2016年7月 神幸祭と神輿渡御


祇園祭の真髄は、神輿渡御。神輿に遷られた神々が氏子地域をめぐり、お旅所に留まられることにあります。
IMG_1567 帯これまで、行列を先導する宮本組や久世駒形稚児が四条通を行くのを追ってきましたが、今年初めて、八坂神社石段下に神輿三基が集まり差し上げする様子を拝見したのです。しかしながら、途中で大粒の雨が降ってきて、浴衣ごとびっしょり(右写真)。雨を覚悟の、浴衣だったのですが、夜の会食の席(@ぎおん楽楽)に迷惑がかかるので、焦りました。手ぬぐいを何枚も重ねて座るしかなく・・・。雨の神輿渡御については、そのお座敷から撮影した昨年の写真でご確認を。上から目線は本当はいけなのですが。最後の写真は一昨年、晴れの日に路上で撮影したもの。
帯も化繊なので気楽、雨向きです。博多献上風ですが、最初から作り帯として売られていました。後ろ姿は昨年の写真でご確認くださいませ(左)。IMG_5899★-300x225
朝の山鉾巡行は、昨年に続いて洋服で通しました。天気予報に雨マークがあったためです。こちらも長刀鉾のお稚児さんによるしめ縄斬りの前に、大粒の雨が降ってきましたが、まあ洋服にカッパで正解。★神輿IMG_5332★-300x225

2016年7月 日和神楽を追いかけて、向日葵文の浴衣で

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日和神楽。山鉾のお囃子が前夜、八坂神社へ祇園囃子を奉納します。翌日の巡行の晴天を祈念するためといわれます。
長刀鉾は、四条通を八坂神社に向かい、奉納後、祇園界隈をまわります。ある種、神楽の出前のようなもの。路地には、そのご利益にあずかろうとお茶屋さんで宴会中のお客さんや芸舞妓さんが出ていて、お姉さんたちの美しい姿を見るのもまた、赴きがあるのです。IMG_2863 日和神楽
私が日和神楽を知ったのは、初めて祇園祭を見に訪れた30代。西麻布にあった染司「よしおか」東京店で染色講座を持っていらした吉岡先生が、希望する聴講生たちをいざなて祇園祭を案内してくださったとき。ご一緒した女性二人と祇園のバー、サンポアに繰り出したことから、偶然に居合わせたのでした。
大船鉾 宵宵宵山例年になく混雑している宵々山を経て、疲れ切っていた私は、着物を着るガッツはなく、安易にユニクロの向日葵文浴衣を纏って八坂神社へ。ラピスラズリ色の帯は、サテンの作り帯。向日葵の帯留が自慢のコーデでした。
東京から来ていたカメラマニアの予備校講師にバッタリ出会い、写真を撮ってもらって喜んでいたのですが、しかし、肝心なときに、帯留が写っていないのです。えーん、横に移動してしまった(右)。
帯留については、昨年の大船鉾前の写真(左)で、確認してくださいね。

2016年7月 龍五爪の帯@長刀鉾

中国・清朝大臣の朝服を紗袋の帯にしたもの。だから、龍は五本指です。
これを着て、長刀鉾の水引の前で写真を撮りたかったのです。麒麟や獅子が描かれた水引の前で。
ところが、町会所2階にあったはずの水引が無いのです。15日朝に、四条通の鉾につけられたというではありませんか。ガ、ガ、ガーン! 鉾には女性は昇れませんので、町会所2階から見ている私を、帯こみで後ろから撮ってもらいました。
朝服1
右の写真は、今年新調された見送(山鉾の背面につるす織物)の前で。宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する伊藤若冲の「旭日鳳凰図」を原画に川島織物によって制作されました。偶然とはいえ、私のコーデと色合がよく似ていたので、バッチリ。

2016年7月 花火文浴衣で誉田屋さんへ

IMG_2716 花火浴衣@誉田屋

日本最古の帯問屋「誉田屋源兵衛」へは例年、誉田屋製の帯を締めて行くのですが、今年は雨の可能性もあり、誉田屋製花火文の浴衣で。金が使われていて分厚く暑いのですが、襦袢を着れば、夏着物と花火21-174x300同格で着られる優れものでもあります。
さすがに先日のように、化繊のつけ帯というわけにはゆかず、20代のころから締めていた桜色の羅の帯を結んで。帯留は蜘蛛の巣。
手に持っているのは、黒主山の粽。誉田屋さんのある三条室町の山です。前年の山に使われた桜が施され、帯はそれとシンクロさせています。IMG_6293 黒主山