夏越の大祓

文庫版の再校正に赤を入れたものを新潮社に届けた。大きな荷物を降ろして、ほっと一息。文庫には写真も入れいているので、かなり読みやすい印象を与えるはずだ。不思議な心地よさとともに、外に出た。

あまりの眩しさに、思わずサングラスをかけた。だが、強風のせいだろうか。日陰だと妙に涼しい。日傘姿の女性が目立った。これだけ風があれば、傘をさすだけでも熱中症を防げるのではないだろうか。

そんなことを考えながら神楽坂を下ってきたら、「夏越の大祓」の文字。そうだ。今日は6月30日。思わず、赤城神社の鳥居をくぐった。

儀式は11時に終わっていたが、賽銭箱の手前に茅の輪が設けられていた。八の字にまわって厄を落としてから手を合わせた。文庫版『ワシントンハイツ』が出版されることを感謝しつつ、多くの人々に読まれるように、と。

 年に2回、ちゃんと大祓ができたら、どんなにいいだろう。東京の神社で「茅の輪くぐり」ができる神社も限られているが、私自身もつい忙しさにかまけて6月末を忘れてしまう。神楽坂を下ってこなければ、今年も上半期の厄落としできずに終わったかもしれない。

 それから国会図書館に向かった。提出したものの、念のため事実関係をいくつか確認をするためだ。現代史ノンフィクションを書くのは、こうした果てしない作業の連続である。

防災グッズの点検

今朝、久しぶりの地震警報に緊張した。NHKBSで海外ニュースをチェックしていた折だ。岩手県沖が震源地。しばらく津波警報が出ていた。

この1ヶ月ほど、週末の街に繰り出す人が多いことに驚いている。暑さも手伝い、気の緩みにつながらなければいいのに。ここはひとつ気を引き締めて、もう一度、防災グッズを整えよう。

乾電池やお水、お米など、いまのうちに買い置きしよう。何かあれば、すぐに店からモノが消えるのは学習済みだ。くわえて、LEDライトや笛、電池で動くラジオや携帯充電器、カセットコンロは大丈夫だろうか。浸水したときに備えて、食べ物の備蓄はあるか。

避難所に行くことを考えれば、メガネ、バンドエイド、薬、ムヒパッチ軍手も必需品。できれば、スナック、下着やソックス、タオル、タオルケットもスーツケースに入れておくといい。瓦礫の中からもすぐに取り出せる。

15ヶ月ぶりの句会

昨夜は久しぶりに百夜句会に出席。黛さんをパリに送り出してからだから、15ヶ月のブランクである。帰国後初の句会には、私の都合で出られなかった。 

俳句脳を取り戻すのは、容易ではない。何を詠もうにも、理屈っぽいこと、この上ない。ようやく4句そろえて出たものの、選句でも苦労した。感覚が鈍っている。 

締め切りがないと動かないのは私の悪い癖だが、半年以上のブランクは危険だ。落ちこぼれたままの書塾でも、年に一度、書展のために無理矢理、作品に仕上げているところに、かすかながらも進歩がある。 

続けることはもちろん、間を空けないことも大切だと、身にしみた夜であった。

HumanBand に注目2

お待たせしました。WINDOWSでも、音楽が聴けるようになりました。

2012年3月11日、 東日本大震災から1年が過ぎた日、わたしたちは海に向かっ て立ち、 目を閉じ、 どこまでもどこまでも手をつなぎあって、 いつまでもいつまでも祈ることでしょう。

ぜひ、ご参加を。そして、世界中のともだちに呼びかけてください。→http://www.humanband.jp/

菖蒲園で1年前の感動に浸る

明治神宮の菖蒲園を訪れた。1年前、日本エッセイスト・クラブ賞の結果待ちをした場所である。左は、吉報を受けた瞬間の写真だ。

土曜日ということもあり、10時でも行列ができるほど。とくに年配の方々が皆、美しい菖蒲の花をカメラに収めようと必至だった。右の花は本日、本人が撮影。

私はといえば、1年前のときめきを思い出し、あの初々しい気持ちを取り戻すことができた。発表の2日前に増刷が決まり、受賞で刷り部数がさらに増えた。その後も、多くの人の目に留まり、読んでいただけて本望である。興味を持ってくださった方々に感謝。ありがとうございます。

来週からはまた文庫版の再校正、それに次回作の原稿に向けて、気を引き締めねば。

HumanBand に注目1

昨日のブログ、意味不明でしたね・・・。

世界が祈り始める・・・とは、来年の3月11日、東北の海岸で皆で手をつないで、祈りを捧げ、感謝しようという試みです。まずはウェブで祈りが始まります。

ボランティアに行くのも中途半端では足手まといだし、チャリティで日赤に義援金を送るのも、どこか偽善的な気がしていました。一過性のブームで終わらせず、息の長い支援を、と考えて準備してきたのが、POWER  NEW TOHOKUなるプロジェクト。ウェブ脳を持った若者たちとのコラボで、HUMAN BANDはそのひとつです。→http://www.humanband.jp/

WINDOWSだと音楽が出なかったり、まだ不具合が少し残っているので、このブログでの正式な呼びかけは完璧になったとき。週明けくらいになります。APPLEの人は音も出ます。WINDOWSの方、とりあえず、映像上ではつながっています。

日本発なのだから私は着物で参加しようと、根津美術館に行ってきました。KIMONOをクリックしてみてください。母の藍染のぼかし、色がきれいですね。これが、HUMAN BANDだとどう映るでしょうか。背景も違います。

興味のある方々にはぜひ参加していただきたいので、自分の祈る姿をイメージしておいてくださいね。世界中の友人に声をかけます。どうぞお楽しみに。

2011年06月 藍のぼかし@HumanBand

 

母の藍染の単衣を久しぶりに着ました。根津美術館の庭で撮影。外光で見ると、藍のぼかしがまぶしいくらい。母は、これにどんな帯を合わせていたのだろうか。この白地の帯は祖母のもの。母が他界してから譲り受けました。絽の襦袢と帯揚げは蜘蛛の巣文。紫織庵製。

タイから訪日していた友人を、表参道駅まで送った後、きれいな女性から声をかけられました。どうやら、このブログを見てくださっているようです。ありがとうございます。
ところで、私は、このきものでHumanBandの参加しています。撮影したのは、根津美術館入り口の回廊。隈研吾さんらしい設計です。大震災以来、短期間のボランティアもチャリティで日赤に義捐金を送るのも、どこか自己満足の匂いがして抵抗がありました。HumanBandはもっと息の長い支援を、と若者たちと一緒に進めているプロジェクトPower New Tohoku の一環です。来年の311、 東日本大震災から1年が過ぎた日. わたしたちは海に向かっ て立ち、目を閉じ、 どこまでもどこまでも手をつなぎあって、. いつまでもいつまでも祈るのです。詳細はこちら→ http://www.humanband.jp/

NHK 「おひさま」

家にいるときは、毎朝NHKの「おひさま」を観ている。日本の昭和史を、戦争へと突入していく日本の様子を、こんなに自然に伝えられるドラマっていいなあと思う。ノンフィクションには出来ない技だ。羨ましくもある。 

主人公が教師をすることによって、戦中戦後、学校で起きることを描くことが可能だ。彼女がたった1日の結婚生活で夫を戦地に送り出す設定、一番上の兄が軍医に、二番目が海軍航空隊に配属され、父が名古屋の飛行機工場で働くことになり、女学校時代の友人が東京に出て行くというのも、特攻隊の存在、名古屋の空襲、東京大空襲と、若者に昭和史を学習させるお膳立てが実によくできている。

 なにより主人公を演じる井上真央さんが可愛くていい。辛口の私が思わず絶賛してしまう若手女優の一人だ。TBSの「花より男子」以来、注目している。自然な明るさを演じられるのは、井上真央さんか、少し前なら「篤姫」の宮崎葵さんだろう。そういえば、彼女も同じ枠で昭和史を描いたドラマに主演していた。

若尾文子さんが若い頃を回想するという設定なのだが、この手法は、「おしん」も同じだった。自分が現代史への理解が深まってから再放送で観ると、辛抱の連続を通して貧困から這い上がる視点で、昭和が見事に描かれていたと感心したものだ。さすが橋田先生である。

他方、「おひさま」はタイトルが示すように、主人公の明るさがゆえに、ほのぼの感がある。泣いてしまうシーンでも、どこか救いがあるのだ。主人公の家族が貧困層でないところが大きいのかもしれない。当時の女学生や子どもたちの純朴さを垣間見られるのも、視聴者をほっとさせてくれる重要なポイントである。

大震災から3ヶ月、いま地球で起きていること

東日本大震災から3ヶ月が過ぎた。

地球上での天変地異は、東北だけで終わらない。日本にもまた、やってくる。それが地震なのか、火山噴火なのか、地盤沈下なのか。浸水だけで済むのか。

 だから、原発は止める方向で考えるべきなのだ。そういうと、私が後ろ向きだと批判する人がいる。彼らは、震災以前の日本(=経済活動)に戻れると考えているのだ。だが、それは間違っている。 彼らは自然をなめているのだと私は思う。

震災は地球からのメッセージなのだ。これまでの人類のありようは通用しなくなることを、私たちは自覚すべきである。太陽との関係で地殻変動が起き始めた以上、地上で生かされてきた人間は、同じ営みを続けることは不可能なのだ。自然災害は世界中に降りかかり、世界地図が変わろうとしている。これまでと同じ経済活動は維持できなくなる。

 そのことをいち早く気づいた国が勝ちなのである。最悪の事態を想定して戦略を変える企業が存続できるのである。ドイツは賢い。イタリアの国民投票の結果も気になる。とにかく発想を転換しないかぎり、生き残れない時代がやってきたということだ。

個人レベルでは、私が3月以降積み上げてきた防災対策を、今後、少しずつご紹介したい。そう思っていたら、あとがきの初校が届いてしまった。