迷彩に目が慣らされて

  数年前、ガーリーな迷彩風のワンピースが鳥居ユキさんのデザインで売り出された。デニム風コットン素材なので丈夫で楽。飛行機移動の折に重宝してきた。今年の春夏にまた迷彩プリントが入っていたので、今度はパンツを購入してしまった。これが楽で止められない。デザインのなせる業だ。

 インドネシアで国軍の暴力を見てきた私は、迷彩を着るだけでそれを容認しているようで実は抵抗がある。だが、楽なのでつい迷彩パンツをはいて、土曜日、都心のバスに乗ってしまったところ・・・

 次から次へと迷彩パンツのお兄さんが乗ってくる。最初は背が高く、ストリート系のイケメン。若くはないがファッショナブルである。六本木のバス停で待っていると、向こうから歩いてきた。一瞬、仲間かな、という親しみ光線を発しつつ、近くで見て違う人種と納得していた。もう一人は、途中で乗り込んできた中年のお兄さんで、いつもの綿パンに迷彩がプリントされているというだけの着こなし。オシャレ感はゼロだった。でも、流行っているから履いちゃったのだろう。その彼も、私を一瞥して、仲間になりたそうな空気を発信していた。

 どっちのお兄さんも、私にとってはどうでもいいのだが、迷彩パンツを履いただけで、カテゴライズをされてしまう不思議な経験だった。

 元来、私は流行ものが嫌いである。できるだけ人と違うものを選んで着る。数年前に手を染めたのも、ガーリーなワンピというめずらしさが手伝ったからである。その私の目が慣れて抵抗が薄まったのだから、流行とは恐ろしいものである。そういえば、10年ほど前、モスキーノが秋冬でミリタリーだったことがあった。大好きなモスキーノなのに、欧州にいたから安かったのに、ミリタリーというだけで買わなかったのを思い出す。

 日常着にするうち、軍隊の存在には抵抗がなくなっていくのだろうか。毎年、色もデザインも、ある程度の方針がフランスから与えられると聞いたことがある。だから世界で流行が生まれるのだが、この傾向が続くことで戦争を容認することのないよう、気を引き締めないといけない。3人とも、この格好で沖縄の集会に行けば、ぼこぼこにされるに違いないのだから。

 そういえば、迷彩は英語でカモフラージュだ。

 山の手空襲から65年。六本木も表参道も被災したことを忘れてはいけない。火曜日には慰霊祭が開かれる。

 注)迷彩パンツについては、COLLECTIONに写真を掲載予定。