2003年4月10日

SARS②  成田の検疫

帰りの便で再び要注意モードに切り替えた。機内で配られた英字新聞にはSARSを細菌兵器に見立てた記事が掲載されていた。

パリから東京へ帰る便もいっぱいだった。4月15日まではエアフラが格安料金で利用できるせいだろう。パリを夜中に出る便にはフランス人も少なくない。彼らは東京で乗り換えてニューカレドニアに向かうのである。

「マスクはSARS対策ですか」

隣にすわったお嬢さんが聞いてきた。彼女はパリに留学してそのまま現地企業に就職した日本人だ。広州の友人とメールでやりとりしたところ、公式発表よりもずっと感染者が多いそうだと教えてくれた。

「臭いものには蓋をしろ」とは旧ソ連の体質だった。そこは中国も同じである。自分の責任を問われるのが怖い官僚たちは、情報公開など考えない。ところが、一歩外に出れば、グロバリゼーション。経済活動だけでなく、SARSもあっという間に世界中に飛び火する。恐ろしい時代だ。

SARS パニックを通して現在の中国が抱えている矛盾が露呈した。中国はグロバリゼーションの波をつかみ、すさまじい勢いで経済発展を遂げている。一方で、国内、とりわけ地方の官僚体質はそのスピードから取り残された感がある。2008年のオリンピックを控え、常に国際社会に目が向いている北京の中央政府とは対照的だ。地方の村々では衛生事情も悪い。人と物の往来が激しい分、SARSも自由に移動する。なのに医療体制は世界水準からほど遠い。日本でさえもアメリカよりも10年は遅れているといわれているのだ。半年前、 SARSが最初に欧米社会で発見されていれば、いまごろワクチンも開発されていた可能性が高いという。

いずれにしても人の流れは誰にも止められない。ならば水際でどう止められるかにかかっている。だとすれば、一番重要なのは空港だ。厚生労働省がどう対処しているのか、私は非常に興味があった。

ところが、機内アナウンスを聞いて驚いた。「今回の旅行で東南アジア、アフリカを回られた方は検疫所で申告してください」。ちょっと待って。これではいつものアナウンスと同じだ。香港、台湾、中国は入っていない。SARSを意識するのであれば、東アジアに言及すべきではないのか。

検疫所も静かなものだ。いつものイエローカードを渡されるだけで、何も言われない。いくら欧州便だからといって、それ以前に中華圏をまわっていない保障はない。水際で止めずしてどうするのだ。こんな調子では、もう日本人の中にもSARS感染者は存在しているに違いない。

そもそもイエローカード自体がいい加減なのである。何か症状が出たら、どこの病院に行けばいいというリストが記されていないのだ。これには苦い経験がある。

1996 年夏。インドネシアから帰国してからしばらくして、私はおなかを下した。私の体質から、こういう事態は滅多にない。あるとすれば海外での水が原因だ。最初はセネガルの旅で、次は中国沿海部の旅の途中、次はバリ島から帰った時である。少しでも現地の人の生活に近づこうとする姿勢から、現地の人々の家庭で食事をするうち、水でやられてしまうようだ。

その夏もジャカルタでメガワティに初めて会い、帰国したばかりだった。現インドネシア大統領のメガワティは当時、民主化運動のシンボルで、ミャンマー(ビルマ)のアウンサンスーチーさんのような存在だったのだ。一方で日本国内ではO157が流行していた季節である。私は『ワンダラーズ』収録のため週に一度、大阪の関西テレビに通っていた。私のハラグアイが悪くなったのは、水が原因だけとは限らない。

とりあえず、病院に行こう。と思い立って向かったのが、港区広尾にある日赤病院だった。

無知だと笑われるかもしれないが、日赤はどちらに対しても万全だという思い込みがあったのである。以下は初診の受付で、若い女性の事務員とのやりとりだ。

「あなたはインドネシアに行っていたんですね。じゃあ、成田でイエローカードをもらったでしょ。風土病の可能性のある人を、隔離病棟のない日赤で見るわけにはいきません。都立荏原病院に行ってください」

「荏原病院ってどこにあるのですか」

「五反田です」

「すでに11時になろうとしていますが、今から行っても受け付けてもらえるのですか」

「そんなことは、こちらの知ったことではありません。自分で調べてください」

「じゃあ、今から行って、もしも診察できないと拒絶されたら、私はこの週末どうしたらいいのでしょうか。風土病という保障はないのですよ。O157だったら、私はこの週末、薬ももらえずに七転八倒しなければいけないのですか。風土病と診察されたなら、私の責任で荏原病院に向かいます。なので、診察だけでもしていただけませんか」

「できません。厚生省の指導で、イエローカードの人を診ることはできないのです」

「イエローカードには、日赤が受け入れないとも、荏原病院に行けとも書いてありませんよ。言わせていただきますが、厚生省の三文字を振りかざすことが私たちにはいかに無意味か、おわかりではないのですか。あなたたち病院関係者には絶対でも、私たち国民には何の威力もありません。むしろ薬害エイズ問題で、不信感のかたまりです」

ここまで私が言った段階で、近くにいた男の事務員が「じゃあ、診察だけ」と手続きを促した。診察を担当した医師も看護師もきわめて手際よく、O157の検査を行い、結果、風土病でもO157でもなかった。ただ水にあたっただけだったのである。しかし、タイミングが悪かった。当時の関西におけるO157ショックは、SARS恐怖に陥っている中国の状況に似ているように思う。

問題は成田の検疫である。イエローカードには、帰国後、何か症状が見えてきたときには、どこの病院に行くべきなのかを明記しなければいけない。日赤が受け入れないなどと誰が想像できたであろう。次に人が思いつくのは、東大のような国立大学の病院だ。都立荏原病院の名前を知らない人々も大勢いるのだ。空港の検疫所では各都道府県の受け入れ病院に電話番号書くべきだし、検疫所でもポスターとアナウンスで、受け入れない病院があることを知らせなければいけない。

SARS については、国立国際医療センターが受け入れ病院として名乗りを上げた。今日の放送で私はその名前を連呼したが、

おそらく他人事としてしか捕らえていないうちは届かないだろう。こういう事象に対して自分が無縁のうちから、シミュレーションする癖がつくようになると、日本人ももっと強くなれるのだが。