『ワシントンハイツ』書評および著者インタビュー


「クロワッサン」2009年8月10日号


「波」2009年8月号


「北日本新聞」平成21年8月30日朝刊


産経新聞 平成21年9月6日朝刊


毎日新聞 平成21年9月8日夕刊

クロコ1
週刊読書人 平成21年9月11日号


北海道新聞 平成21年9月13日朝刊


朝日新聞 平成21年10月4日朝刊


「SAPIO」2009年10月14日号


「週刊ポスト」2009年10月16日号


週刊現代 2009年12月売


Japanese Book News spring 2010

アマゾンランキング2位@週刊朝日 2010年12月31日号
週刊朝日 2010年12月31日号

2011年11月 丸善丸の内店 松丸本舗にて 杏さんが推薦してくださいました

kopi luwak

 コレクションにアップしていますが、こちらにも写真を載せます

映画で話題になった、ジャコウネコのコーヒーです。

ジャカルタでは同名のカフェが昨年からショッピングモールに誕生し、1杯8ドルだったと記憶しているが、お土産用に写真のようなパッケージも売られている。45ドルくらいだったと思うが、定かではない。

世界で最も高いコーヒー「コピ・ルワッ」

これがかの有名なジャコウネコのコーヒー「コピ・ルワッ(ク)」です。パンフでは「世界でもっとも高いコーヒー」とうたわれていますが、ジャコウネコが食べて腸内発酵させて排泄したときに出た豆で、滅多に手に入らないとされています。

私も昨年ジャカルタでインドネシアの友人に勧められ、ショッピングモールの専門店で試してみました。1杯8ドルか10ドル。ジャカルタでは破格です。最初の能書きで「フォックスのプー」だと言われたら、美味とは思えないのですが、これが香りが良いので、びっくりです(ルワックというインドネシア語が理解できないと言ったら、フォックスだと説明されました)。

実はこれ、映画「ザ・バケット・リスト(最高の人生の見つけ方)」(ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの棺おけリスト)のおかげで、ちまたではすでに有名らしい。

写真はおみやげパッケージ。これで50ドル前後(2010年には値が上がり、70ドル弱)。

珊瑚+琥珀にご用心!

これは失敗でした。TOO MUCHです。

8日の日曜日、還暦のお祝いだからと、司会者としては赤いジャケット(ハートのスカートともにモスキーノ)を着たのですが、珊瑚だけでは上が寂しいからと、赤い琥珀を足したのが大間違いでした。ジャケットも赤なので、少しくらい首が寂しくて、珊瑚だけで我慢すべきでした。肉眼だと気にならないのに、写真に撮ると、琥珀の透明感が軽く見え、珊瑚の深みとの違いが如実に映し出されてしまいます。

珊瑚はロスでSALEもの。ポーランド経由の赤い琥珀は表参道の琥珀サロンで。会場は赤いラインの際立つ青山フィアットカフェです。

もしも米軍基地がなくなったなら・・・?

米軍基地がなくなったら、どうなるのだろう。
そんなシミュレーションをするのがマスコミの役割と思ってきたが、昨夜のフジテレビMr.サンデーでそれを取り上げていたのが興味深い。もっと色々な番組で議論すべきだ。
このままいけば、アメリカが日本を切り捨てることも十分にありうるのだが、そのとき日本政府はどうするのだろう。
当然、自衛隊を国軍化する声も出てくるだろうし、非武装中立国として貫き、自国防衛だけを考える選択もある。そうしたことを、米軍を追い出してから考えるのではなく、いまごろから議論すべきではないか。選挙の争点にしてもいいくらいだ。
それに、沖縄経済はどうなるのだろう。フィリピンのスービックのような経済特区にすることで、米軍施設で働いた人々全員に、平均年収400万円の仕事がまわるとは思えない。これまでのように無税とはいかないし、米兵が町に落としたお金も当てにはできない。電力もガスも需要が激減する。政府からの補助金が打ち切られれば、地元のゼネコンはたちまち経営難に陥るはずだ。
沖縄の問題は、市民の嘆きだけでは見えてこない。そうした声を利用して、誰がどう潤ってきたかを考えてみる必要がある。歴代の首長たちが全員、市民の味方とは限らないと私は考えている。

還暦の祝宴

このところ、恩師のイベントが続き、ドタバタと忙しい日々が続いている。あえて言い訳をすると、ブログを更新できずにいたのも、そのことと無縁ではない。
ひとつは上智の大学院教授・寺田勇文先生還暦のお祝い。もうひとつは、15日に朝日ホールで開かれる書家・石川九楊先生の講演会である。前者は世代を超えたゼミ生、後者はいろいろな職種の塾生、いずれも素人による手作りなので、遅遅として進まないことも多い。恩師への感謝の気持ちを形に出来るのは嬉しいのだが、素人でチームを組むのは時間がかかる。
金曜日は書の稽古の後、20時から打ち合わせが始まった。全体の運営から入ったので、演出にまつわる打ち合わせは23時半から。シナリオを任された年配者がワープロを打てないため、司会の私が打ち込み役を担うことになる。最初にシナリオを手がけた人の思いも尊重しつつ、途中から採択されたその年配者の案を尊重しつつ、両方に不満が残らぬように打ち変えて昼に完成させたものが、この打ち合わせで一気にひっくり返る。お二人が手探りで構成案を出していたのだが、どうやら先生の気持ちに追いついていなかったらしい。それでも、石川先生の意思が確認できたので、私としては、そこに沿って作り変えればいい。これで楽になった。案を出した人たちに気遣わずに済む。
土曜日は教授還暦の祝宴の日。その前に一本打ち合わせを入れ、その後、準備に入る。こちらは青山の「フィアットカフェ」が会場で、赤を基調にした会場は、還暦にうってつけだ。
先生には秘密裏に進める祝宴運営は、先生の鶴の一声とはゆかず、価値観や意見の違う若い世代との擦り合わせが簡単ではなかった。一般社会とは一線を画す、大学院という場での若い世代の考え方が想像以上に自分とは乖離していて、現在の日本社会で起きていることの断面を見た思いである。
夜は「自分が主役になることは人生にそうないから」とにこやかにおっしゃる先生に、三次会までご一緒した。なるほど、「結婚式は(主役率が)半分」なのだから、出版記念会や還暦、退官のお祝いと、限られた機会のみ主役を張るのは確かである。
世代をつなげる中心的役割を担った研究者夫婦によって、心温まる文集も作成された。今日になって読み返して、改めて先生の生きざまそのものが、現在、研究者として活躍している人々に大きな影響を与えてきていることを確認する。
私自身は、教育者とはこうあるべきだ、と寺田先生を尊敬してきた。研究者としての資質と教育者としてのそれが共存する人は、そうはいない。
院生だったころから、還暦のお祝いは自分が開くとイメージしてきた。研究者にならなかった私はゼミ生のなかでも異端児のままだが、それでも、そう名乗りたくなること自体、先生の魅力を物語っていると私は思う。

シベリア産マルチトルマリン

アバクロ銀座店には入ってこなかったオレンジのニットがコレ。LAのジューシークチュールでみつけたワンピースと合わせるのがいい感じです。このワンピース、赤、青、黄の小花が描かれているので、なんとなくマルチトルマリンをつけたくなります。

右手には、ロードクロサイト3本。左にはキャッツアイルチル2本。いずれも台湾で購入。週末だけ開かれる石の市場でみつけたものです。

ぺリドット色スプリングコート

このコートはCOACH製です。数年前にワシントンDCに取材に行った折、ジョージタウンの路面店で買いました。たしか25%オフで、300ドル弱になっていたかと思います。裏地にCのシグナチャーが一杯プリントされているのと、脱いだときに着たときのままを形状記憶してしまいそうな硬さが気になりますが、ぺリドット色は「風光る」感じをかもし出して、とても元気になります。