2003年6月17日

何年学べばプロになれるの?

昨年秋から「薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議」の委員を務めている。今朝はその会議に出席した。

焦点は薬剤師の質向上のため、医学部と同様、薬学部を6年制にするかどうかにある。医薬分業が進み、新薬も次々開発される中、薬剤師の役割が大きくなっているのがその根拠だ。

しかし6年一貫教育とするのは学生にとって選択の幅が狭すぎる。進路志望の多様性を踏まえるなら、薬学士として4年で卒業することを認め、薬剤師や創薬研究を目指す人は修士に進学し臨床実習を経て薬剤師の資格を取得してはどうか。4年で社会に出て修士課程から再入学できる仕組みを残すのは生涯教育にとっても必要だと私は主張している。

それに、一番大切なことは、薬剤師の人間性だ。薬品を扱う以上、キレル人であっては困る。病棟薬剤師も調剤薬局で働く人も、全人医療を志す人でなければならない。

こうした会議にジャーナリストを加えて意見を取り入れ、公開にした文科省の決断は評価されるべきである。一般に日本の制度改革は一部の人の思惑や執念で方向が決まり、有力な議員を巻き込んで法案を通してしまうからだ。

しかし、所詮、私は社会に対しての目線がかけているとか、理にかなう説明ができていないとか、薬学教育だけに目を向けてきた人々に、別の角度から光をあてることくらいしかできないのだ。文部科学省サイドで教育の問題だけ議論しても、国家試験を通して資格を与えるのは厚生労働省なのだから、本来は二つの省庁が合同でこうした会議を進めていくべきであろう。

薬学教育をさらに充実させても、薬剤師の質が向上しなければ意味がない。質の担保として、コア・カリキュラムと共用試験の実施は言うまでもないが、同時にライセンス更新を義務付けるべきではないか。5年に1度は研修を受け、医療現場を遠ざかっていて昨今の流れについてゆけない者は、調剤薬局に立つこともできないとすべきである。

この問題については書くべきことが山のようにある。機会をみつけて、時々書いていこうと思う。

午後は「文明の衝突」と銘打ったシンポジウムを聞き、雑誌の女性編集者とイタリアンを食した。イラク戦争中、中東取材を敢行した彼女はひとまわり大きくなっていたし、旦那と別れて自由の身になったレストランのマダムは、とても美しく生き生きとしていた。

人間を大きくするのは高等教育の年限などではない。現場で修羅場をくぐることこそ大切なのだ。薬学教育もただ年限を延ばすのではなく、臨床実習の段階で、救急医療の現場で人が生死をさまよう瞬間にこそ立ち会わせるべきだと私は考えている。