3月11日14時46分。その時刻に、黙祷

追悼式との中継を見ながら、1分間、目を閉じただけで、涙が出てきました。10年経っても、私の心に深く突き刺さっているのだから、ご遺族や被災された方々の心中やいかばかりか。改めてお見舞いを申し上げます。
あの日、あんなにも長く大きな揺れを体感し、日々津波の映像を見たことで、私は長い間、恐怖の中にいました。余震を考えると自宅のお風呂で洗髪する勇気はなく、美容師さんと励ましあったのを思い出します。
そのあと東京には「別の問題」が生じます。計画停電と水道水の放射能汚染。飲料水確保に奔走しながら、原発が爆発するかもしれない。東京は壊滅するかもしれない。外国の要人は日本を出たらしい。
「日本政府(菅かん政権)は事実を隠蔽しているのではないか」。
私たちは猜疑心と恐怖心で混乱していました。NHKBSは海外ニュースを停め、外からの情報は遮断されていたのです。しばらくはネガティブ・オーラが東京を覆っていたように思います。今日は一瞬、あの言いようのない不安な気持ちが蘇りました。
10年経ったいまも、こうして生あることに感謝するとともに、改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。