2003年6月7日

バーゲン奮戦記

このところセールの時期が早まっている。5月末まで肌寒くて長袖のJKを着ていたのに6月7日にはもう夏物のセールが始まるのだ。次から次へとセールのお知らせが手元に届くから恐ろしい。ここで誘惑に負けてはまた貧乏生活に戻ることになる。今年はイタリアでも春夏物先取り買いをしている。もう、セールには出かけまい。

ところが、友人の嘆きが私を地獄へと誘(いざな)った。リストラの嵐はフリーライターにまで及び、友人は営業活動が必要になった。だが、いざ営業となると着るものがないという。このところ家にこもっていた彼女は、怠惰な性格も手伝って、むくむく太って肩や袖が入らないのだそうだ。そこで浜松町で開かれるイッセイ・ミヤケのセールに私もでかけることになった。サンプルセールは葉書がないと入れない。それにイッセイの服は初めてなので一緒に見立ててほしいといわれてしまったからだ。

それにしてもセール会場では判断力が鈍る。なんで買わなくてもいいものを買ってしまうのか。限られた時空で競争心をあおられると、結果的に無駄遣いに走るようだ。

入り口で渡される大きなビニール袋にまず、めぼしいものを放り込んでいく。来ている人々はみな、生き馬の目を抜くような勢いだから、そのスピードに負けないようにかなり欲張った確保に走るのが共通の心情だ。だから出遅れると美味しいものは見当たらないが、数時間後にははっとする掘り出し物が顔を見せることになる。ハンターの目になっているから、その瞬間が危険なのだ。

今日もそうだった。殺気立つ会場の空気に毒された私たちは、空腹に気づいて食事にでかけた。頭をクールにして何を選ぶか、しばし考えようというわけである。ところが、会場に戻ってくると、急にアイテムが増えているではないか。羽織ってみると、どれもこれも友人に似合うものばかりだ。

くわえて今年のイッセイのセールは定価の3分の1の額がつけられている。このお値打ち感が私たちの背中を押してしまうのだ。財布のひもを締めていたはずの私さえ、何点か購入するはめになる。イッセイ歴の長い私はオンタイムでラインアップをチェック済み。何に価値があるか、よく承知している。

友人も私もいい買い物をしたはずだった。だが、会場から外に出てみると、本当に必要なものを購入したのかどうかは非常に怪しい。なんだか買った喜びよりも徒労感だけがどーんと残ってしまった。

もっとも二人が裕福だったら、どうってことはない。目が肥えて価値がわかるのに財源がない二人の悲劇。金があっても価値がわからない人間が多い日本社会で、なんだか空しさだけが残った一日だった。