雨の送り火

東山の大文字が見えるマンション暮らし。過去3回、宴会に加わることなく、両親を含めたご先祖さまを、一人静かに送ってきました。写真は一昨年のもの。夕方まで土砂降りでも、点火の20時には止んで、無事に部屋からお見送りーー。

できたのですが、今年は点火時刻になっても止まず、さらに途中から激しい降りになって、大文字が全く見えなかったのです。理由は、バケツをひっくり返したような雨で視界が遮られたから、大文字山が特に高いから、(大文字は薪が濡れた地面に置かれるので)火が途中で消えたから、などと後付けはできるのだけれど、見えないのだからNHKの中継で五山の様子を確認するしかない。なんだかなあ。やはり、炎は自分の目で確かめないと、ご先祖さまに思いが届いていないようで、なんとも中途半端で後味悪いのです。

京都の町では、こんな送り火は生まれて初めて、と日々話題に。同じことを80代が語ると説得力を増します。なんか意味がある、天からのメッセージ、とまで仰るのですが、その読み解きができないまま・・・。

日本の無事を祈ります。