9月○日  投票を拒否する人々

 まずいことになった。明日の選挙ではゴルプット(白票)がたくさんでるかもしれない。昨夜から日曜日の今日、別件の調査でいろいろな人の家を訪れえているが、そこに集うご近所さんは、みなゴルプットだというのである。これでメガワティが負ける確立が高くなった。

先日、TBSのニュースバードで電話レポートをし、勝負は五分五分で、メガワティにもまだ勝つ可能性が残されていると話してしまったというのに、どうしよう。

今回の選挙はイメージ戦略だ。対抗馬のSBYが世論調査で高い数字を示しているのは、イメージ戦略が成功しているためである。思い出してほしい。3年前に小泉総理が登場した時、彼によって日本は変わると信じたし、メディアはそれを煽った。SBYも全く同じなのである。森前総理がメディアに対して愛想が悪かったように、メガワティもメディアにオープンではない。そこを逆手にとったのが、小泉総理の秘書飯島氏であり、SBYのブレーンたちなのである。まずはメディアの取り込みに成功し、SBY旋風を作り上げた。

今回の選挙は、こうしたイメージ戦略にたけた候補者vs古い金権政治を行使する現役大統領との戦いといっても過言ではない。金権政治といえば聞こえが悪いが、考えようによっては、これは相互扶助の精神から来る伝統でもある。かつての日本の自民党政治を想像してもらえばわかりやすい。

アメリカと日本の機関が行った世論調査によれば、常にSBYが約60%でメガワティが約30%、SBYが圧勝である。こうした調査は主に都市部ではそのとおり反映されるものだ。しかし、実際にジャカルタに来て見ると、意外にメガワティ支持者が多い。 7月の選挙を見る限り、あたかもメガワティとSBYの差は調査で30%はあったものの、結果は10%に縮んでいる。この差は何なのか。

7月の選挙に関してみれば、調査を行った時から実際の投票までの間に、メガワティ陣営からの働きがあって変わるというものだ。調査の時には流行に乗って「SBY」に投じると答えても、たとえば、前日に村長さんから電話が入り、「メガワティさんのおかげでわが村にも道路ができたじゃないか」。そう言われて、SBYからメガワティに変えたと言う人が少なくないらしい。つまり、伝統的手法が効を奏したということになる。

国内外のメディアは、世論調査を反映してSBY優位というのだが、ジャカルタの人々に聞くと、「うーん、わからない」というのが答えなのだ。これは市井の人々から元政治家にいたるまで、すべて共通している。つまり、欧米的メディア戦略が、相互扶助の精神で彩られたこの国の伝統的慣習をぶち破るのかどうか、見極めがつかないというのである。

もうひとつは、ジャカルタで聞いて歩くと、SBYは軍人だから駄目だという人たちが結構いることだ。そういう人たちは、反SBYから「メガワティに投票する」と答えるか、「どちらにも満足していない」と答えるのである。つまり、再び軍人支配になるのは敵わないけれど、メガワティにあと5年任せていいのかどうか疑問だというわけだ。

こういう人たちは、前日になってゴルプットにすると言い出したのだ。これは計算外。その分、反SBY票がなくなるのだから、メガワティの勝算は消えるわけである。

彼らはこう考えるのだ。どちらかに投票すれば、ムスリム(イスラーム教徒)としては自分の選択に責任を持たなければいけない。だから投票しないのだ、と。

個人的には、ここでメガワティが勝って5年のうちに評判を落とすよりは、僅差で負けて、惜しまれて引退するほうが、本人にとってもスカルノ家にとっても幸せだと私は考えているのだが、スハルト政権が倒れてわずか6年で、再び軍人の手に国家運営を委ねるのも抵抗がある。正直、私がインドネシア人でも難しい選択である。

9月○日 大使館爆破事件とインドネシア大統領選

  ジャカルタで開かれたある日本人研究者の講演に足を運んだ。
 「今回の爆破事件は大統領選挙に影響するのでしょうか」
 会場からの質問に、彼はこう答えた。
 「この時期の爆破事件はインドネシアの風物詩のようなもの。選挙に影響を与えるとは考えにくい」
 しかし、私の友人である地元記者は別の見方をする。この事件のおかげで、やはり力強い軍が必要だ。メガワティでは駄目で、SBYが大統領になるべきだ。そう思う人が増えるのではないかというのである。
 さらに、彼はこう続ける。これは軍が仕掛けた可能性が高い。ジュマ・イスラミアが首謀者としても、軍の関与があったはずだというわけだ。
 たしかに、このシナリオは否定できない。スハルト政権崩壊後、インドネシアではさまざまな改革が行われた。諸悪の根源と言われた国軍改革では、警察と国軍を分離させた。
 警察が国内治安を、国軍は対外的なものを担うという構図だ。それまで最もおいしかった特権は、交通違反の罰金などである。ここが警察に持っていかれた。しかもメガワティ政権になって、警察が優遇され、国軍は冷や飯を食わされた格好だ。彼らがスハルト政権時代の過去の栄光を懐かしむは誰にも止められまい。
 もしSBYが大統領になれば、再び国軍の天下の可能性が出てくる。軍人たちがそう考えても不思議はないし、この可能性にかけるしかないだろう。2年前、学生活動家から、こういう噂を聞いたことがある。国軍内に流通したSBYによるペーパーはこう語っていたという。インドネシアの治安維持のためには、一度軍人の手で政権を担う必要がある。そして安定を確保した段階で、文民の政権に戻せばいい、と。
 SBYの真意はわからないが、このペーパーによって、軍人たちが喜んだのは想像に易い。だから、なんとかして、SBY大統領になってほしい。一部の軍人たちにとって、これは悲願ともいえる。
 そして、彼はこうも疑うのだ。アメリカが陰で関与していたのではないか、と。
 ワシントンではメガワティは評判が悪い。SBYになってほしいと心から願っている。私は1年の滞在を通して、それを痛感した。主な理由は、彼女がテロ対策に積極的でないからであり、もうひとつの理由は、父スカルノが大嫌いだからである。
 ワシントンではマハティールに対して感情的な批判をよく耳にした。公然とアメリカを批判する彼が疎ましかったからである。それと同様のことが、かつてインドネシアのスカルノ大統領に対してもあった。彼を倒すために、CIAが外島の反乱を誘発し、支援したことはあまりに有名である。
 そうした経緯から、インドネシア人は、すぐにCIAの関与を疑う傾向にある。スカルノの失脚とスハルトの浮上は、アメリカのバックアップがあってのことだという説は、この国には根強く存在している。その目線が消えることはなく、バリのディスコ爆破事件のときも、CIAの関与が取りざたされた。アメリカ人の犠牲者が少なかったからである。
 彼の考えにそって見ていくと、たしかに、メガワティの留守を狙ったところが怪しいのだ。彼女がブルネイ王室の結婚式に出席するために国を出た翌日に事件は起きた。この国では、大統領の留守を狙って不穏な動きがあったことは珍しくない。
 スハルト政権時代から、反乱の影に国軍の誘発ありだったのだが、国際テロの時代になって、ますます本当の首謀者が見えにくくなった。こうした話を続けていくと、向に水を実は裏でスハルトが指示を出しているという見方をするインドネシア人も少なくない。
 一体誰が真の首謀者なのか。イドネシア人が常に猜疑心でいっぱいになるのも、スハルト政権の負の遺産のひとつである。

9月○日 オーストラリア大使館前爆破事件

 ジャカルタに着いた翌日、爆破事件があった。最初はオーストラリア大使館そのものだと報じられ、テレビで現場が中継されたが、結局、大使館そのものはガラスにヒビが入った程度で、むしろ被害は周囲のビルに及び、死傷者もインドネシア人だけであった。
 「バリのディスコでもそう。なぜオーストラリアだけがテロリストの標的になるかしら。アメリカは無事。  これは急進派イスラームの仕業だと思う?」
 と宿でテレビを見ていた数人のインドネシア人に、私は無邪気にこう聞いてみた。
 「急進派イスラームかどうかはわからない。でも反豪感情は皆に共通しているからね」
 「東ティモールの独立以来?」
 「それが始まりだけど、いまの首相の言うことが我々インドネシア人の気持を逆なでするんだ」
 反豪感情――。私にはよく理解ができる。
 ハビビ政権になって、東ティモールがインドネシアからの独立を達成した。1973年に併合された東ティモールは、スハルト政権が倒れたのだから独立する自由を彼らに与えるべきだという国際社会の潮流は納得できる。そこで住民投票を行ったのだが、インドネシア中央政府およびジャカルタの人々は、彼らが独立を選ぶとは考えていなかった。スハルトの圧制で苦しんだのはジャカルタも同じ。しかし、彼のおかげで病院や学校が建設されたのだから、インドネシア人として生きようとするはずだというのが共通認識だったのだ。
 ここまではインドネシア人の傲慢である。自分たちの利権に固執して、武力で独立の動きを封じ込めようとした一部国軍の行使した暴力にも問題はあった。しかし、彼らが許せなかったのは、ハワード首相が「我々がアメリカに代わってアジア太平洋地域の保安官になるのだ」と東ティモールに軍を送ってきたことだった。これにインドネシア人が切れたのである。
 スハルトが東ティモールを併合したとき、オーストラリアはすぐにこれを認めたのである。なのに、手のひらを返したように、「いい子ぶる」のは許せないというわけだ。
 当時、ニュースに映し出されたオーストラリア国軍の兵士たちの勝ち誇った顔。それは、イラクに乗り込んだアメリカ兵と重なる。中東や東南アジアにいきなりアングロサクソンの兵士が武器を携えてやってくる光景は、植民地時代を思い起こさせるのだ。これが、ASEANの兵士だと、そんなには抵抗がない。この違和感について、欧米諸国はあまりに鈍感である。
 もちろん、地政学的に考えれば、東ティモールの行く末は、オーストラリアにとって深刻な問題だった。大量の難民がでれば、引き受けなければならない。そのくらいのことがわからないインドネシア人ではない。しかし、蓋を開ければ、いまの東ティモールはオーストラリアの植民地状態である。ホテルもレストランも、ほとんどがオーストラリア資本、オーストラリアドルを持たないと入れない。これでは、宗主国がインドネシアからオーストラリアに変わっただけだ。インドネシア人はこの現実を知っている。
 ハワードは野心家だ。彼はなんとかして「アジアのアメリカ」たろうとしている。イラク戦争にもアメリカに全面的に協力した。だから、共和党大会でのブッシュの演説でも、同盟国の中でオーストラリアの名前が最初に読み上げられた。
 しかし、ハワードの野心をよそに、アジアはそれを認めない。もちろん許しがたいアメリカのイラク派兵であったが、百歩譲って、あれだけ国力があれば、誰も文句がいえないという要素がある。戦後の国際社会秩序における貢献度、軍事力、経済力、それに機軸通貨ドルの圧倒的な強さには、どこか諦めももてようというものだ。
 オーストラリアにはそれほどの国力はない。まずは自国の経済力をつけて勝負しろと言いたいのだ。ただ、アメリカの真似をして、アメリカに媚びを売って寄り添って、軍隊だけ送り込んで、はい、アジアの保安官です。こんなやり方は卑怯だとインドネシア人には映るのである。
 くわえて、バリのディスコ爆破事件が火に油を注いだ。多くのオーストラリア人が犠牲になったのだから、彼らが犯人割り出しに躍起になるのは当然だった。だが、遺体を確認する際、白人を優先し、インドネシア人を後回しにした姿を、多くのインドネシアのメディアは目撃している。彼らが潜在的に抱く白人至上主義を、人々は見逃さなかった。
 10月の選挙で、ハワードの敗北を祈るのは、アジアの共通の見解かもしれない。

9月○日 ラミー人形

  迂闊にもラミー人形を買いそびれてしまった。
 ラミー人形を初めて見たのは、昨年の秋のことであった。ワシントンのダレス空港で、箱に入ったGIの人形の隣に置かれていた。
 「ラミー人形」
 まさか、ラムズフェルドの人形が存在するなんてことはないよね。イラク戦争の諸悪の根源の一人なのだから。
 しかし、顔の作りがどう見ても、ラムズフェルドなのである。しかも、ラミーはアメリカでのラムズフェルドの愛称だ。GIと並んで国防長官の人形があっても、おかしくはないけど、なんだかなあ。  その時はあまりのおぞましさに、つい買いそびれてしまった。買うことが恥ずかしいとさえ感じた。いまとなっては、話の種に買っておけば良かったのだが・・・。
 日本なら、悪玉の人形といえば、ニュース番組でキャスター席に並べてあるセットのひとつに存在するのがせいぜいだ。いやあ、待て。イスラーム圏にはオサマ・ビン・ラディンの人形が売られているという。アメリカ人なら、それを見て気色悪いと感じるはずだ。私の反応はそれと同じだったのかもしれない。
 人形が存在するくらいなのだから、ラミーはやっぱり人気者なのである。だが、一体、誰が買うのだろうか。ラミー人気を支えているのは、中年のオバサマたちだと認識していたのに、こんな身長30センチ以上もの大きな人形を買って飾るのだろうか。
 911直後にNYを訪れた時、友人はこう言ったものである。
 「ラムズフェルドってさ、カッコいいと思わない?アメリカの理想的なおじ様っていう感じよね」
 彼女のこのコメントは、周囲のアメリカ人の評価を反映してのものだったらしい。ワシントンに来てから、彼が全米の中年女性の憧れの的であることを知る。
 捕虜収容所における虐待問題が出てきた時でさえ、タクシードライバーはこう語っていた。
 「ラミーがすべて悪いのさ。彼が大統領を動かしていたんだから、もちろん、虐待の話だって全部知ってい るはずだ。でも、そのこととは別に、彼は エレガントなんだよ。アメリカの男性はこうあってほしいというエレガンスを持っている。見てくれだけでなく、話し方もね」
 虐待問題が表面化した裏には、アメリカ軍内部での彼に対する反発が存在する。彼は軍の予算を減らし、改革を進めてきた人物だ。アメリカ軍のアウトソーシングが進んだのも、この改革と無関係ではない。それにより、国軍内の士気が下がったことも事実だし、彼に対する反発が現場で広がっているのも想像の範囲だ。
 しかし、虐待問題が取りざたされてもなお、ブッシュ大統領は彼の首を跳ねなかった。そして彼を支えるようにペンタゴンには指示した。ある国軍関係のセレモニーでラミーが演説をした時には拍手が鳴り止まず、テレビの中継を見ていた私は面食らったものだ。
 これも昨秋のことだが、あるシミュレーション・プラクティスに大統領役でやってきたオルブライト女史が、学生の質問に答えてこう語ったのを思い出す。
 「私が大統領だったら、ラムズフェルドかチェイニーを辞めさせて選挙に臨む」と。
 しかし、結局、ブッシュはそうはしなかった。共和党大会に登場させなかっただけでも、意味があったとしておこう。同時に、パウエルも登場しなかったのだが。
 プリンストン大学時代、レスリング部に所属し、政治に携わってきてからはニクソンに楯突いてNATO大使に送られたこの男は、何度も大統領候補を志し、現在にいたる。

9月○日 共和党大会

  なんともノーテンキに見えるブッシュ大統領だが、実のところ共和党の中は一枚岩ではない。それをまとめあげるのに大きく貢献したのが、チェイニーとシュワルツネッガーだ。
 チェイニーは決して演説の上手な政治家ではない。力強いわけでもない。口が歪んで、見るからに冷たい感じがするのに、なぜ、こんなに共和党員には人気があるのか。
 ワシントンに着いたときから副大統領候補をジュリアーニにすべきだと何度も提案していた私だが、共和党関係者からの答は常にこうだった。
 「それは駄目だよ。チェイニーなしでは、ブッシュは共和党をまとめられないんだから」
 彼が裏の功労者というわけだ。
 ならば、持病の心臓発作で副大統領辞退というのはどうだろう。このシナリオも、しかし見事に打ち砕かれた。心臓発作で入院したある人を見舞った時のことである。
 「手術して機械をつけたんだけどね。これをつけると次に発作が起きても、自動的に電気ショック的マッサ  ージをしてくれて、心臓は止まらないんだ。だから死ぬことは絶対にない。350万円くらいするんだけど、  あのチェイニーも同じ機械をつけているらしいじゃない」
 と彼は不死身になったことを喜んでいた。
 もちろん、私の知り合いが元気でいてくれるのは嬉しい限りだ。しかし、チェイニーが続投ということになると、世界全体が迷惑至極。350万円なんて、彼にとっては、吹けば飛ぶような金額だ。イラクも北朝鮮も気が気ではないだろう。
 一方、俳優のわりにスピーチが上手とは思えないシュワルツネッカーは、今回の共和党大会の演出上、大きな意義があったというべきだろう。共和党員であることを強調し、だったらブッシュを支持しよう的な文言は、分裂傾向にあった共和党をひとつにまとめるのに効を奏した。イデオロギーや政策よりも、ポピュリズムで州知事になってしまったシュワちゃんだからこそ担えた役割だ。
 ワシントンに来てまもなく彼が州知事に選ばれたと記憶している、ワシントンでは
 「彼が当選するようでは世も末だ」
 と多くの人が嘆いた。
 また、小泉人気について聞かれるたび、私なりの分析を披露すると
 「あら、まるでシュワルツネッカーみたいね」
 と関心されたものだ。
 シュワルツネッカーはこうも語った。オーストリア人でありながらアメリカで大成し党大会でスピーチをする。これはまさにアメリカの度量の大きさの象徴である、と。このくだりは、アフリカ出身でハインツの御曹司と結婚してアメリカ国民となり、未亡人となってからもファーストレディになるチャンスを有しているケリー夫人のスピーチを食ってしまった感がある。
 で、肝心のブッシュの演説。あれ?小泉さんの名前はないの?
 おまけに、日本や韓国を差し置いて、あれれ、オーストラリアが同盟国のトップ?
 もっとも、オーストラリアのハワード首相は、東ティモールの独立をかけた国民投票のあたりから、「アジア太平洋のアメリカ」を目指してきた。ここは我らが領域。アメリカに待ったをかけて、同盟国として自分たちがその任を負うというわけだ。アフガニスタンでもイラクでも、名実ともにアメリカ支持のスタンスを貫きつつ、自分たちのアジア太平洋におけるプレゼンスを強調してきたのだから、アメリカからみれば、可愛い子分だ。
 この破格の扱いは、アメリカの配慮なのか、ハワード首相の根回しが効を奏しているのか。同じアングロサクソンの血はシンパシーを呼ぶのであろう。そういえば、東ティモールに乗り込んで勝ち誇ったように戦車から顔を出したオーストラリア軍の兵士と、イラクで銃を持ったアメリカ軍の兵士の顔とは、私たちからみれば同じだった。
 日本も軍隊を持って同様の顔をしようなどとは、どうぞ考えないでいただきたい。どんなに頑張って貢献したところで、所詮、アジア人を仲間とは見なさないのだ。アメリカ社会では黒人より低い。そのことを忘れず、小泉さん、慎重にお願いします。

8月○日 アメリカ幻想の崩壊

 おそらくイラク戦争をきっかけに、アメリカは国際社会からの信頼を喪失した。それまでアメリカに抱いていたイメージの悪化は誰にも食い止められない。アメリカ国内に存在する反ブッシュ感情は、そうした現象に対するブッシュ政権への怒りと、わが子を戦場に送り出している親たちの怒りがない交ぜになっているのである。
 私自身、ワシントンで1年暮らしてみて、アメリカへのイメージを変えざるを得なかった。外交についてだけではない。20年以上前、カリフォルニアの青空の下、UCLAでノーテンキに英語を学んだ時には抱いたアメリカへの印象が音を立てて崩れたのである。日本社会のように否定されることがなく、チャレンジ精神を刺激し、誰もが応援団になってくれる寛大な社会。これが私の得た印象だった。それを規定したのは、LAのホストファミリーであり、UCLAのエクステンションの先生たちであり、このプログラムのために働いていたアメリカ人の先輩たちであった。
 しかし、社会人として実際に肌で感じたアメリカは、十分に閉鎖的だった。なにより大学院のブランドで若者の将来が決定づけられ、結果、アメリカ社会が用意したシステムにうまくビルトインされた人間にはきわめて居心地よく、それがなければカネとコネでのし上がるしかない社会。逆にいえば、お金さえあれば、アフリカ人でもアジア人でも、それなりの教育を受けてアメリカ人として生きていく方法が残されている。だが、貧しければ、一生、皿洗いで終わらなければならない。
 アメリカ的システムに寄り添って出世した人たちには露骨にあることだが、自分たちは正しいと言われないと機嫌が悪い。大学教授、元大使、外交官、官僚といった人種である。自分を称え、媚びる人間は可愛いということだ。これは外交においても同じ。アメリカを尊敬し、感謝し、媚びる国には親切だ。だから、小泉政権は評判がいい。しかし、少なくとも経済力の上では脅威となりうる日本は、民主化途上国ほど可愛くはない。アメリカの方針に逆らえば、とことんそれをつぶしにかかる。
 どの組織も日本よりもはるかに官僚的で融通がきかない。最初にイエスと言ったからといって信じてついていけば、最後にノーと言われて、それまでの努力が水の泡ということはめずらしくない。
 入り口では、にこやかに迎え入れられ、機会均等に見えて、実は持てる者が持たざる者から「剥ぎ取る」アングロサクソン的弱肉強食社会なのである。結果、相手を信用できず、自分を守るために攻撃的にならざるを得ない。一人の人間の性格をゆがめるのに十分な社会である。いい人でいると火傷を負う。常に二重三重のチャンスを張り巡らせ、一方を取り逃がしても、他方を生かすくらいの覚悟がいる。
 これが実はアメリカ社会の本質だったのか、社会が変容した結果アメリカの寛大さが失われつつあるのか―。少なくとも、冷戦終結からアメリカ社会が大きく変容したことは否めない。
 問題は、グローバリゼーションの名の下、そうした価値観を国際社会に普遍化しようとしていることだ。小泉・竹中改革の果ての弱肉強食社会が日本のあるべき姿なのか。さりとてアメリカのパワーに抗する術はなく、その中で日本のとるべき道を早急に模索しないと、取り返しがつかなくなるように感じている。

8月○日 アメリカのセレブ

  「ジョージタウンに来ればね、アメリカのセレブと友達になれると思ったのよ。でも、全然出会わないのよ、どうして?」
 ある時、ルーマニアの女性外交官Nはこうつぶやいたのだった。
 「御曹司ってこと?ワシントンではなくて、ハーバードやイエールに行くんじゃないの? ボストンは若者 の町だし、親元からも隔離されるから、便利なんじゃない?」
 Nはジョージタウンにいる間に30歳になった。どうやら結婚生活はうまくいっていなく、国に帰ると離婚ということになるらしい。そんな含みもあって、白馬の王子との出会いにも期待があったようだ。なにせケリー夫人のように、ハインツの御曹司に見初められたケースもある。彼女の中では、モザンビークよりはルーマニアのエリート外交官だろう、と思っていた風である。
 Nは実に英語が堪能である。ゆっくりと明瞭な発音で、言葉の選び方もアメリカ人好みだ。いや、正しくはアメリカの官僚好みというべきだろう。すなわち、彼女はアメリカ人の自信過剰に対し、決して威信を損ねるような発言をしない。その意味ではきわめて外交官向きである。
 たとえば、ルーマニアの立場について説明をする時、こう表現してみせる。
 「あなたたちのクラブ『NATO』のお仲間に加えていただけたことで・・・」
 こう表現をされた折には、元大使のおじ様方は、(失礼、いまでも大使と呼ばないと機嫌が悪いが)、目を細めて喜んだものである。「アメリカのおかげで我々は幸福になりました」的な表現は、アメリカの外交官がもっとも好む。彼女はそのことを知っているのだ。だから、彼女はその英語力で、アメリカのセレブともお近づきになれば、自分は信頼を勝ち取れると考えるのである。
 さすがに私の年齢では20歳そこそこの御曹司との結婚がありうるわけはなく、そういうまなざしでセレブを探したことはない。だが、会えるものならお会いして、得意のホームステイなどをしながら、しばし観察してみたいところではある。
 この話をアイリーンにしてみた。香港で生まれて6歳からアメリカに住んでいる21歳だ。同世代の彼女は射程内にあるはずである。
 「何もわかっていないのね。セレブのお嬢もお坊ちゃまも、キャンパスには滅多に来ないのよ。来てもすぐ  に帰る。彼らには彼らのサークルがあって、その辺の人とは遊ばないの。ましてやアジアやルーマニアの  女子学生なんて、相手にされるわけがないじゃないの。だいたい、いくつなの?その人は。30歳のオバサンでしょ。そん  な人となんで一緒に過ごさないといけないわけ」
 おっしゃる通りである。私などはお母さんの年齢だ。ま、それでも、お家に招いてくれて、パーティなどを覗かせてくれれば、それも楽しかろうに。
 Nがこう話したことがある。
 「私たちはブッシュ大統領が嫌い。いまの政権も嫌い。でもね、クリントン時代にはかなわなかったことが  ブッシュになって達成できたの。わかる?NATOのメンバー入りよ。この点にだけは感謝しているわ」
 外交上、NATOクラブに入れていただくことまでは現政権の思惑で可能だが、Nがアメリカの社交クラブに入れるかどうかは、彼女個人のラックにかかっていると言わざるをえない。まだ、入り口にも行き着いていないのだから。
 彼女も8月にルーマニアに帰国した。

8月○日 危ない「冬ソナ」現象

 朝、K子から突然電話が入った。
 「昨日から東京にいるのよ、実は・・・」
 で?
 「今日、ランチでもどう?Mにも連絡とりたいんだけど、電子手帳をアメリカにおいてきてさ」
 Mもその日は仕事がオフで、13時から井戸端会議パート2を開いた。
 「どう?久しぶりの日本は・・・」
 「なんだかさあ、アメリカのテレビも公正さを欠いていて問題多いけど、日本のテレビ、どうにかなんない  の?オリンピックばっかりで、見るものないのよね。一回見たらわかるんだから、どこの局でも同じこと  を放送するのは止めて欲しいなあ。他にも語るべきニュースがあるでしょ」
 そうなのである。私も同様のことを感じていた。オリンピックの感動は味わいたいが、朝から晩までプロ野球ニュース状態では息がつまる。先日でかけた秩父の温泉宿でも仲居さんが「どこ回してもオリンピックばーっかりでしょ」と話しかけたのを思い出す。終戦記念日にあたって、どんな特番があるかと期待していたが、このテーマについて考えさせてくれた局はなかった。
 「それとさあ、この『冬ソナ』ブームは何?一回みたけど、どこか面白いか、さっぱりわかんない」
 「私もなの。かったるくってさ。母親の世代が昔の日本を思い出して、はまっているらしいんだけどね」とMも同調した。
 昼ドラの「愛の嵐」やかつての「おしん」に見られるように、自分たちが超えてきた時代設定での苦労話が高視聴率を誇る素地はある。だが、このブームは決してノスタルジーだけではないと私は見ている。どこかで、先進国日本で暮らす人間として余裕、とでもいえばいいだろうか。あるいは、近代化を遂げて、日本が儒教社会の呪縛から解き放たれたことに対する確認作業。それは駐在員の妻としてアジアに滞在したときに私の同世代たちが抱くある種の優越感とも似ている。最初は隣国韓国の生活を覗くくらいの感覚で、見ているうちに同情を覚え、昔の日本社会と重ね合わせ、同時にそこを超えてしまった安心感にも似た優越感に浸る。
 それと、我々3人ともヨン様は好みでないのだ。なんとなく頼りなく、正統派のハンサムに何の魅力も感じない。しかも、私たち3人は、彼が韓国の男性の典型でないことを知っている。
 彼は日本でいうジャニーズ系だ。韓国の若者が皆あんなにナイーブでフェミニストか、といえばさにあらず。あと10年もすれば大量生産されるかもしれないが、いまは我々が目にする俳優とサッカー選手くらいで、実際の韓国の男性は、日本の中高年サラリーマンと似た要素が多いのが実情だ。儒教思想に裏打ちされた男尊女卑的考えが染み付いている分、かつての日本男性よりはるかに女性には辛くあたることを知っておくべきである。趣味もなく、女性を喜ばせる術も知らない。少なくとも、私の知る40代、50代の韓国の男性は皆、女性の心がわからない連中ばかりである。
 日韓の壁がドラマによって取り除かれるのは喜ぶべきことであるが、ヨン様一人がすべてと錯覚するのも危険である。韓国の男性=あんなにナイーブな男性と信じてはいけない。思い出して欲しい。イラクで人質にとられ、泣き叫んで命を落とした人の映像を。ああいう表現の仕方は彼らにとっては非日常ではないのだ。
 ヨン様をきっかけに韓国に興味を抱いたのなら、あらゆる側面から韓国について勉強し、日帝時代の日韓関係を知ってほしいと思う。そして、彼らの中に流れる熱い血、どろどろとした憎しみ、日本に対する複雑な感情について熟考すべきである。
 みかけだけの優しさに翻弄されず、内に秘めた民族の血をしっかりと受け止めるだけの強い女性でいてくれればいいと思う。免疫のない日本人女性が韓国人男性と恋に落ち、ヨン様との落差に、傷が深まらないことを祈るばかりの姉たちである。

8月○日 アンタ、所詮、天下りでしょ!

 今日は私の誕生日だ。大学生のころから誕生日を尋ねられるたび、こう答えてきた。

 「8月10日、八頭身と覚えてくだされば簡単です」

  これを聞いた人のほとんどが苦笑したものである。私の世代では八頭身は美人の条件、希少価値だったからだ。八頭身なんて、いまどきの若者の間では既に死後。こんな受け答えじゃ、「サムッ」と言われて終わりだろう。

  しかし、それ以前に、こういう会話も久しくしていないような気がする。率直に年齢を聞かれるのも困りものだが、誕生日を尋ねられないのも寂しいものだ。こういう何気ない変化が、実はオバサン度を証明しているのだ。誕生日を尋ねあって会話が盛り上がったのは20代の特権だったのかもしれない。

  アメリカでは、誕生石から会話のきっかけが生まれることがある。私が「ペリドット」の指輪をしていると、

  「あなた、8月生まれなのね。何日?」

  と地下鉄で隣り合わせになった人でさえ話しかけてくることはめずらしくない。彼女たちは「ペリドット」が8月の誕生石であることを知っている。それほどに誕生石を身につけることがポピュラーなのだ。

  昔は8月の誕生石は、「めのう」だったと記憶している。少なくとも日本ではそうだった。小学生の時だったか、友人と誕生石の話になり、自分の誕生石が「めのう」という地味な石でがっかりした。輝かしいダイヤモンドや真っ赤なルビーが誕生石という友人を羨ましいと思ったものだ。

  いつ、どのタイミングで「ぺリドット」が浮上したのかは定かではない。どちらも8月の誕生石には違いなく、グローバルマーケットにおけるトレンドとして、「ペリドット」が優勢なのかもしれない。

  私自身は90年代に香港の青空市場で初めて黄緑色の石をみつけ、それが「ぺリドット」とのいう名前だと知った。注意していると、母のジュエリーボックスには存在しなかったこの黄緑色の石は、日本でもファッション誌などを賑わすようになる。しかも、これが8月の誕生石とわかったために一昨年、つい大枚をはたいてフランス製の指輪を購入してしまったのだ。おかげで、それにあわせて、黄緑色の服や小物を買いそろえる羽目になった昨今である。

  さて、誕生日といえば、今年は免許書き換えの節目にあたる。ゴールドメンバーの私は書き換えの頻度が低い。知らない間に手続きをとる場所が内幸町から神田に移っていた。神田にそんなところがあったっけ。ようわからんその場所に、炎天下の中、向かうこととなった。

  受付締め切りの16時5分前にたどりついた私は、額に汗しながら窓口に並ぼうとすると、態度だけ偉そうなオッサンがこう言って私を急かすのだった。

  「いまごろ来たの?時間がないから早く並んで」

 16時が受付締め切りということは、お店でいえばラストオーダーである。それまでに受付を済ませれば、なんの問題もないはずだ。退屈な仕事をさっさと終えて、早く帰りたいという怠惰な心根がみえみえだ。

  所詮、天下りのくせに・・・。そう、彼らは警察からの天下りなのだ。税金で働いているのだから、もっと腰を低くしろッつゥの。

  ここの天下り役人はいくら受け取っているのだろう。公証役場では一日に2人しか人が来ないのに、2千万円も受け取っているのだそうだ。本来、天下り役員は子育ても終わっている年齢だ。退職金も受け取っているのだから、年収は500万円でも十分である。名刺と肩書きがついてまわるのだから、メンツが保たれるだけでも有難いと思うべきだろう。なのに、この怠惰な勤務態度。我々の血税をこんな奴らに2千万円も支払うなんて、とんでもない。義務教育の予算を削る前に、こういうオッサンたちの給与を下げるようじゃないか。

  メディアは天下り役人の給与リストを作って公表すべきだ。そして、怠惰な奴を見かけたら、皆でこう罵声を浴びせよう。

  「あんた、所詮、天下りでしょ!」

  誕生日にこんなに怒っているなんて! 歳を重ねるたびに、社会への怒りが増えるのは私だけだろうか。

8月○日 成田井戸端会議

 1年もワシントンにいたというのに、NY在住の友人に一度も会わずに終わってしまった。

 会おうね会おうねと言いながら、気がついたら私の帰国である。で、お別れの挨拶をしようと電話したら(会っていないのにお別れもないのだが)、彼女も同じ日に帰省するというので、成田で同窓会をすることにした。

 アメリカ便はスーツケースを2個チェックインすることが可能だ。これはファーストでもエコノミーでも関係ない。もしもマイレージのステータスがゴールドなら、たとえエコノミーでも3個まで運んでもらえる。この特権を利用しない手はない。

 69ドルで買ったスーツケースを加えて3つ。チェックインまでは順調だったが、問題は成田に着いてからである。日本の小さな台車に3つ載せれば、さすがにトゥー・マッチ。どうにか重ねてみたものの、前が見えない。それにPCの入ったキャリーバッグもある。

 小さなからだで右往左往。税関の質問に答えていると、

 「トコォ」

 誰かが私の名前を呼んでいる。この呼び方は学生時代の私を知っている人物だ。だが、K子の到着は1時間後。一体、誰?

 振り返れば、K子が手を振っている。

 「派手な服だと思えば、やっぱりトコだった。早く着いちゃったのよ」

 本人にとっては派手というほどでもなく、イッセイミヤケのプリーツ・ワンピースである(プリーツ・プリーズとは違う)。ピンクや抹茶色がほどこされ、いかにもアジア的な色使いなのが目立つだけだ。飛行機の長旅では、プリーツ素材に限る。

 「すごい荷物ね。宅配便で送るの?」

 「もちろん、リムジンで運ぶのよ」

 「そんなに一杯、載せてくれないわよ。一人につきの制限があるんだから」

 ――えぇぇ!そんなぁ。こんな大きいのを送ったら、いくらかかることか。

 思えば、リムジンにはマイレージ制度がない。私が頻繁に乗っているからといって、それを証明する術もない。

 窓口で説得して、どうにか3つ載せてもらうことが決まった。優しいオジサンで良かった。切符にサインをもらって交渉成立。

で、台車にスーツケースを3つ載せた状態で出発ロビーに上がり、スターバックスの前のソファに腰を埋めた。募る話があるはずだったが・・・・

 「今回の党大会、どう見た?在米20年だもんね」

 「ケリーの演説は聞きそびれたのよ。お客さんが来ていたから。でもさ、だからといって、逃して悔しくもない」

 「日本にいたときはブッシュに本当に腹が立ったし、ブッシュ万歳っていうアメリカ人も嫌だったけど、ケリーを見ていると、まだ、あのブッシュのモンチッチ顔のほうが愛嬌あってマシに見えたりするよ」

 「そうなのよ。オツムが空でもさ、なんか憎めないとこがあんのよね」

 「どうせケリーになったって、イラクから引き上げるわけにいかないんだし、経済的には日本に不利だし。ケリーの奥さんもさあ、なんか好きになれないんだけど、どう?」

 「そういう風に言う人多いよ、私の周りでも。なんか下品なのよね」

 「チェイニーと違って、エドワーズはいいんだけどねえ。彼がもう少し早く注目されれば、彼が大統領候補になれたかも。おしかったよね」

 「でも、あの人には次があるからさ。南部出身で貧しさを知ってて。あの人はたしか子どもを事故で亡くしたんだよね。あの爽やかさには好感がもてるなあ。将来が楽しみ」

 「ヒラリーが立っておけば、いまごろ盛り上がって、民主党が勝てたかもね。彼女を嫌いな人が多くてもさ、反ブッシュが彼女を押し上げたよ。演説も力強いし」

 「ほんと。やっぱり、彼女は賢いんだと思う。ちゃんと議員としてやってから、4年後に立つのが賢明だとわかってんのよ」

 「民主党も人材不足。クリントンしかいないことを証明したみたいな党大会だったね」

 「うん、あの人って、なんだかんだって、やっぱりチャーミングだったんだよ」

 「私もアメリカでテレビ見ていて、つくづくそう思った。人の心の掴み方を知っている。あれは天性なんだろうねえ」

 周囲で耳をダンボにしていた人たちは、私たちの会話をどう聞いただろうか。20年続いた夫婦生活にピリオドを打った友人の話を除けば、なんともポリティカルな話題ばかりである。

 アメリカではめずらしくないが、日本の中年女の会話としては異常に響いたに違いない。