6月11日 大統領レーガン追悼の日

 今日は朝から元大統領レーガンの国葬がテレビ中継されている。二晩議事堂に安置された遺体に別れを告げる国民は20万人だったといわれる。せっかくワシントンにいるのだから行ってみようと思いつつ、最初の晩は私が体調を崩し、翌晩は一緒に行こうと約束した21歳のアイリーンが頭痛であきらめた。

 指導者にはオーラが必要だといわれる。しかし、そのオーラにも「陽」と「陰」があるのだと、元大統領の追悼番組を見ながら改めて考えた。彼はまさに「陽」のオーラを持ち合わせた大統領だったのだ。

 彼の映像が次々流されるのを見ながら、なんだか日本人の私まで元気になってしまった。彼の政策に賛成できるかどうかの問題ではない。彼の存在そのものがハリウッド映画的であり、ディズニーアニメ的なのである。同時にそれは、80年代という時代の空気そのものでもあった。

 80年代といえば、私たち日本人がまだ、アメリカの価値を信じることができた時代だ。

自由の国アメリカの星条旗はそれなりに眩しく、コカコーラやペプシコーラ、マクドナルドやケンタッキーが色あせることもなく、リーバイスのジーンズ、バドワイザーのロゴ、アメリカの音楽やハリウッド映画は日本の若者を魅了するのに十分な輝きを放っていた。CNNやMTVを通してアメリカ文化を吸収するのに必死になったものだ。プラザ合意の本当の意味などわかるはずもなく、ひたすら円高に沸き踊り、企業が海外進出を果たし、アメリカを買いあさったのもこのころだった。

 この数日間のメディアを通しての盛り上がりを見ながら、アメリカ人は、少なくともアメリカのメディアは古き良き時代を懐かしんでいるのだと思った。レーガンの持ち前の明るさに加えて、共産主義というわかりやすい敵が存在したことで、アメリカは善になりきれた。正義という言葉が真実味を帯びることができた。彼は強いアメリカを訴えてアメリカ人を元気にすることが可能だったのだ。カーター氏が暗かっただけに、その落差たるや半端ではなかった。国葬に列席した元首相サッチャーに象徴されるイギリスもその点では同じだ。イギリスとアメリカの正義が国際社会の中で通った時代である。

 弔辞はサッチャーに生前から依頼されており、医師から公の場でのスピーチを禁じられた彼女は、ビデオにそれを収めて会場で流した。葬儀の演出については、カメラアングルにいたるまで本人の遺言としてあったのだという。実際には夫人ナンシーが決めていたのだろうとは誰もが考えることだ。82歳のナンシーは痛々しく、しかし、ファーストレディーとして立派に最後の勤めを果たした。弔問客が次々に挨拶にやってきて、それがまた、アメリカの理想の夫婦像を演出するのに役立った。もしも元大統領夫がアルツハイマーのまま、夫人が先立つような事態が起きていたら、国葬はどうなったのだろう。どう見ても子供たちではその任を果たしきれそうにない。その意味でも、レーガン元大統領は、愛される大統領として華々しい最後を飾る運命の下にあったのだとつくづく思った。

 「鉄の女」サッチャーは黒い帽子の下にメガネをかけ、終始うつむき加減だった。隣に座った旧ソビエト大統領ゴルバチョフも日本の元首相中曽根も、引退後、それぞれに老いを重ねていた。この3人が映し出されるたび、ひとつの時代が確実に終わり、世界の歴史地図が変わっていくのだと思い知らされた。彼らの頭を何が駆け巡ったのであろうか。自分たちの華々しい功績だろうか。冷戦終結後の混乱した世界を憂いているのだろうか。それとも俗っぽく、自分たちの葬儀のあり方であろうか。

 警戒されたテロが起きることもなく、国立聖堂で行われた告別式は、小雨の中、厳かに幕を閉じた。