東京で揺れを感じて

地震が起きたとき、めずらしく家にいた。扉を開け、玄関でしゃがみこんで、揺れが収まるのを待った。

昨日は秩父、その前は新潟に行っていたので、タイミングがずれていたら、電車が止まって、立ち往生したのではないだろうか。秩父市役所は倒壊したと告げられている。

こういうときは、勤め人のほうが大変らしい。姪も義妹も自宅で無事だったが、弟は帰宅困難者として、会社にとどまるという。テレビでは、築地本願寺や学校が滞在場所として開放すると伝えている。母校の都立新宿高校もその対象らしい。数年前、冷暖房完備の新校舎に建て替わったが、こういう形で都民の役に立てれば、都税も無駄ではなかったということになる。

夕方まで、地域によっては、電話が通じなかった。こうしてネットがつながるのが救いだ。ダウンを着たまま、PCに向かっている。毛皮も必要かもしれない。笛も懐中電灯も。コンタクトと眼鏡は傍に置かねばならない。阪神大震災のとき、私は関西テレビで自分の番組を持っていたが、被災したスタッフが教えてくれた。近視の人間には、眼鏡を枕元に置くことがいかに大切か。

夜になって、コンビニに出向いた。水も米もあるが、非常食がない。パンとおにぎりは売り切れ。カップ麺は残っていた。道路は車がすずなりに。若者たちは三々五々、グループになって歩いて帰宅している。このあたりがどの方向にも渋滞することは少ない。花火大会の後を思わせる不思議な賑わいだった。

テレビを見ていると、津波の怖さを思い知らされる。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。