2002年8 月11日掲載 住基ネットの危険性 些細な兆候見逃すな

 国の仕組みを変えようと時に、国民に説明責任を負うのは政府である。だが、この国の政府は説明が常にあいまいで、真の狙いは別のところにあるのではと疑いたくなる。しかも公務員による不祥事が頻発する中でのことだ。彼らの「モラル」を全面的に信用しろというのは、土台無理な話である。
 5日に稼動した「住基ネット」について、問題点の具体的な検証が連日報じられている。
6日付特報面には、個人的恨みから他の職員の情報にアクセスしていた例や、著名人の所得を興味本位で見ていた税務担当者のいい訳が取り上げられている。また、デスクメモでは、市役所職員に依頼して個人データをとったという過去を自ら白状している。
 片山総務相によれば公務員は「善意の人」だそうだ。何の説得力もない空しい言葉だ。たとえ職員が善意のつもりで流した情報でも、いじめやストーカー行為、果ては犯罪に悪用される可能性も否定できない。「善意の人」かどうかなど、全くどうでもいい話である。「人間のやることだから」と開き直る小泉首相に至っては、話しにもならない。
 本来、このシステムは「個人情報保護法」によって、厳しく規制されるべきものだった。しかし同法は多くの反対の声にさらされ先送り。にもかかわらず官邸はシステムのみを稼動した。先月来、本紙社会面のシリーズ「プライバシー危機」ではその勇み足を浮き彫りにしている。「急ぐのは自治体のため」という政府の矛盾を暴き、さらに某議員の「官僚にだまされた」という声など、ドタバタ劇を伝えている。
 だが、メディアはそうした特定の人物に有利な法案を生み出した日本社会の構造にまで切り込むべきだ。感情を煽るだけで本質を突かないのであれば、何も論じていないに等しい。総務相や首相の弁と同じである。
 「住基ネット」の危険性の検証はあえてここでは省くが、実は三年前、改正住民基本台帳法が成立する前後にメディアは既にその問題を報じている。しかし、市民の耳に届いていたとは言いがたい。本紙では、記事以外に社説やコラムなどでも集中的に取り上げていた。政治に関心が薄いのであればなおさら、執拗にキャンペーンを張ってでも主張し続ける必要があった。それこそがメディアの使命だ。
 既に稼動している以上、もはや歯止めを万全にする策を練るしかない。最低限、アクセスした履歴を保存し、本人が知る権利を保障すべきだ。また、情報を流した職員は懲戒免職とする罰則規定、組織ぐるみの犯罪を監視できる第三者機関も至急設けねばならない。
 長い間、権威主義体制の国々を歩いてきた私には、番号制導入にぬぐい難い抵抗感がある。旧ソ連・東欧など共産圏では、国民がロボットのように扱われてきた。盗聴や密告による監視社会。個人の尊厳を無視し、番号で管理する目線。日本の為政者も同じ目線を持てば、独裁国家への道を失踪する危うさを孕む。
 それを食い止められるのはメディアしかない。是正できることは一刻も早く訴え、同時に些細な兆候も見逃してはならない。