初句会、そして大人ツタヤへ

今年の初句会は代官山で。終了後、皆で「大人ツタヤ」に向かった。

聞きしにまさるお洒落で新しい空間。一度は足を運ぶ価値あり。私にとって嬉しいのは、雑誌のバックナンバーがそろっていること。大宅文庫まで行かずとも、手にとって資料検索ができるのである。

虹@会津→郡山

昨年の話で恐縮だが、11月23日の会津エンジン06の折、会津から郡山に向かうバスの中から見た虹。

アイフォンだし、写真にすると鮮明でないのだけれど、雲の間に虹のアーチが見えるだろうか。肉眼では、本当に太くて、7色が鮮明で、180度の弧が見えたのである。

七草がゆ

毎年七草粥を欠かさない私だが、今朝のは特に美味だった気がする。体調がいいということか。それともお米? 七草は神奈川産と書かれたスーパーで買ったパック。煮込んだ時間がほど良かったのか、それとも、とろろ昆布を足したのがよかったのか。

こんな話を友達にしたら、放射能汚染が疑わしいから神奈川のは買わず、自分は京都の七草をデパートで買ったと言っていた。私も神経質だが、彼女にはかなわない。子どももいない同世代なのに、あの徹底ぶりにはいつも驚かせれる。

富士の夕景

都内のあるビルから写した日没の風景。

沈む夕陽の右に見える小さな白い三角が、富士山です。

朝はきっとクリアに見えるのでしょうね。

骨に異常なし

尾てい骨が心配で、朝から病院へ。レントゲンの結果、ヒビが入るなどということはなかった。移動が楽になるように、コルセットを渡された。

それよりも、診断書が5千もするのにびっくりした。フライトをキャンセルした航空会社にファックスした。

インドが外国人個人投資解禁

インドの株式市場が外国人の個人投資を解禁したというニュースが入ってきた。今年は日本の証券市場にマネーが集まるのかと思いきや、どうやらインドに向かいそうだ。

ガイアの夜明けのゴールドラッシュでは、インド人のゴールド熱を放送していた。中国の発展はとりあえず終わって横ばいに。これからは、インド経済、そして韓国経済がバブルになるのだろうか。

今日は出雲大社東京分祠に参拝。六本木通りをはさんで、ヒルズの反対側にある。いつもは静かだが、さすがに正月は混んでいる。尾てい骨がまだ痛み、階段を昇るのが難儀だった。私の次回作にも登場するので、請ご期待!

夜はホテルオークラへ。タクシーから降りるのに、ベルボーイの差し出す手がどれほど神々しくみえたことか。そう、起き上がるのが難儀なのだ。レストランは待ちが出るほどの混みよう。でも、バーなら、静かに過ごせる。これ、万国共通。もっとも、早い時間に限られるのだが。

2012年正月 若冲「雨龍図」の帯


新春のお喜びを申し上げます
伊藤若冲の「雨龍図」を名古屋帯に仕立てたもの。色は正確ではありません。撮り直してアップしますね。
辰歳の元旦にこの帯をデビューさせるつもりでしたが、尾てい骨を打ったために和服を着ることを断念。かがめない、踏ん張れない、よって帯を結ぶことはできません。
まずは帯だけこちらに紹介。節分明けに結び始めるつもりです。

2011年12月 筆と墨の帯

 今年は石川九楊塾楽書会東京展、12月に開かれました。その受付のため、和服を着て、この筆の帯をしていくつもりだったのです。ところが、うっかり藍の紬を着たら、滑らないのでうまく結べず、時間切れで洋服で出かけてしまいました。
考えてみれば、この写真を撮ったときには、大島を着ていたので、どうにか結べたわけです。みともさんのセールで手に入れたこの名古屋帯は、堅くて結びにくい。もんでやわらかくすればいいのでしょうか。書展用に購入しただけに、ちょっと悔しい。
この大島は母の現代物と思われます。サイズが大きいので、身幅があまります。

2011年11月 シクラメンの帯

アメリカではオレンジ一色のハロウィーンが終わっても、サンクスギビングデーがあるのでしばらくおとなしいのですが、日本では、11月半ばから街のディスプレイがクリスマスモードになり始めます。

さすがに和服では11月から赤と緑にまとめるのは抵抗があります。そんなとき、母のシクラメンの名古屋帯を締めたくなります。ある程度、寒くなっているのが前提ですが。
着物は母の娘時代の大島。黒地に緑の幾何学模様。右下に垣間見える袂のなかのエメラルドグリーンが自慢です(わざわざ染めた八掛の経緯は2006年にあります)。鮮やかな緑は、クリスマスモードの12月にも意味を持ちます。

ちょっとした受難

本当は昨日、新年の抱負を述べたいところだったが、神棚のレイアウトを直そうとして、元旦早々、尾てい骨を打った。痛くて、痛くて、途方にくれていると、そこへ地震が起きた。都内は震度4。暦の上では、まだ12月で、昨年3月と同じ星の並びである。やはり無事には済まされないらしい。

七福神めぐりをと考えていたが、とても七箇所も歩けそうにない。地元の氏神さまを参拝するのが精一杯だった。平地を歩くのも苦痛で、一歩一歩踏みしめつつ、かなりの高齢者を思わせる歩みとなった。さらなる問題は、境内の階段が登れないことだった。手すりをつかんでも駄目。体重をかけると、尾てい骨に響くのである。

起き上がるのが無理。しゃがむのも無理。軽い踏ん張りがすべて駄目。腰掛けているのも苦痛。原稿が書けないのだ。ひたすら安静にして直すしかないという友人の助言もある。

腰痛とだけは無縁だった私の人生が、これで狂い始めたということか。痛みさえとれれば、どうにか乗り切れると思うのだが、念のため病院で検査を受けるに越したことはない。

実は辰年の正月、若冲の龍を描いた帯を締め始めるつもりだったのだが、尾てい骨をやられては、とても結ぶことができない。これが一番の心残りである。