小正月を過ごしたのでした。
石川九楊塾東京教室の書初めで筆を持ち、その後、麻布十番の歯医者へ。
ウルトラライトダウンを纏っていたのですが、あまりの寒さに、麻布十番商店街でダウンを衝動買い。昨夏知った豚モチーフの日本ブランド。セールで30%オフといわれて、つい。
オレンジ色の月が気になりつつ、浜松から徐行運転という新幹線に品川から乗り込みました。座席は空いていたものの、寒くて寒くて、2枚のダウンで大正解。グリーン車ではないので、毛布はないのです。
たどりついた深夜の京都駅には、雪が舞い、静寂そのもの。いつも並んでいるタクシーはゼロ。MKタクシーの事務所まで出向き、乗車したのです。スーツケースを持っていたので、助かりました。
外国人が着物で京都を歩く姿は珍しくないのですが、ベールを纏った人々を見ると、気になります。インドネシアかマレーシアか、国籍を訊いてみたくなるのです。
で、声をかけました。インドネシア語で(マレー語もほぼ同じ)。そうしたら、ジャカルタから来た親子だったのです。私と写真を撮った女性は広島に留学中。ご両親と弟を呼び寄せたみたい。メガワティ(第5代大統領)の評伝を書いたと名乗るべきか迷ったあげく、秘密にしておきました。でも、ラインを教えて、と言われ、フットワークの軽さに感動。万国共通、若者のツールですね。
京都では、お正月に初能が観られます。この写真は1月3日、八坂神社で初能を観た後の出来事。陽ざしが急に強くなって、わ、顔うつりにマイナスだー。
歳旦祭は、朝5時から斎行されます。葵祭と同じで、上賀茂神社の大祭ですか
ら、本殿前の神事だけでも、1時間はたっぷり。新撰の数が多い大切な神事で
す。
次第に空が白々する中、提灯に先導されながら摂社末社を順番に参拝してまわるのですが、それがなんとも幻想的で素敵な時空なのです。
その後、室内で直会(なおらい)を頂き、外に出ると、さすがに太陽が昇っていて眩しく、いきなり現世に呼び戻された感じ。
一般参拝者と同じように本殿で参拝。酉の描かれた升酒を頂き、酔いがまわったところで帰宅して仮眠。除夜の鐘をついてから徹夜で歳旦祭に臨むのは、いつまで続けられるでしょうか。
新春のお慶びを申し上げます
世界各国、とりわけ欧州ではパラダイムシフトが数年前から進んでいました。かねて明治維新並みの変化が起きると予言してきた私ですが、その流れは、昨年の英国EU離脱、米国トランプ政権誕生で誰の目にも明らかになったのではないでしょうか。
酉歳の今年は天変地異も含め、世界情勢の激変を覚悟しましょう。戦後70年間に築いた何かが音を立てて崩れるという事態もあり得ます。現在の延長・継続と考えないほうがいいかもしれません。
大難を小難にできるよう祈りつつ、どんな変化にも動じない自分でいたい初春。和服を纏って、心穏やかに、今年も日本の文化への理解を深めていけるよう精進してまいります。
ついにテロの舞台がドイツへ? 渡航される方は、くれぐれもお気をつけて。
http://jp.reuters.com/article/germany-truck-raid-idJPKBN1490Q6
高倉通にあるイタリアン。ずっと気になっていながら、敷居が高そうで素通りして幾年月。先日、初めてランチに挑戦しました。ふと気づけば、外壁にサンタさんがいっぱい。
違う角度から撮影すると、こんな感じ。「ひったくり」の5文字が視界に入ると、みんなが泥棒に見えちゃいます。
左奥のお花は、著名な俳優たちから。30周年だったので。
11月29日は、いい肉の日。
全品2割引の大丸京都店の食肉売り場へ。「すごい人になるから、朝10時に来てね」との、日ごろから懐いているお姉さんの言葉に誘われ、開店とともに売り場へ急いだのでした。彼女の助言に従い、いつもなら手が出ないお肉を買い込んで、冷凍庫がパンパン。しばらく肉食の日々が続きます。
大丸ファンになったキッカケは、熊本の「草うし」を置いていたから。阿蘇の麓で育った赤身のお肉、美味でした。黒毛和牛と違って、いくらでも食べられます。草うしは、大丸の部長が開発したらしく、しかし、地震後、どうなったか気になっています。
草うしが消えてから、牛肉は滅多に頂きません、ひたすら沖縄のアグー豚。冷凍しやすいように、薄切り肉か切り落としを約100グラムずつ包装してもらうので、手間のかかる客です。だから割引のときだけでも、たくさん買って恩返ししないと。
京都駅に誕生した羅城門模型。平安京の正面玄関だった羅城門について知りたくなった方は、ぜひフォーラムへ。
http://tomorrows-kyoto.jp/news/2016/3631/
お能の羅生門も上演されます。
南禅寺界隈別荘群のひとつ、無鄰菴に伺いました。茶友がお茶会を開いたからです。
無鄰菴は、山縣有朋が南禅寺参道前に造営した別邸で、「無鄰菴会議」の舞台にもなっています。
南禅寺は江戸時代まで広大な境内に塔頭を持っていました。しかし明治の廃仏毀釈で、境内のほとんどは民間に払い下げられたのです。同時に、琵琶湖疏水が計画され、行政によって、このあたりは風致地区として、富豪の別荘地となっていったのです。
さて、お茶会ですが、お菓子が美味で、大感激。干し柿の中にクリームチーズが入っていたのです。
京都駅北口に新しいスポットが誕生しました。地下に眠っていた、平安京羅城門模型(10分の1)が移設・設置されたのです。
私も企画設営委員を務める「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」が手がけるプロジェクトのひとつで、将来は原寸大での復活を考えております(実行委員会長は千玄室裏千家大宗匠)。
「待ち合わせは羅城門前で」と、ぜひ話題にしてください。夜はライトアップしています。京都駅にお立ち寄りの際は、どんどん写真撮影して、拡散してくださいね。
京都、揺れました。震度3。震源地は和歌山南部で震度4。
6日日曜日にも、京都で揺れを感じた私。今日の最初の衝撃ドスンが1回だけで、すぐ終わり。 いまのところ感知した人を一人だけ知っています。彼女は北山在住。
ところが、その日、京都界隈で地震があったとは報じられていない。ただ同じ日、福岡の震度3がテレビ画面に出ました。これが、博多の陥没に影響したと私は考えています。
揺れています、日本列島。注意して過ごしましょうね。
京都の神社仏閣ではこの季節、お火焚祭真っ盛り。紅葉狩りとは別に、お火焚祭+湯立神楽を追うのも一興です。
上御霊神社へは2回目。煮たてたお湯に入れた榊や笹を用いた神楽。そのお湯がかかると無病息災と言われています。前回は雨支度をしていたのでお湯の暖かさがひたすら有難く、しかし、晴れた今年は和服なのでお湯を受けるのに躊躇がありました。が、しかし、染み抜きの心配より健康が大切と、近くで拝見していた私でございます。
晴天の日曜日、相嘗祭(あいなめさい)に参列。洛北の上賀茂神社では照葉が眩しく、七五三と結婚式で境内は大変な賑わい。新郎新婦の親でも孫に同伴でもない私は、傍からみれば所在なげかも。しかし、そこは深く考えず、神恩に感謝を捧げました。
相嘗祭とは古代、神嘗祭に次いで新嘗祭の前に、天皇がとくに信仰される近畿を中心とした71座の神々に新穀と新酒を奉った祭儀です。いまでも続いている神社はほとんど無く、上賀茂神社は貴重な存在。直会(なおらい)も、白酒(しろき)でした。
参列された女性と「ならの小川」畔で話し込んだので、着替える間もなく、タクシーで洛中の吉田塾へ。今回は、富岡鉄斎がテーマでした。
米国大統領選、ほうら、トランプ氏がどんどん迫っているでしょ。
トランプ陣営は、実は地道な活動をしているんです。これまで投票しなかった層を開拓して、そこを取り込んでいる。投票率が上がれば、彼が勝つ可能性は高まります。
大統領は断然トランプ氏になった方が面白い。これまでの世界秩序をドラスティックに変えるには、破天荒なアクターが必要なのです。
で、トランプ氏が勝つとどうなるか。たとえば、アメリカは早々に北朝鮮と国交回復し、混乱している韓国は「北」に飲み込まれて、南北統一。なあんてことも起こりうる。彼はそういう存在なのです。そして、それを望む勢力が背後にいるはず。
ヒラリーさん、なあんか魅力ない。スピーチ、心に響かないもの。
くわえて、昨年今年は運気が悪い。そもそも大統領に向かない星。だから、ここまで苦戦しているのです。他方、夫のビル・クリントンもトランプ候補も、リーダー運の星なのですよ。
気学風水を侮ることなかれ。小池百合子知事の圧勝も高支持率も、今年の絶好調な運気ならでは。2年半前に出馬していたら、こういう展開にはなっていません。
万が一、ヒラリーさんが当選しても、4年もたないと思う。健康不安も考慮すれば、ルーズベルト➡トルーマンのようになる予感。そこで浮上するのが副大統領で、アイルランド系のティム・ケインは、棚ぼた運の星。深く考えないタイプだから、背後の勢力が操りやすい人物です。
トランプ氏、追い上げてきましたね。
かねて私はトランプ氏勝利を口にし、例によって日本では顰蹙を買ってきました。
根拠は、既存のシステムが行き詰まっている世界で、想定外の指導者が「ガラガラぽん!」する必要があるからです。たとえば、就任後すぐの米朝国交回復もありえます。
彼が負ければ、支持者の暴動が起きるかも。途上国みたいだけれど、移民が増え続けているのだから、さもありなん。
たとえクリントン女史が勝ったとしても、健康不安から4年はまっとうできない気がしています。続きはまた。
11月1日は古典の日。5周年の今年は、源氏物語に特化してフォーラムが開かれました。
現代語訳した瀬戸内寂聴さん、林望さんに加え、中村勘九郎さんも壇上にあがり、興味深いお話をしてくださいました。
会場はロームシアターでした。
角度制限から指先が不自由。ブラのホックが止めらない、荷物を持って傘をさすのが難しい、レジでのお財布使いやワープロ打ちの左手使いに時間がかかり、長文が打てずにおります。3週間で開けてみたら未だ未だ。ヒビは骨折より長引くという通説通りの結果で、再びギブスの人に。
さすがに来週は、と期待しつつ、目出度く左手が解放された折に、詳細を記します。
東山の大文字が見えるマンション暮らし。過去3回、宴会に加わることなく、両親を含めたご先祖さまを、一人静かに送ってきました。写真は一昨年のもの。夕方まで土砂降りでも、点火の20時には止んで、無事に部屋からお見送りーー。
できたのですが、今年は点火時刻になっても止まず、さらに途中から激しい降りになって、大文字が全く見えなかったのです。理由は、バケツをひっくり返したような雨で視界が遮られたから、大文字山が特に高いから、(大文字は薪が濡れた地面に置かれるので)火が途中で消えたから、などと後付けはできるのだけれど、見えないのだからNHKの中継で五山の様子を確認するしかない。なんだかなあ。やはり、炎は自分の目で確かめないと、ご先祖さまに思いが届いていないようで、なんとも中途半端で後味悪いのです。
京都の町では、こんな送り火は生まれて初めて、と日々話題に。同じことを80代が語ると説得力を増します。なんか意味がある、天からのメッセージ、とまで仰るのですが、その読み解きができないまま・・・。
日本の無事を祈ります。
7月1日から始まった祇園祭は、31日の夏越祭をもって終わりとなります。八坂神社西門入ってすぐ疫神社で、茅の輪をくぐり(右の写真は以前のもの)、萱の茎を頂いて帰り(左写真)、それを編んで自分で小さな茅の輪を作り「蘇民将来之子孫也」と短冊に書いて玄関にかけます。疫神社の茅の輪の上にも、「蘇民将来」短冊があります(右写真)。
夏越祭の後、南門にある中村楼さんで稚児餅を頂いて、祇園祭の閉幕を確認します。稚児餅とは、長刀鉾のお稚児さんが社参して位をもらった際に馬に乗ったまま中村楼に寄り、中で食べるお餅のこと。「社参の儀」翌日の7月14日から31日までの限定で、一般の人々にも振る舞われるのです。
さて、我家の玄関。今年はじめて「蘇民将来」の子孫であると書く短冊を赤にしました。上方の木札は、伊勢の注連縄についている木札「蘇民将来子孫家門」。微妙に言い方は違いますが、いずれの土地にも蘇民将来伝説が残っていることが古代史の謎のひとつ。その話は改めて書くとして、まずは「蘇民将来」とのご縁を二重に強調することで、疫病、魔物から守られると期待する私です。
実は、前日まで伊勢の注連縄を飾っていました。正月からそのまま、木札とともに。でも本日、茅の輪を手に入れたので、玄関にあった注連縄は鬼門の窓へ移し、別に購入していた小ぶりの木札のみ掛けてみたのです。伊勢の木札は中村楼さんの玄関の上にもありますので、クリック拡大してみてくださいね。