母の命日と阪神淡路大震災

1月17日は、5時台に目覚めた。阪神淡路大震災から28年。そして2年後の同じ日、母は帰らぬ人となった。動脈瘤術後破裂。手術から4日後。63歳だった。
ゆえに、この日は黙祷と墓参の日。今年も京都から新幹線で墓苑に向かう。四半世紀以上経っても、思い返すと辛い1日。
当時、関西テレビで番組を持っていた私は、早朝にテレビをつけて事態を知り、まずスタッフの身を案じた。そして、私自身も、しばらくは現場取材の人となった。だから他の東京人と全く違う感覚で「私ごととして」この事態を受け止めていた。他方、311の日、関西人の反応は冷たいと毎年感じている。
京都脳と東京脳の”バイリンガル”になろうと決めた私だけれど、もっと多くの人々がお互いのことをもっとリアルに受け止めたらいいのに、とつくづく思う。さらに言えば、世界情勢についても。虫の目ではなく、鳥の目を持つことが、実は自分の家族を守ることにもつながることに、そろそろ目覚めて欲しいと思っております。