Archive for 7月, 2016

2016年7月 大船鉾へ

IMG_6361★龍頭バックに

一昨年復活した大船鉾。今年は町会所も作られ、階段ではなく、その2階からのスライドで大船鉾に上がれるようになりました。

写真右は、龍頭と背中合わせに座って撮影したもの。座り位置は、スキンヘッドの男性と同じ(左)。去年までは大金幣(下)がつけられていました。当面、龍頭と交互につけるのだそうです。よって、来年は大金幣。巡行では龍頭は見られません。

IMG_6440昨年のセールで購入したペイズリー柄の浴衣。IMG_3031今年は大活躍。北観音山の日和神楽が和久傳に門(かど)付けしたときにも、環幸祭でも、この組み合わせで。朱の帯にこだわるのは、山鉾に使われている色と喧嘩させないためです。

追伸:門(かど)とは、玄関のこと。玄関まで来て演奏してくれることを、門付けといいます。「門先まで行くので」と言われて最初は戸惑いました。玄関先という意味なのですが、京都独特の表現のようです。

2016年7月 北観音山へ

北観音山2階 2

北観音山の鉾へは上がれません。女人禁制です。でも、ご縁があれば、町会所へ上がって祇園囃子を聴くことは可能。かつて伊藤家(松坂屋)や三井家が支えていた北観音山は、伝統的に粽を売らないのです。ご縁のある方に差し上げるものだという考え。だから、こうしてお囃子を聴くことも粽を頂くことも、ご縁がなければ叶いません。

北観音山 ちまきIMG_5656 北観音山私の場合のご縁とは、1階にある「上々もんや」さん。今年は下駄と小物を買いました。台がターコイズだのペリドットだのと魅力的な色があったのですが、足を乗せると、なんか変なのです。下駄は裸足なので、肌色に近いものが最も美しい。鼻緒もこのくらい淡いほうが便利です。

 

2016年7月 芭蕉文の浴衣で紫織庵へ

紫織庵の前で

前(さき)祭の宵山では、雨対策で化繊の作り帯(博多帯風)を締めておりました。晴れの日には、朱の羅の帯で。この浴衣には一見、朱がキツすぎるように見えますが、山鉾を背景にすると、ちょうどいいのです。

今年は下駄に問題が発生。鼻緒がブルーだからと以前、祇園祭宵山のセールで千円くらいで購入した下駄を履いていたら、裏がどんどん削れてしまい、新しく購入。それなりの値段でびっくりでしたが、安心です。前つぼの色も帯と合っています。%e4%b8%8b%e9%a7%84

2016年7月 鯉山へ龍文の帯で

鯉山 後姿鯉山 駒形提灯前1

鯉山へは龍の帯で。

登竜門――鯉はやがて龍になるという中国の故事にちなんでの山。だから龍の帯を締めたくなります。町会所奥に飾られている胴掛けが龍なので、記念撮影を。

IMG_3156いま流通している干支は、実は十三支なのだそうです。13番目は、鯉。酉の次に来るのだとか。その秘密と鯉山は深い関係にあるらしいのですが、これ以上のことはわかりません。やはり古代史の秘密のひとつ。

 

 

2016年7月 京町屋で過ごす後祭

IMG_5806 吉田家

曳き初めの後は、吉田家でゆるりと過ごさせていただきました。今朝あたりから朝夕が涼しいんです。風が乾いているというか。空が高いというか。秋の気配なんですね。

吉田家、帯京町屋の夏座敷、大好きです。東西に吹き抜ける風。床に映る棕櫚の葉陰。外を行く人々の喧噪。やがて石灯籠のあかりが灯ったと思うと、北観音山の祇園囃子が耳に届く。模擬店などなく、昔ながらの風流な祇園祭が味わえる後祭、落ち着きます。

もう10年くらい着ているオモダカ文の浴衣に、博多紗献上を締めて。至福の時――。吉田家で正座

道行く人は、昔ながらの商家の屏風を外から楽しむことができ、ゆえに祇園祭は屏風祭ともいいます。上の写真真ん中の鱗文の法被は、素戔嗚尊を乗せた神輿をかつぐ「三若」の法被アンティーク。昔のデザインはすばらしい。

 

2016年7月 曳き初め初体験@北観音山

IMG_2902  曳き初め

これまで曳き初めはカメラに収めるばかりでしたが、今年初めて北観音山の綱を持たせてもらいました。一般の方々の顔を入れずに撮影するのが難しく、細長くトリミング。ゆえに曳き初めの臨場感に欠けますが。IMG_5625 曳き初め

オモダカ文の浴衣に、紗献上の帯。東京では、花火大会の時くらいしか出番がなく、1枚あれば十分だった浴衣にぴったり合う帯に、今年、かわの屋さんで出会ってしまったのでした。帯揚をブルーにしていたので、図らずも、六角町のTシャツと色がシンクロ。

朝晩の風はもう秋色。空が高い。

2016年7月 神幸祭と神輿渡御

浴衣@楽楽

祇園祭の真髄は、神輿渡御。神輿に遷られた神々が氏子地域をめぐり、お旅所に留まられることにあります。

IMG_1567 帯これまで、行列を先導する宮本組や久世駒形稚児が四条通を行くのを追ってきましたが、今年初めて、八坂神社石段下に神輿三基が集まり差し上げする様子を拝見したのです。しかしながら、途中で大粒の雨が降ってきて、浴衣ごとびっしょり(右写真)。雨を覚悟の、浴衣だったのですが、夜の会食の席(@ぎおん楽楽)に迷惑がかかるので、焦りました。手ぬぐいを何枚も重ねて座るしかなく・・・。雨の神輿渡御については、そのお座敷から撮影した昨年の写真でご確認を。上から目線は本当はいけなのですが。最後の写真は一昨年、晴れの日に路上で撮影したもの。

帯も化繊なので気楽、雨向きです。博多献上風ですが、最初から作り帯として売られていました。後ろ姿は昨年の写真でご確認くださいませ(左)。IMG_5899★-300x225

朝の山鉾巡行は、昨年に続いて洋服で通しました。天気予報に雨マークがあったためです。こちらも長刀鉾のお稚児さんによるしめ縄斬りの前に、大粒の雨が降ってきましたが、まあ洋服にカッパで正解。★神輿IMG_5332★-300x225

 

 

2016年7月 日和神楽を追いかけて、向日葵文の浴衣で

IMG_2853

日和神楽。山鉾のお囃子が前夜、八坂神社へ祇園囃子を奉納します。翌日の巡行の晴天を祈念するためといわれます。

長刀鉾は、四条通を八坂神社に向かい、奉納後、祇園界隈をまわります。ある種、神楽の出前のようなもの。路地には、そのご利益にあずかろうとお茶屋さんで宴会中のお客さんや芸舞妓さんが出ていて、お姉さんたちの美しい姿を見るのもまた、赴きがあるのです。IMG_2863 日和神楽

私が日和神楽を知ったのは、初めて祇園祭を見に訪れた30代。西麻布にあった染司「よしおか」東京店で染色講座を持っていらした吉岡先生が、希望する聴講生たちをいざなて祇園祭を案内してくださったとき。ご一緒した女性二人と祇園のバー、サンポアに繰り出したことから、偶然に居合わせたのでした。

大船鉾 宵宵宵山例年になく混雑している宵々山を経て、疲れ切っていた私は、着物を着るガッツはなく、安易にユニクロの向日葵文浴衣を纏って八坂神社へ。ラピスラズリ色の帯は、サテンの作り帯。向日葵の帯留が自慢のコーデでした。

東京から来ていたカメラマニアの予備校講師にバッタリ出会い、写真を撮ってもらって喜んでいたのですが、しかし、肝心なときに、帯留が写っていないのです。えーん、横に移動してしまった(右)。

帯留については、昨年の大船鉾前の写真(左)で、確認してくださいね。

 

2016年7月 龍五爪の帯@長刀鉾

 

若冲前中国・清朝大臣の朝服を紗袋の帯にしたもの。だから、龍は五本指です。

これを着て、長刀鉾の水引の前で写真を撮りたかったのです。麒麟や獅子が描かれた水引の前で。

ところが、町会所2階にあったはずの水引が無いのです。15日朝に、四条通の鉾につけられたというではありませんか。ガ、ガ、ガーン! 鉾には女性は昇れませんので、町会所2階から見ている私を、帯こみで後ろから撮ってもらいました。

朝服1

右の写真は、今年新調された見送(山鉾の背面につるす織物)の前で。宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する伊藤若冲の「旭日鳳凰図」を原画に川島織物によって制作されました。偶然とはいえ、私のコーデと色合がよく似ていたので、バッチリ。朝服の龍

 

 

 

 

 

 

 

2016年7月 花火文浴衣で誉田屋さんへ

IMG_2716 花火浴衣@誉田屋

 

日本最古の帯問屋「誉田屋源兵衛」へは例年、誉田屋製の帯を締めて行くのですが、今年は雨の可能性もあり、誉田屋製花火文の浴衣で。金が使われていて分厚く暑いのですが、襦袢を着れば、夏着物と花火21-174x300同格で着られる優れものでもあります。

さすがに先日のように、化繊のつけ帯というわけにはゆかず、20代のころから締めていた桜色の羅の帯を結んで。帯留は蜘蛛の巣。

手に持っているのは、黒主山の粽。誉田屋さんのある三条室町の山です。前年の山に使われた桜が施され、帯はそれとシンクロさせています。IMG_6293 黒主山