アムトラックにて

いま、アムトラックの中です。新幹線のような列車で移動中。NYペンステーションからワシントンDCのユニオンステーションへと向かっています。
ネットがつなげるから、嬉しくなります。同時進行です。
PCを開いているのは、なぜか女性が多いですね。若者か、ワーキングウーマンか。男性は疲れているのか、眠っている人がほとんど。あ、一人、デーブルをはさんだボックスシートに移動して、仕事を始めました。
たったいま、フィラデルフィアに着きました。

NYエアポートバスにご用心

NYにやってきた。
JFK空港から15ドルのバスに乗る。これで2回目だ。
大きなバスでグランドセントラル駅に着いて、そこからホテル組とペンステーション組が分かれて、荷物とともに目的地に送り届けられる。ワシントンDCのように、乗り合いシャトルもあるのだが、15ドルの値段に引かれて、これに乗ってしまってしまった。前回は、とんでもないハプニングが起きたことを、すっかり忘れて。
あれは一昨年の12月だったと思う。駅で乗り換え、イタリア人と二人、後ろの座席に乗ったのだが、ホテルに着いてみると、私のスーツケースが無い。たしかに、大きなバスから荷物を出し、各自が道路を渡って、ドライバーに荷物を渡したのだ。一体、どこに消えたのだろう。いや、今日から、どうやって私は過ごせばいいのだろう。
怪しいのは、この、ろくに英語が通じない中国人ドライバーだ。事態の重大さも飲み込めていないらしい。もしも見つからなければ許さない。彼に思い切り抗議して、同僚と連絡を取らせた。こういうとき、なぜか急に英語が上手になる私だが、相手も相手で、絶対に自分のミステイクは認めない、荷物が勝手に車から降りたといわんばかりの開き直りようである。こういうときは、引いたら負け。徹底的に闘う。
その車に乗った場所に戻ってみると、なんと、私の赤いスーツケースは道路にポツンと放り出されているではないか。誰にも持っていかれなくて本当に良かった。資料や日本からの土産物がどっさり入っているのだから、初日に消えては、困るのである。
道路に残されたスーツケースを見張っていて同僚たちは、私にすこぶる同情的だった。どうやらチャイニーズの彼には、こういうポカが頻繁にあるらしい。
にもかかわらず、彼は一度も謝らない。ホテルに送り届けた段階で、チップを要求する、厚顔無恥な輩である。せめて最後に一言謝ってくれれば、チップはチップとして払うつもりだったのだが、またまた腹が立ってきた。彼のせいでホテルに着くのが遅れたのだ。しかも、ホテルでスーツケースを卸してくれたのは、ベルボーイであって、彼ではないのに、なぜ彼がチップを要求できるのだろうか。
とはいえ、転ばぬ先の杖である。以来、いかなるときも、自分のスーツケースが載せられるのを見届けてから自分が乗り込むことにしている。だから、今回は何事も起こらないはずだった。しかし・・・
再び呆れた事件が起きた。今度は途中で投げ出す、という形で、である。
事を起こしたのは、やはり中国人ドライバーだった。彼は私のホテルをみつけると、後ろを指さして、「あそこだ。ここから歩いたほうが早い」そう言うと、さっさと車から降りて、私の荷物を路上に置いたのである。そして、  資料が一杯つまったスーツケースを自ら引きずって、横断歩道を渡れというのだ。
それはおかしいと抗議してみたものの、スーツケースは既に降ろされている。彼の中では、ぐるっと周って前につけるのは大変だという言い訳つき。根っからの怠け者なのである。しかも、当然のように、チップを要求する。それは筋が違うだろう。彼には、大型バスから降りるときに、既にチップを渡している。それでも、ホテルに着いた段階で、さらに渡すつもりで用意していたのだが、仕事を真っ当しない人間が、なにゆえチップを要求  できるのか。ずうずうしいにもホドがある。
乗るときには、つい黒人女性の明るさに誘われて切符を買ってしまった私だが、思えば、この会社で中国人にあたると、まともに仕事をしないことを忘れていた。ラテンアメリカやアフリカからやってきている人々は気持ちよく仕事をこなすのに、なぜだろう。前回と同じかどうかさえ記憶にないが、彼のせいで、華人系移民の印象が悪くなる。
今度は乗り合いバスにしよう、と前回も誓ったことを思い出した。こうやって書き留めれば、もう忘れないはずなのだが。

アバクロ銀座店

「可愛いですね、その服。アバクロですか」
サンフランシスコで購入したオレンジ色の綿ニットJKを着ていると、東京でよく声をかけられる。どうやら胸の刺繍のマークでアバクロと判別できるらしい。
偶然、ホテルの前にアバクロのショップがあったために中に入り、一枚買って帰った私だったが、思いのほか評判がいいので、これならピンクも購入してしまおうと、銀座の店を訪れた。
入るなり、男性ヌードの写真。ワイドショーのレポート通りだ。イケメンの男たちがエレベータに誘う。店全体があたかもクラブのようにビートが鳴り響く。
エレベータは7階だけで止まる。上は女性、下は男性ものと分けているらしい。狭い敷地に建てたのだから、そういう構造になっているのだろう。
その小さな面積のわりには、各フロアに店員が多い。ハーフの坊やたちばかりで、英語で話しかけそうになる。彼らはモデルクラブに属しているのだそうだ。オーストラリアとのハーフという青年に尋ねると、入って1ヶ月なので、マネージャーに聞いてみるという。
だったら、自分で見てみようと階段を昇ってみた。結果、日本には入っていないことがわかった。商品の説明にも時間を要した。ショート丈でジップアップの綿ニット。いくら説明しても、見たことがないのだから、通じないわけだ。着てくれば、話は半分で済んだのだろうが、朝晴れていたので、つい洗ってしまった。
それにしても、このブランディングは見事だ。サンフランシスコの店とは大違い。あちらは「H&M」や「フォーエバー21」と変わらないカジュアルな雰囲気なのに、この仰々しいこと。一歩足を踏み入れた途端に、視聴覚ともにクラブの様相を呈している。COACHも最初に日本に上陸したときは高級感があったのだが、アメリカではMACYSあたりで安価に売っていることを考えると、ブランディングの仕方ひとつで日本の消費者が大枚をはたいていることに驚く。
銀座線の外苑前で降り、青山の「フィアット・カフェ」に寄った。教授の還暦のお祝いをここで開こうと考えているからだ。赤の内装が還暦にぴったり。
打ち合わせの後、店のスタッフにアバクロ話をしたところ、さすが若者。銀座の店はNY五番街の店と同じコンセプトだと教えてくれた。なるほど。NYのトライベッカあたりでも面白い店作りをしていそうなものだが、まあ、次回はNYの店をチェックしてみよう。

銀座めぐり

アメリカ取材に備え、銀座に買い物に出た。
まずは、「スリムドカン」が切れているので、東銀座で降りて、「銀座まるかん」に行く。かつては歌舞伎座の楽屋からすぐのところにあったが、さらに日本橋寄りに移った。そういえば、新宿紀伊国屋本店1階に、斉藤一人氏の最新刊『微差力』が並んでいたが、店頭には漢方系サプリ、化粧品のほか、一人氏の書籍も並んでいる。
次に、おみやげの「朝日あげ」を買いに、銀座に誕生したという「播磨屋」へ。いつもは、霞ヶ関の金毘羅神社の近くの店で購入する。文部科学省の斜め前にある店には無料のカフェがあり、知る人ぞ知る静かな穴場スポットであった。おせんべいを色々試食しつつ、お茶やコーヒーも自由に飲めるので、「朝日あげ」と「華麗満月」で迷う私は、そこで試食してから、気分で決めて購入していた。
ところが、銀座のカフェは勝手が違う。明らかに、無料カフェを狙ってきている人がたくさんいるのだ。霞ヶ関ではコーヒーは陶器のカップだが、こちらは紙コップ。しかも、エコに配慮して一人ひとつまで、お煎餅も然りで、もしも、節操のない人をみかけたら、忠告しあいましょう、とアナウンスが流れるのだ。昨秋にオープンしたここには、無料でおせんべいが食べられるからと、銀座とは思えない振る舞いをする人が大勢押し寄せているのだろう。
その後、「アバクロ銀座店」を初体験してから、「ユニクロ」を覗いた。少し前まで「ユニクロ」では買わないとあれほど堅く決めていた私も、成田空港でスカートを購入したのを皮切りに、抵抗がなくなってしまった。案の定、色違いのスカート1980円が1280円になっていたので、購入する。結構、中年女性客も多いのに驚いた。
なんだかなあ。「PRADA」で中国人が買いあさっている一方で、日本人が安価な「ユニクロ」で買う姿を見るのも、複雑なものがある。これは近未来の縮図であり、バブル期以降、日本人も同じことをしてきたように思う。
最後は名鉄メルサの「ユザワヤ」へ。かつて、私はここの「シャルル・ジョルダン」に通ったものだ。テナントが高級店のイメージがあったメルサに、蒲田や吉祥寺の手芸ショップが出店とは、時代は変わったものだと思う。たしかに店頭にはデコラティブはパーツが豊富に並び、日本に手作りの波が来ていることを実感する。ユニクロで買ったウェアを自分オリジナルに変化させる。思えば、大学生のころまで、私自身もよくやっていたことで、このほうがずっと健全なのかもしれない。知恵を絞ることを強いられる意味で、老化防止にもつながる。
ほんの数時間、銀座を巡っただけで、色々なことが見えてきた。しかし、日本人の心に宿る銀座の街のイメージからほど遠いのも事実。果たしてこれでいいのか、考えてみる必要がある。

そろそろ気忙しくなり・・・

春からホームページを刷新すべく、昨日はずっと打ち合わせ。
今日のお昼は、グランドハイアットのフレンチキッチンで、別件の打ち合わせ。初めて来たが、高級感のある空間。かつては千円の違いならバイキングを選んだのだが、話し合うことも多々あり、アーモンドのポタージュとステーキに。いずれも美味であった。
その後、国際文化会館へ。
税務署は明日、訪れることにする。

父の命日

昨日は父の命日。少し遅くなったので、霊園に向かうのに、生田駅を降りてからタクシーに乗った。
「こんな雨の日に、立派ですね」
ドライバーが言う。
七回忌の法要は一週間前に終えていたが、命日には墓参をすると決めている。遺族にとっては当たり前の墓参の風景が、いまの日本では日常の営みから消えているということだろう。
1月に息を引き取った母と違って、3月は花屋の店頭に春の花がたくさん並ぶ。せっかくだから、菊などの仏花ではなく、ヒヤシンスだの水仙だの、香しい花を供えることにしている。外苑西通り沿いの、10本単位だからリーズナブルの花屋で色々みつくろい、残りは遺影の前に生けた。
色使いが、欧州のウインドウを彩るキリスト教の復活祭のよう。
缶ビールを供えて父に語りかけていたら、急に寒くなった。予報によれば、翌日は雪とのこと。風が冷たくて、雑巾を洗う手がかじかんだ。
今日になってみると、雪ではなく、冷たい雨。水仙もヒヤシンスも頑張ってくれるだろうか。線香が消えた後も、そうした花の香に誘われて、父の魂が安らぐといいのだが。

みかわ是山居、初体験

生きている間に、ここに来られてよかった。そんな夜だった。
歳を重ねると、そうは感動することに出会えないものだが、「すきやばし次郎」のとき同様、「みかわ是山居」を体験すると、人生観が変わる。ここにくれば、誰もが謙虚になるのではないだろうか。
山本益弘さんのおかげで、昨夜は「みかわ是山居」のカウンターに座らせていただいた。早乙女哲哉氏の仕事は実に奥が深い。
いかに水を抜くか。魚を知り尽くし、科学的に計算した上で、粉と水と空気の割合や揚げるタイミングを決めているらしい。車海老を扱う指の美しさ、白魚を一匹ずつ揚げる手首のしなやかさ、とにかくセクシーなのである。
かくも甘い車海老にこれまで出会ったことがない。胴体と頭が全く違う。名古屋生まれで海老好きの私が口にしてきたものは、何だったのだろうか。きす、いか、うに大葉、しらうお、めごち、穴子、アスパラガス、ふきのとう、サツマイモ、はしらのかきあげ。薄い衣、香ばしい衣、どれもこれも、魚のベストを衣の封じ込めてなお、衣そのものの魅力的なことよ。なんとも至福の瞬間・・・。
早乙女哲哉氏が日本に存在してくれたことを、私は日本人として誇りに思う。