7月5日  インドネシア大統領選挙

 久々のジャカルタはめまぐるしく変化している。埃まみれで今にも壊れそうだったぽんこつのタクシーはぴかぴかの新品に替わり、ガラス張りの新しいビルが次々に建てられている。日本の賠償金で建てられたホテル・インドネシアは改装中。プレジデントホテルは日航ホテルに替わり、その裏にはメルセデスのマークを配したドイツ銀行が聳え立つといった具合で、その一角を見るだけでも、アジア経済危機から6年半、インドネシア経済の立ち直りを象徴するかのようだ。

 しかし、裏を返せば、不良債権処理を急ぐあまり、外資にいいように叩かれ、買い占められたということだ。そう思うと、きゅんと胸が痛くなる。いまごろ東京の土地やビルも、同じように欧米人や中国人のものになっているに違いない。

 なにも外資に限らない。インドネシアのお金持ちも経済危機というチャンスをものにした。彼らも企業や不動産を買占め、思いっきり大金持ちになったのだ。そうした富裕層のおかげでメルセデスもBMWも、ジャカルタでは予約待ちだという。まさに竹中改革の果ての日本を見るようだ。つまり、そうしたお金持ちは一握りの人であり、庶民といえば、失業にあえぎ、物価高のジャカルタでは食べるのがやっとである。庶民の味方だったメガワティの人気が落ちたゆえんでもある。

 スハルト政権が崩壊してから6年4ヶ月。史上初めての大統領選挙は今日、投票が終わった。当選が危ぶまれるメガワティとその家族は、南ジャカルタの自宅近くで投票した。4月の総選挙では大統領公邸近くで投票して闘争民主党が大敗した。縁起かつぎのために「民主化のシンボル」時代の自宅に戻り、初心に帰って投票しようというものである。初心とは、庶民の味方だったころ、汚職にまみれたスハルト一族の弾圧に耐えて闘っていたころのことである。

 メガワティは真っ赤な服に身を包んで現れた。赤は闘争民主党のシンボルカラーだ。めずらしく上機嫌で、カメラマンにも笑顔で応えた。そして、スペイン風の大きな白い扇で

 煽りながら、家族の投票が終わるのを待った。

 今回の大統領選挙は特別である。空港では、 25ドルの入国ビザを請求される外国人だけでなく、インドネシア人も長蛇の列を作って待った。最近は仕事で頻繁にインドネシアに来ているらしい、若い日本のビジネスマンに話しかけてみた。

「ここまで混むのはめずらしいですよね。みな選挙で戻ってきたんでしょうね」

「そんなわけないでしょ」

 インドネシアをわかってない若者である。ここは日本とは違うのだ。32年間もスハルトの圧政に苦しみ、大統領も副大統領もすべて国民協議会の中で選ばれてきた。実質、そのメンバーはスハルトが決めていたわけだから、彼の再選は確実だったのだが、その政権が倒れてもなお、大統領は国民協議会の選挙で選ばれ、政党のかけひきで終わったのが1999年秋の出来ごとである。したがって、今回初めて大統領を直接で選べるようになったのだ。この歴史的瞬間にぜひとも投票したい。実際、私の知り合いも何人か帰国している。

 それにしても、面白いのが投票の仕方である。5組の正副大統領候補のバストショットに穴を開けるという方式だ。三方を囲まれた小さな投票デスクには紐でつながったアイスピックが用意されている。それで、候補の写真をブスっと刺すわけだ。日本人の私としては五寸釘を思い出して、何とも奇妙な感じがする。嫌いな候補を刺すならともかく、未来の大統領の写真を刺すのである。総選挙では政党のマークを刺せば済んだが、人の写真であるところが、なんとも寝覚めが悪い。

 それでも、二箇所に穴を開けた人もいたようで、これを無効とするために、開票には予想以上に時間を要するらしい。5年前に比べれば、コンピュータを導入して、はるかに早くわかるようになったものの、外島の状況まで把握するのは簡単な作業ではない。

 今夜の段階では、SBY=スシロ・バンバン・ユドヨノが圧倒的人気を誇るが、50%に満たないので決選投票にもつれこみそうだ。彼が最も新鮮で、汚職のイメージから程遠い。どうやら、そこに賭けた人々が私の周囲にも多いのだが、さりとて、元軍人にゆだねることに抵抗のあるのも事実である。決選投票の相手としてメガワティが残るのか、ウィランが残るのか。その行方を見守りつつ、それぞれの候補の分析と票読みを明日以降に書くことにする。