4月12日 イースターに韓国映画「2009」

 地下鉄のエスカレータは深くて長い。大江戸線に慣れた東京人にはさして驚くことでもないだろうが、十分に老体であるため停止していることは珍しくなく、下りはゆっくりの上に揺れがひどく、めまいがしそうである。上りは途中から屋外になるので、雨なら途中で傘を開かねばならない。それでも、空に向かっていく開放感は、トンネルを抜けるときに似て、心がはずむものである。

デュポン・サークル駅なら、南口より北口のエスカレータにさらなる趣がある。周囲に高いビルがないため、途中から高くて青い空が広がっている。夜なら星が瞬くのを眺めながら、秋には黄金色の大銀杏を見上げながら、物思いにひたる時間は十分にある。

一昨日も夜空を仰ぎながら考え事をしていると、反対側のエスカレータの男の子たちがいきなり大声で叫んだ。振り返れば、私に向かって手を振っているではないか。

その二人は、数日前に食事をともにしたロッキードに勤務する青年たちだった。彼らは田中角栄の名前すら聞いたことがないらしいが、私たちにすれば、ロッキードといえば日本の首相を追い込んだスキャンダルがまず浮かぶ。もっとも私が彼らに会ったのは、取材でもなんでもなく、アイリーンという香港出身の学部生が私を彼らの食事会に連れて行ったためである。

たった一度しか会ったことがないのに、この偶然。映画かドラマのワンシーンにありそうな、エスカレータ越しのすれ違い。こんなに長いエスカレータでは、恋人が反対側まで上ったり下ったりして追いかけるのは時間がかかるなあ、などとシナリオを描いているうち、彼らは深く深く地下に沈んでいったのだった。

実は、彼らに今夜も会うことになっていた。アイリーンのルームメイトたちがイースターで家族のもとに帰るので、オープンハウスディナーに呼ばれていたのである。本来は娘であってもおかしくない学部生やその先輩と「つるむ」のも不思議なものである。だが、彼女たちの目線で行動すると、たとえば日ごろは見逃しているドラマを見るチャンスに恵まれ、発見がある。今日は彼らが毎週チェックしているという「アリエス」という女性のCIAのダブルエージェントが主人公の物語だった。

その前に「2009」という韓国映画をDVDで見た。18時に人を呼んでおいて、それから料理を作りはじめるというのがアイリーンの段取りだったからである。韓国が国策として国家予算をつぎこみ映画制作の充実を図っていることは知られているが、「首里城」や「JSA」とは違った赴きがあり、どこかテレビゲームを思わせるつくりが稚拙のようでもあり、ダイナミックでもあった。日本からは仲村トオルが参加して好演していた。Back to the Future の韓国版とでもいおうか。しかし、もっとポリティカルで日本人には心がいたむ映画だ。伊藤博文が暗殺された時から100年ということでこのタイトルがついているらしいが、半島と日本帝国の関係がわかっていない日本の若い世代には、このシナリオに潜在的に刷り込まれた感情がちゃんと理解できないだろう。徹底的な半日教育を受けた韓国の若者と同じようには、21世紀まで朝鮮半島が日本に支配されているというレトリックの持つ意味が響かないだろう。

この映画が日本で公開されるときには、どうか日韓関係の近現代史をあわせて学んでほしいものだ。歴史の副教材と日本の高校の授業で扱ってほしいものだ。それには、教師にも歴史観がないとだめなのだけれど。