ウェストサイド物語

昨夜、NHKハイビジョンで、バーンスタイン特集を見た。映画「ウェストサイド物語」が新鮮だった。というより、この映画のテーマがわかっていなかった自分に愕然とする。

最初に劇場で観たのは中学生のときだっただろうか。次は20代前半で観ているはずだが、単なる不良グループの縄張り争いという記憶だけで、本質がちっともわかっていなかった。二度目はテレビで、吹き替えで観たからかもしれない。

バースタインの楽曲と、振り付けの素晴らしさに、つい目を奪われてしまうのだが、これは「移民」の物語なのだ。英語でmigrants を連発しているのに、字幕の「よそ者」という訳に、プエルトリコ人だけが肩身の狭い思いをしていると捉えたらしい。

よくよく見れば、相手はイタリア系移民。WASPに虐げられたマイノリティの物語だというのに、当時の私はイタリア人はほかの欧州人同様、アメリカ社会に同化していると思い込んでいたのだろう。そういえば「ゴッドファーザー」を観たのは、いつだったのだろう。うーん、若かったとはいえ、アメリカという国の成り立ちを理解していなかった自分の無知が恥ずかしい。途中で「トニーがポーランド移民」と兄がマリアに語る場面でさえ、聞き逃したに違いないのだ。

それにしても、バーンスタインは凄い。1990年、ベルリンの壁が開いて半年後の「プラハの春音楽祭」で彼がタクトを振るのを見たことがあるが、作曲家としても、ピアニストとしても、半端でない才能の持ち主である彼に、改めて拍手してしまった。

同時に、ついつい体が動きだして踊っている自分にも驚く。「19の手習い」で25歳までモダンバレエを習ったのだが、2年目の発表会でいきなりジャズダンスを振付けられ、「クール」を踊ったのである。若いころ身体に叩き込んだことは、体が硬くなった今日でも音楽に反応する。もっと幼いころから習っていればいまごろ、さぞかし身のこなしが美しかったに違いない。

いや、いまからでも遅くない。少し肢体を鍛え、根底に流れる歴史的背景を把握すべく映画を見直してから死ぬ、というのも悪くない。そう、ハリウッド映画には深いメッセージがこめられているのである。