またまたハンガリー

難民大移動の映像は、ベルリンの壁が崩壊する直前、東ドイツから脱出した人々の姿を彷彿とさせます。1989年夏、東ドイツの人々を西へと逃がしたのも、ハンガリーだったのです。「ピクニック」を装って、オーストリア国境の鉄線を切りました。陸路での脱出です。事実上、ベルリンの壁は無効となったのです。その後、「自由列車」に乗って、チェコスロバキア経由で西ドイツへと人々は移動していく映像など、日本のジャーナリストにも大きな衝撃を与えます。テレビ局のスタッフも、起きていることを追うのが精一杯でした。あれよあれよという間に、ベルリンの壁崩壊、チェコスロバキア、ルーマニアと東欧各国で民衆革命が飛び火していくのでした。

当時の私は、始まったばかりの「サンデープロジェクト」で中継レポーターを週末に、平日の朝はFM東京でラジオ番組を持っていました。後者は自由にコメントできたにもかかわらず、現地の人々の涙の意味や起きていることの背景を説明できずにいたのでした。翌年春、番組改編を機に、東欧へ旅立ち、人々の声を集めるべく、ホームステイして歩くことにしたのです。

今回の民族大移動を機に、国際社会においてどんな変化が起きるのか。振り返れば、今年が歴史の転換点になることは間違いないでしょう。きっかけを作るのは、いつもハンガリー。気になりますね。