内田光子さんのこと

このところつらつら考えていたことがあります。社内結婚がゆえに退職を余儀なくされて専業主婦をしていた時代(つまりキャスターデビュー前)、私は東京芸大の楽理を受験して、音楽家の評伝作家を目指してもよかったのではないか、と。

そんな折、ショパンコンクール2位に日本男子が入選したとの朗報が。ますます音楽の道を閉ざした自分が悔やまれていたところ、実は昨日、内田光子さんが、京都コンサートホールでリサイタルを開いたと知人のFBで知ったのです。私は東京にいたので、直前に知っても無理ではありましたが。

内田光子さんは、話題のショパンコンクール2位、ベートヴェンコンクール1位、の凄いピアニストです。私は中学時代、音大付属受験を目指してピアノに励んでいました(受験直前に向いていないと自主断念、普通高を受験)。月に一度見てもらっていた大先生が、厳しくて有名な桐朋学園の松岡貞子教授。幼き日の内田光子さんを教えた方でした。なにかについて「光子ちゃんはね」と口になさる。社宅ぐらしでアップライトのピアノしかもたない私に、なんと酷なことか。ほぼ毎回、私の演奏を聴きながら首を横に振ってNGオーラ満載、褒められたことは一度だけ。でも、先生のおかげで、若いころから内田光子さんの東京での演奏会へは必ず伺っていました。孫弟子たちにも、指の見える席が確保されていたので。ビデオのない時代、技術重視の当時の日本の音楽界では指の運び、とても大切だったのです。

チェコ革命のシンボル・マルタクビショバ

NHKのアーカイブズを紹介するプレミアムカフェを楽しみにしている。少し前に、マルタ・クビショバの番組を見た。マルタは、チェコの国民的歌手、革命のシンボルだった。1968年の民主化運動「プラハの春」で弾圧されて以降ずっと潜伏していたのだが、89年のベルベッド革命で再び浮上した女性である。後に大統領となる劇作家のバーツラフ・ハベルとも親しく、共産党政権を倒すまでの革命運動の間、彼女の「マルタの祈り」がプラハの人びとを励まし続けた。

マルタについて、私は「朝日ジャーナル」と、拙著『レーニン像を倒した女たち』に記している。ベルリンの壁崩壊直後の1990年に単身、東欧に飛び込んで取材したきり追っていなかったのだが、この番組を見て愕然とした。彼女の人生が克明に描かれていたからだ。時を経て、語っていいタイミングに、私は会いに行くべきだったのだ。

1990年当時、彼女が外国人記者に多くを語ったとは思えない。1968年に「プラハの春」をいきなりソ連軍の戦車に押しつぶされた経験の持ち主だからだ。ミャンマーやアフガニスタンのように、独裁政権はいつ復活するかわからない。その恐怖はまだ払拭されていなかっただろう。しかしながら、10年を経て、テレビカメラの前で彼女は多くを語ったのだった。具体的に。1968年、1989年、何があったのか。自分の半生を語ったのだった。

本の売れない時代、私がチェコの革命の話など出版企画は通らないのだが、そうだった、番組に提案してみるという手があったのだった。「マルタの祈り」とともに彼女が歌った「ヘイ・ジュード」の替え歌(プロテストソング)を軸に据えた番組は、ある世代以上には説得力があるものと思えた。

またまた、自分の半端さに、落ち込んだ私であった。

形見の赤黒で、KYOTOGRAPHIE 町家暮らし勉強会、五条坂登り窯、こいこい茶会へ

京都は昨日から急に寒くなりました。17日で閉会というイベントが多く、私自身も訪れるところ盛りだくさん。#KYOTOGRAPHIE  #誉田屋会場 の #シャネル#北観音山 で #町家暮らし の勉強会、五条坂の #登り窯、寺町茶舗 #蓬莱堂 での、こいこい茶会。その後、神明舎。さて、何を着る?

寒さから、濃い色を纏いたくなり、#kyotographie のロゴは赤黒、こいこい茶会は、はんなりでもないだろうから、こんな装いに。

襦袢も含め、すべて #母の形見? あるいは、孫の私用に祖母が用意していた? 母の桐たんすか押し入れのガンガンに入っていたものばかり。昭和の名古屋好みと思われます。コーデは、アキオのオリジナル。一つ間違えれば子どもっぽい花柄も、赤黒幾何学を合わせてみたら、粋な印象に。帯締めも縞々。

あ、草履は、#祇園ない藤 の赤を履いて行きました。バッグは、#ANANDA です。

文楽劇場へ

大先生がご出演されるというので、日舞の会を見に、大阪の文楽劇場まで。ご一緒してくれたのは舞の姉弟子S子さん。お酒解禁になったから、ワインとイタリアン。飛び込みだったけれど、美味美味。若者とのランデブーは楽しい。アプリ使っているかも。着物の向きを反対にしてくれたのだが、私にはようわからん。まだまだ暑いので、着物は単衣菊の小紋。

緙室SEN

室senがうめだ阪急でフェアをされるというので、大阪へ。私のわがままを聞き入れ、ゴールドのバッグを作ってくれたデザイナーの千原啓子さんと記念撮影。

菱の茶会

菱の茶会なるものにお招きいただきました。

こんなに着物を持っているのに、菱の文様、無いなあ。ま、30度超えで暑いし、かといって10月に絽というわけにはゆかず、透けない薄物となれば、萩の着物しかありません。定番、蝶の帯をしめて出向いたのです。

さて、床を見て、びっくり。水に浮かんだ菱の葉は、ホテイアオイを思わせます。葉の形が菱形であることから、そう呼ばれるようです。栄養が豊富で「水中の落花生」とも呼ばれるのだそう。福岡や佐賀の名産で、京都では、深泥池に生息しているそうです。

横に実が並んでいます。かわいらしい。フォーチュンクッキーを思わせる形状です。硬い皮の中の白い実が菱の実。今日の主役です。太宰府の藤丸さんに特注のお菓子で、盛り上がりました。