三宅一生さんのご冥福をお祈りします 1

ドイツ語のプリーツプリーズの本に、20世紀末の私のマンションの様子が掲載されています。カメラマンの都築響一さんの連載「着倒れ方丈記」プリーズプリーツ編で取材を受け、それが転載された形です。写真はママでなく、一部を掲載(母の形見となった桐たんす、削ったばかりでピカピカです)。
なで肩の私はキャスター時代、肩パットのある服を選んでいました。NHK「ナイトジャーナル」では、ティエリー・ミュグレーを購入していたのです。高島屋がライセンス契約をし、スーツなど日本人にあうデザインが豊富にあったころです。
その後、週一の関西テレビ通いと東南アジア取材モードになると、プリーズプリーツが主流になります。アジア圏では足を隠せるロングスカートが好ましいのと、移動にかさばらないのとで。(民放はクレジットが入るので、番組衣裳はスタイリストさんが借りてくれていたので)。
このプリーズプリーツ、東京では最初、クリエーター系女性の服で、どこか遠い感じでした。制服と呼びたくなるほど、パーティに行くと、お姉さまたちが黒のドレスに身をまとっていたのです。次第に色のバラエティが増え、私にも似合う色が制作されるようになって、この世界にはまっていきます。
東京の「よしおか」でも講座を持っていらした染司の吉岡幸雄先生には、「からだに優しいシルクを着るべき、アキオさんみたいに化繊を着たらあかん」と嫌味を言われていましたが、プリーズプリーツのワンピとカーデガンのコーデ・エクササイズは、和服の帯と着物のコーデの基礎になっています。
いまでも手元に残しているのに、なぜ着ないかって? お腹が出ているからです。プリーズプリーツは着る人のフォルムに忠実です。特にワンピを着ると、おなかの出っ張りが仇となるのでした。
ドイツ語版のこの本に登場する面白い柄、ほとんど私の手元にあるの、恐ろしいです。少し涼しくなったら、ご供養の意味でも、久しぶりに袖を通してみましょうか。おなかを引っ込める努力とともに。
表参道のお店でイッセイさんと交わした会話については、また改めて。
合掌