3月19日 大統領のうつわ1

今日はイラク攻撃から1年。タイミングを合わせたかのようにアルカイーダのNO2を包囲したというニュースが飛び込み、朝から報道番組はアメリカ外交一辺倒だ。ワシントンの教育機関に爆弾が仕掛けられたとかで、公立学校はみなお休みとなる。大学関係者もこの情報に腰が引けて、「ブッシュのせいで自分たちの日常がこんな脅威に置かれてしまった、いい迷惑だ」と怒る始末。私はといえば、図書館に通いもせず、ジョージタウンの町を歩いてそそくさと帰ってきた。
はるか台湾では、総統選挙がおこなわれる。その前日に総統・陳水扁が副総統・呂秀連とともに撃たれ、衝撃が走った。きっと彼に同情票が集まるだろう。瞬間、私は「自作自演」を疑ってしまった。というのも、今回の選挙は、前回負けた二人、つまり国民党の連戦党首が総統候補、親民党の宋楚楡党首が副総統候補として一本化しているため接線になりそうからだ。対して、陳氏は国際社会の注目を集める作戦にかけていた。レファレンダムを狙っていたのだ。「中国が台湾に向けて496基のミサイルを配備していることに対して直接投票を実施する」と総統権限で言い出していたのである。その延長線上の出来事だったから、ワシントンでも一部で、「自作自演説」が広がったのはもっともだ。私の直感的な反応はしかし、そこにあるのではなく、私自身、陳氏をあまり評価していないことから来ている。
私の陳水扁の力量への疑いはすでに10年前、90年代半ばに遡る。こうした考えのもち主はそのころ、きわめて少数派だった。95年、現総統が台北市長時代、当時の総統・李登輝が台北で投票するにあたって、彼はそこに随行していた。その腰巾着そのままの姿から、彼の指導者としての器を信用できずにいる私だったが、台湾の友人たちはこう言ったものだ。
「僕たちはそれこそ彼が戦ってきた姿を見てきたからね」
85年の選挙で遊説の際、呉淑珍夫人がトラックにひかれ下半身不随になった。この事故は外省人による政治的テロだったとの見方が主流だ。そうした事件を通して彼への支持は高まり、台湾独立機運とともに彼は台北市長、そして総統に選ばれるに至ったのである。彼は「台湾独立」を願う人々の期待の星だった。貧しい農民の子である彼が政界に踊りでる姿も台湾の高度成長と重なったし、妻の呉淑珍夫人が車椅子生活を余儀なくされてもなお、台湾のために闘い続けるという姿勢が人々をひきつけたのであった。言ってみれば、彼は時代の申し子だったのかもしれない。
くわえて国際社会の評価も高かった。欧米の経済誌かニューズマガジンで21世紀の期待される政治家100人(ビジネスマンも含まれていたかもしれない)の中に、彼はランクインしていたほどである。
しかし、彼はその内外の期待を見事に裏切った。就任してすぐ、台湾人の間では台湾の将来に対する不安とともに彼の指導者としての力量に失望感が広がっていった。02年に私が久しぶりに訪れた台北では、人々の間ではこんな日常会話が広がっていた。
「台湾でこのまま餓死するか、大陸に乗り込んで一発勝負をかけるか。それ以外に我々台湾人に生き残る道はない」
台湾経済が低迷する一方で、中国の発展には目を見張るものがある。独立どころの騒ぎではなく、自分たちがどう生き残るかが問題だ、というのである。日本同様、経済苦で自殺する人々も多いのだといっていた。折しも、陳総統は金融政策の失敗などからその支持率が政権発足以来、最低だった。
今回の事件がきっかけで、同情票から陳氏に投票する人が出てくるであろう。しかし、かつてのような期待はない。もっといえば、選挙に対して盛り上がりにかける。中国の勢いの前に、一部の推進派を除けば、かつて独立を支持していた人々は弱気になっている。
さりとて、対抗馬の連戦候補が当選すればいいかといえば、李登輝政権の副総統だった彼には、まったく人徳がない。悪しき国民党のイメージ、いわゆる「黒金政治」のイメージを払拭することは不可能だ。「黒」とは黒社会(マフィア)、「金」は金権政治を意味し、台湾の腐敗政治を意味する表現であるが、国民党はそのイメージが重すぎて、人々は投票に後ろ向きになるのである。かくなる上は、国民党が早く世代交代をすることである。台北市長の馬九英を上手に育てれば、まだ芽はある。マスクがいいこともあるが、彼には爽やかなオーラがある。これは、指導者として必要最低条件だと私は考えている。残念ながら、陳氏はそうしたオーラに欠けているのだ。
つくづく李登輝は大物だったと思わされる。昨年、マレーシアのマハティールが首相の座から退いた段階で、アジアの指導者が軒並みこつぶになった。時を同じくして、かつて朝貢貿易でこの地域を君臨した中国の台頭が重なることは、必ずしも偶然ではないだろう。
新しいアジアの歴史は中国を中心に流れが変わろうとしている。