10月○日  ユドヨノ圧勝とスハルト回帰

 久しぶりに私の予想がはずれた。おかげで毎晩眠れない。

 本人の能力とは別に、メガワティが大統領になる日が来る――と考えていた私は、当時、多くの研究者から顰蹙を買った。だが、1998年2月、その日はやってきた。インドネシアの人々がそれを望んだからである。

 今回、しかし私は彼らの反応を見抜けなかった。ジャカルタで人と話した印象では、SBY支持者と反SBY(反軍人)が約半々で存在した。そして地方では、金権政治がまだ力を持つと予想した。だから、メガワティが負けるとしても僅差だと考えたのだ。

 しかし鍵を握っていたのは、実は地方の人々だった。

 地方では、スハルト回帰が始まっていたのだ。つまり、スハルト政権崩壊後、地方で何が起こっているかといえば、「プレマン」がはびこっているのである。彼らは、昼間は不動産屋で夜の顔はカジノを仕切るヤクザなのである。彼らが地方の人々を恐喝したり、マッチポンプ的立ち回りをして、地方の政治家を登場させるのに大きな役割を果たしたりするのである。

 このプレマンは、スハルト政権下では、軍によって抑えられていた。ところが、ハビビ政権ではハビビ派プレマンが、ワヒド政権下ではワヒド派のプレマンが、メガワティが大統領になると、闘争民主党派のプレマンが登場して、地方の農民などは辟易していたのである。スハルトの時代は良かった。彼らを止めるには軍の力が必要だ。だから、軍人の大統領がいいのだ、と考える人々が潜在的に存在していた。

 だったら、7月の大統領選挙でSBYが最初から圧勝しても良かったのだが、他にも元国軍司令官の候補が存在していたし、各候補者からお金が配られたことで迷いが出たのだ。相互扶助の精神が基礎にあるインドネシア社会では、頂いた以上報いないといけないと考える。スマトラに住むある人は、各候補からお金を受け取ったばかりに、投票用紙の候補全員にアナを開けて、その投票が無効になったそうだ。

 しかし、4月の総選挙、7月の大統領選挙、そして今回の決選投票は3回目である。そうなれば、彼らもいろいろと学習し、すでに義理は果たしたのだから、自分たちの選びたい候補を選ぼうということになったらしい。やはりプレマン対策には文民の女性大統領では駄目だ。軍人であったSBYにひと肌脱いでもらおうではないか。ここが私の計算間違いだった。

 ジャカルタでは、3回の選挙に飽きていた。99年には参加することで政治が変わると考えたのだが、結局、この5年間、言論の自由は得たものの、生活が向上したわけでもない。集会に行ったところで大差はない。新聞を読みテレビを見て判断しよう。誰が大統領でも変わらないのであれば、現職のメガワティではなく、新人のSBYにチャンスを与えてみようじゃないか。これが大半のSBY支持者の判断だった。

 メガワティが大統領の資質を十分に持ち合わせていたかどうかとは別に、彼女が大統領に就任して以降、911に始まり、世界中でテロの嵐が吹き荒れた。これは彼女にとって不運だった。88%のムスリムを抱えるインドネシアでは、フィリピンのアローヨのように、徹底したテロ対策を打ち出せなかった。アメリカの要望に応えて強攻策に出れば、国内のイスラーム勢力を敵に回すからである。

 事実上の勝利宣言をしたSBYはこうコメントした。

「民主化の基礎を築いてくれたメガワティに感謝する」と。

 このコメントを言わせたのは誰だろうか。決断が遅くて有名なSBYがそこまで計算できるとは思えない。彼の裏には、ものすごく賢い仕掛け人がいると私はにらんでいる。その存在を突き止めて、そのカラクリを知りたいと考えているのだが、いずれにせよ、インドネシアは大きくハンドルを切った。スハルトによる32年にわたる独裁政権に決別し、民主化と言う名前の下に試行錯誤を繰り返した日々が終わろうとしている。棄権をした人々を抜かせば、国民が自分の手で大統領を選んだのである。ユドヨノが大統領になるとすると、この先、スハルト的統治に戻るのか、欧米型社会になっていくのか。ハビビ、ワヒド、メガワティ。スハルトに印籠を渡したか、政権末期に反体制として闘ったかした3人の役割が終わり、インドネシアは新しい時代に突入した。

10月○日 ブッシュの失敗 

インドネシアの大統領選挙では、ユドヨノの圧勝がほぼ確定し、次なる焦点はアメリカの大統領選挙である。

 今日は第一回目のディベートだった。朝からCNNに合わせて中継を見たが、ブッシュがなんともブザマであった。決してケリーがいいわけではないのに、ブッシュがひどすぎて、かなり不利になると私は確信した。

 1年間アメリカに滞在して、この二人が話す場面をしばしば見てきたのだが、今日のブッシュはとりわけ出来が悪かった。彼の言葉がすべったり、カツゼツがいい加減で噛んでしまうのはよくあることだ。そうした拙さがお茶目に映るほど、ケリーの演説がつまらない。それが地元記者の評価であり、これまでの支持率に反映されてきたのだった。

しかし、今日はひどすぎる。こんなに幼稚な大統領にアメリカを任せて大丈夫かしらん、と誰もが思ったと私は感じた。あまりに国民をなめている。なんにも考えていない人、と見えてしまった。これでは愛嬌でカバーできる限界を超えている。

ブッシュを支持するのは、富裕層など古くからの共和党支持者にくわえて、メディアを通したイメージに左右されやすい人々なのである。少々舌ッ足らずでも、テレビで見て明るければ許してしまう。いかにも楽観的であれば嬉しくなってしまう人々である。

 その彼らでさえ、今日のブッシュを見て、アレ???と思ってしまったに違いない。あまりにお子チャマで、あまりに思慮深くないと映ったからである。

 一方のケリーは、ひたすら真面目だった。真面目すぎて何の魅力もなかったのだが、しかし、一生懸命お勉強してきた彼に好感を抱いてしまった私である。これでは「人生いろいろ」と発言した首相の不真面目さに嫌気がさして、生真面目な岡田党首率いる民主党に思わず投票してしまった日本国民と同じことがアメリカでも起きそうな気がしてきた。

 今回、ブッシュにとって不幸だったのは、テレビ画面が二分割されたことである。1ショットでも十分に危なっかしかったのに、ケリーと並んで映し出されたのだから、たまらない。狼狽して落ち着きのないブッシュと、終始落ち着き払って静かに対応したケリーとの対比が際立ってしまったのである。

 今回のブッシュの怠慢ぶりは、メガワティのそれと重なる。話すのが苦手なメガワティにしては、テレビ討論にも応じて、めずらしく検討したが、初日の準備不足から来る狼狽ぶりは現職大統領としてはお粗末だった。現職の大統領が初心を忘れて社会の空気を見誤ることはよくあることだが、選挙前の怠慢は命取りである。相手を倒すことだけを考える挑戦者の鮮度とエナジーを突き放すには、よほど心してベルトを締めなおさねばなるまい。

 決してブッシュがいいとは思わないが、ケリーになったからといってイラクもイスラエルも情勢は変わらない。一番の違いは、北朝鮮とは絶対に戦争をしないことだろう。日本にとっては市場開放を迫られて、財界が辛い思いをするだけだ。

 うーん、ディベートの季節到来。午前中は外出を辞めてCNNに釘付けである。