手水は自然の川で、と皆で水辺に降りたのですが、霊験あらたかな空気の中、水面に反射した陽光がとても神秘的でした。
2枚目の写真は、瀧原宮本殿の前。いつまでもいつまでも、そこに佇んでいたかったけれど、#上御霊神社 からの団体参拝ゆえ、あわただしく下山。バスに乗り込んで、#内宮 へと向かったのでした。京都ではお正月、多くの神社からバスで移動、伊勢神宮に参拝するのです。
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
今日は #初巳。京都御苑にある #白雲神社 では、#初巳祭 が斎行されました。
大晦日に私が締めていた帯、肝心のお太鼓に何が描いてあるか気になった方がいらしたようですが、公開は初巳の日と決めておりましたゆえ、本日こちらにアップ。そうです。#唐子弁財天 です。前の #琵琶 も、次ページで、改めてご確認を。
なにせこれを描いたのは、「#光る君へ」の中で、#道長がまひろに贈った檜扇の絵 を担当された #林美木子 さんなのです。京都では、お父様の #林駒夫さん とともに、その名が知れ渡っておりますが、大河ドラマをきっかけに、全国区に。ますますお忙しくなられるでしょうね。
2枚目の写真、上をご覧ください。白雲さんの社殿脇に、#白蛇 がおわしますこと、今日まで存じ上げませんでした。もしも参拝されたら、見てきてね。
アキオ恒例年越しは、八坂神社の「をけら詣り」、六角堂での除夜の鐘つき、そのまま徹夜で朝5時からの歳旦祭@上賀茂神社に参列。今年もその流れで新年を寿ぎました。
今回の写真は「光る君へ」つながり。#をけら火を移した火縄 を回している私の背後にある絵馬は、衣装デザインを担当された #諫山宝樹 さんによるもの。私が締めている帯は、道長がまひろに贈った、あの檜扇の絵を描いた #林美木子 さんによる琵琶。巳年ゆえ、お太鼓は弁財天さまです。林さんは、祇園祭長刀鉾の扇子絵も担当されています。
昨年は龍神様に助けられ、『京都で、きもの修行』『京都占領』2冊を上梓することができました。今年は、巳さんとのご縁を大切に、さらに精進してまいります。
ご愛顧のほど、よろしくお願いします。
#大河ドラマ『#光る君へ』。今日も面白かった。来週はさらに期待できますね。
京都の洛北にある上賀茂神社では、宮中行事に傚った神事が多く続けられています。まさに祓いの神事が多いわけですが、とりわけ夏越の祓は本格的です。百人一首にも、夏越の祓を詠んだ歌があります。
拙著『京都で、きもの修行』にも書いていますが、この写真は掲載されておりませんので、こちらにポストしますね。
今年はあいにくの雨ゆえ、朝、#上賀茂神社、15時に #八坂神社、夜の夏越の祓には参列せず。ゆえに8年前の写真とブログの文章を転載します。神社で息を吹きかける人形(ひとかた)を川に流す神社、火で焚き上げる神社、いろいろです。上賀茂神社は・・・。以下の文章をお読みください。
きものの写真が最後にありますが、あのころは6月30日でも単衣が着られたのですね。昨今の暑さでは、絶対に夏きものです。
【ブログ「きもの適齢期」2016】
6月30日は夏越の祓。半年間の祓をせねば。
東京では茅の輪くぐりができる神社を探すのが大変でしたが、京都では6月になると、其処彼処の神社仏閣に茅の輪が設置されます。
健康不安の今年は、3つの神社に参拝しました。「千歳の命のぶといふなり」の言葉をとなえながら。朝、上賀茂神社の神事に参列。午後には八坂神社、白山神社で茅の輪をくぐり、夜は上賀茂神社の夏越の祓へ。
「風そよぐならの小川の夕暮れは、禊ぞ夏のしるしなりけり」
百人一首のこの歌が詠まれたほど、上賀茂神社の夏越の祓は有名だったのですね。平成のいまでも、午後8時より体現できるのです。
参拝者が書いた人形(ひとかた)を、一枚一枚、神職が、ならの小川に流し、篝火から時折、火の粉が降りかかる。まさに、火と水で禊を行うわけです。
この日、何を着たかといえば、朝は時間がなかったので、洋服で神事に参列。ユキトリイの白のアンサンブルに黒い靴。神職さんの狩衣を真似ています。夜は #立て涌文 のお召(単衣)に、#八咫烏の帯。上賀茂神社ですから、#ヤタガラス。でも、締めることが許されるのは今日まで。明日からは夏帯ですから、この帯は、秋の #烏相撲 までお休みです。
編集済み · 1週間前
きのう6月15日は #八坂神社の大祭。ご祭神は #牛頭天王 ゆえ、#牛の帯 を締めて参列。明治までは #神仏習合、ここは #祇園感神院 だったのです。
明治の神仏分離令によって、#八坂神社 となり、#素戔嗚尊 と妻と子どもたちが祀られているとされていますが、最近の京都では、神仏習合へ戻す動きが活発です。今夏には、向かって左、私の向こうの本殿で、#比叡山延暦寺 との合同儀式が執り行われるとか。ワクワクしますね。
返す返すも、この帯を『京都で、きもの修行』に掲載できなかったことが悔やまれます。#誉田屋源兵衛 の #紙布の帯、今年になって私の元にやってきたのでした。
きもの、#錦天満宮 では単衣の黒系アラベスクを選びましたが、きのうは35度。#絹芭蕉 を纏っています。そうはいっても6月なので、透けないように、 #淡い緑の麻の襦袢 を着ていますが。