2003年4月23日

六本木ヒルズ

六本木ヒルズのプレ・オープニングに行ってみた。あまりの人ごみに圧倒された。正式なオープンは2日後だというのに恐ろしく大勢の人々が押し寄せている。エスカレータの乗り降りでさえ、すし詰め状態だ。景気がよかった時代、お中元商戦真っ盛りのころのデパートに匹敵する。

かくも大勢の人々を集めたのは、各店舗が一斉に関係者を招待しているからだ。しかし、その招待状を持たない人間は、六本木ヒルズの中には入れない。入場者のチェックは厳重に行われている。そこに集まっているのは、「選ばれた人」なのである。人によっては、数箇所から招待状が届いていて、それをこなすのが大変なのだという。昨日、アントワープ・ダイヤモンド銀座店のオープニングに呼ばれた際、そこに集った著名人がそんな話をしていた。高見恭子さんのところには 10通近く、デイブ・スペクター夫人はホテル・グランドハイアットのレセプションに行くのだそうだ。その言葉どおり、六本木ヒルズを歩いていると、高見さんにばったり会った。彼女の紙袋は、招待状を持つ人にのみ贈られる記念品でいっぱいだ。同じく安藤和津さんもにも遭遇した。「8時から仕事なの。それまでに全部こなすの大変なんだから」と言いながら、招待を受けた店をすべて駆け巡っていた様子だ。

なにせ六本木ヒルズは広い。東京ドーム8個分と言うだけのことはあり、歩きまわるだけで十分に痩せられる。レイアウトがよくわからない分、余計に広く感じるのかもしれない。初めてディズニーランドにやってきて地図を片手に迷ったときと似ている。よその大学の学園祭に呼ばれて、あちこちの模擬店を訪れた学生時代も思い出される。そう、ここは一種のテーマパークなのである。

壮大な映画館には、多くの芸能人が招待されているらしい。椅子の作りなど贅沢にできていると評判だ。しかし、私自身は深夜上映もしていた「シネ・ヴィヴァン」が存在していたときの六本木のほうが好きだ。WAVEの地下にあった「シネ・ヴィヴァン」は知る人ぞ知るヨーロッパのいい映画をたくさん上映していた。グルジアの奇才・パラジャーノフ監督の映画を見たのも「シネ・ヴィヴァン」だった。たしか放送大学の高橋和夫先生も一緒だった。イランに詳しい先生が、パラジャーノフのことを教えてくれたのである。

森ビルは17年前からこのプロジェクトを進めていたという。ある日突然、WAVEがなくなると告知されるまで、恥ずかしながら私はそのプロジェクトを知らなかった。旧テレビ朝日も壊され、麻布十番からつながるのだと聞かされても、どれほどの変貌を遂げるのか、当時は検討もつかなかった。ここまで未来都市さながらの空間になってしまうとは。再開発とは聞こえがいいが、私の知っていた風景はすっかり消えてしまったのである。高層ビルにさえぎられ、ここのエレベーターホールから眺めることができた東京タワーはもうない。六本木駅から西麻布交差点に向かうまで、地上をまっすぐには歩けない。途中、エスカレータで二階に上がらないと、道を渡れないのである。麻布警察の向かい側にあった鈴木酒店は六本木ヒルズに移動すると貼り紙があった。繁華街にありながら、どこか下町の匂いを残していた六本木の人々の営みをすべて飲み込んで、六本木ヒルズは誕生したというわけだ。

丸の内や汐留の再開発に比べ、六本木ヒルズは宣伝が上手く、ずいぶんと話題になっている。昨夜の式典には小泉総理や石原慎太郎東京都知事も招かれている。その様子はニュースでも流されたが、それ以外にも式典があったそうだ。

「うちの主人は8時からなのよね」とは、最初の式典に出席した建築家の友人が隣に座った大宅映子さんから聞いた発言だが、どうやら式典の招待客にもランクがあるらしい。

森ビルの立ち退き要請を承諾した六本木の住民たちは、どの式典に招かれたのだろう。そんなことを思いながら、昔のたたずまいを残す店を一軒一軒確認しながら、西麻布へと歩いた。