祇園祭しめくくり

疫神社の夏越祭は10時から。今年は足の手当てのために病院に行っていたこともあり、12時頃に神社へ。鳥居近くに刺さっているチガヤは99%抜かれた後。それでも、茅の輪をくぐり手合わせして、青々としたチガヤを探して、小さい茅の輪を作りました。

ここからが私オリジナルの儀式。赤い紙に「蘇民将来之子孫也」と書いて茅の輪につけ、正月から飾り続けた伊勢の注連縄から木札のみ残してセットします。木札、表には「蘇民将来家之門」、裏にはセーマンドーマンが書かれております。これで悪霊対策バッチリ。(なのですが、赤い紙がなかったので、今年は未だです)。

 


 

足の指にヒビ

足の指にヒビが入り、歩行困難状態、引きこもりです。

22日にぶつけて患部がどこかよくわからないまま、万が一ギブスをはめられると動きがとれないので医者には行かず、24日、朝の山鉾巡行から夜中の還幸祭まで、指が当たらない下駄ばきで走り回ったのですが、翌日レントゲンをとると、やはりヒビ。場所がずれていたら手術だったと脅されました。びっこひきひき牛歩状態につき、昨日は東京の会議も欠席。次第にズキズキ痛みが増してきて、京都宅にて籠城中。

例によって治療に最低3週間と言われていますが、痛みが引いたら、左足に白い包帯撒いて、右足は白足袋で、タクシー移動ならお茶会には行けるかもと目論む前向きな私。治療用スリッパに呼応する水色のお草履を、この春、ない藤さんの蔵出しで購入したのを思い出しつつ。

環幸祭

御旅所に7日間滞在された神々は、神輿に乗って氏子地域をめぐり、八坂神社に戻ります。それを先導するのが久世國中神社のお稚児さん。長刀鉾のお稚児さんと違って、こちらは騎乗のまま八坂神社の境内に入れると書いてあるのですが、果たして本当なのか。暗いのでわかりにくいかもしれませんが、たしかに、白馬に乗ったお稚児さんをカメラに収めました。この後、三基の神輿から神々が本殿にお遷りになり、祇園祭は一区切りです。宵宮祭同様、境内が真っ暗になるので、荘厳な雰囲気に包まれます。

後祭宵山

後祭宵山の夜は静かで情緒があるのです。北観音山の日和神楽が町をめぐり、もうしばらく経つと南観音山で暴れ観音が始まろうという時間帯です。

祇園祭後祭 曳き初め

山鉾風流。17日の前祭が終わると、後祭の鉾建てが始まり、20日は曳き初めです。

38度39度の猛暑で倒れそうだった今年の祇園祭。出歩くより室内で優雅に過ごすことを選択してしまいました。まずは無名舎吉田邸の2階から眺め、後半は自ら曳き初めに参加。何年も重ねてくると、祇園祭友だちができるもの。普段は茶友だったりもするのだけれど。

神幸祭

神幸祭は毎年、観る場所を変えているので不確かですが、最近は久世稚児さんを花見小路で乗せてしまうのでしょうか。最初に見たときは、強力さんの肩に乗り、四条通で騎馬していたのですが。あ、八坂神社を出た後、花見小路の一力さんで休憩されるのです(←神さまだから敬語)。

久世稚児は、長刀鉾のお稚児さんとは別です。お神輿を先導するのです。久世國中神社の氏子の中から選ばれるのですが、首からご神体である駒形を下げています。こちらは荒魂、長刀鉾が和魂。あわせて祇園祭なのです。

ところで、帽子の女性、白馬の担当のようですが、神となったお稚児さんについて歩くの、女性でいいのかどうか、微妙な気がします。

祇園祭前祭 おかえり

前祭、例年は新町御池で山鉾を撮る私ですが、今年は新町通にある某町屋の鉾見台で優雅に拝見いたしました。四条烏丸を出た山鉾は、東に進んで河原町を北上し、御池通を西に向かって、烏丸通をまたいだところで、今度は南に下って鉾町へ帰るのです。帰路につく鉾を町屋の二階から見るというのが、なんとも贅沢な愉しみ方なのですが、今年は浴衣姿の祇園甲部の芸妓さんたちとご一緒できて幸運でした。それにしても紗月ちゃん、すっかり大人になって、びっくりです。

祇園祭前祭 巡行の朝

17日朝、前祭の山鉾は、四条烏丸の交差点から東へ向かいます。朝9時前、先頭の長刀鉾は会所から後ろに下がり、交差点真ん中へ。そこに囃子方、禿二人、そして強力(ごうりき)さんの肩に載せられたお稚児さんが入ります。神さまの子ゆえ、地面に足を着けてはいけないのです。今年のお稚児さんは実に表情豊かでよく笑っていましたが、この瞬間は少し緊張気味。

無事に巡行を終え、長刀鉾を降りる瞬間は、御池新町で見られます。今年は新町通り某所の鉾見台にいたゆえ、ここでお稚児さんの写真をカメラにおさめたのでした。