2003年6月27日

明るい未来

久しぶりに上智大学の寺田ゼミに出席。アジアからの留学生が多い今年はアンダーソンの『想像の共同体』を購読している。学生の発表そっちのけで、先輩の笹川君が重箱の隅をつつくように、白石隆・さやさんの日本語訳と読み比べていく。

フィリピンの調査から辰巳頼子さんが帰国していた。新しいグラントの面接のために帰国、無事、審査に合格したのだという。上智の大学院に行って一番の収穫は、この辰巳頼子と出会ったことではないかと思ったことが何度かある。とにかく頭がいい。あらゆる面で天才肌。将来はイスラーム研究者の大家になっているだろう。

30歳になったばかり。なんだか痩せて顔が小さくなっている。大人の女性として内も外もますます磨きがかかっていく。こちらも明るい未来にまっしぐら。40までは、たし算の人生だ。

2003年6月26日

終わりと始まり

「スーパーモーニング」は今日で最終回。前田吟さんがキャスターの時から1年3ヶ月。自分が座長を務める番組が終了するときは、大きなプロジェクトを終えた組が解散するのに似て、感無量だ。だが、こうして脇役の自分が途中下車するときは、別の寂しさを伴う。自分がいなくても番組も会社もまわっていく。自分は歯車のひとつにすぎないのだと思いしらされる。放送終了後、花束を受け取りながら、サントリーを結婚退職した日を思い出した。

反省会の後、出演者の皆さんと全日空ホテルで食事をとった。7月から司会を担当する赤江アナも一緒だ。

とにかく顔が小っちゃい。目が大きくて鼻が高くて歯がきれい。無駄な肉もしわもない。明るい未来にまっしぐら。そういえば、私が初めてテレビに出たときも、このくらいの年齢だったよね。なんだかお母さんの心境で、まじまじと珠ちゃんを眺めたのであった。

夜は句会。急いで4句考えねばならない。辰巳君が新幹線の最終で京都に向かうというので、東京駅のユーハイムでドイツ料理を頂きながらの会となった。金沢から陶芸家・大樋年雄さんも参加した。彼も相変わらずエネルギッシュ。今日の句会は増田明美さんの句が妙に艶っぽくて話題になった。もしかして、恋の始まり・・・?

その後は某編集部で打ち合わせ。土砂降りの雨の中、タクシーに乗り込んだ。これまでコミットしたことがないテーマに取り組むことになる。久しぶりに国内取材であちこち飛び回ることになりそうだ。

2003年6月24日

母校に寄付

夜はエンジン01の教育委員会。メンバーである林真理子さんの取り計らいで、会合は六本木ヒルズの上となった。

三枝成彰さんが『ダイヤモンド』で私立中学校のランキングを特集した号を持ってやってきた。ご本人がそこにコメントを寄せているからだ。それを眺めて、母親である林真理子さんが奇声を発している。

 「国士舘って今、こんなに上なんだあ」

これを聞いて驚いたのは私だった。小学校5年生から世田谷区若林に住んでいた私には、どちらもご近所であり、いわゆる不良と呼ばれる怖いお兄さんたちが行く学校だと認識していたからだ。

こんな感想をもらすと、隣にすわった藤原先生いわく、

「僕たちの時代と全くランクが入れ替わっているんですよ」先生も実は世田谷のご近所、ほぼ同世代であることがわかった。 

子供がいないと、ついつい昔の目線で学校を判断しがちだが、学校も生き物だ。30年も経てば、教育方針も変わる。校長先生の情熱次第でいかようにも、である。ということは、どこの公立中学だって、その気になれば、改革は可能である。

公立校に寄付すれば税制で優遇されるようにしてはどうか。母校に寄付する大人はいっぱいいるはずだ。

今夜はそんな話で終わった。

2003年6月23日

メガワティ大統領来日

インドネシア現大統領のメガワティが日曜日から来日している。せっかく東京に来るのに、挨拶に出向かないとご機嫌を損ねる。だが、国賓で来日する大統領にどうやって接触すればいいのか。

私がメガワティに初めて会ったのは、1996年夏。7・27事件(ジャカルタ暴動)の直後であった。スハルト政権下で「民主化のシンボル」だったメガワティ。翌年の選挙の前に民衆の核である彼女を政治の舞台から排除しようと政府が画策したことがきっかけで民衆と国軍が衝突した事件がジャカルタ暴動である。

当時はスハルトの独裁体制で言論活動にも縛りがあった。ほとんどのジャーナリストが政府についている中、メガワティのところに足しげく通った現地ジャーナリストたち。彼らに混じって彼女に接触したジャーナリストは多くはなく、特派員を除けば、はるばる日本からやってきた私の存在を彼女は強烈に覚えていたらしい。

早晩、スハルト政権は崩壊する。体制崩壊を直感した私は、以来インドネシアに通い続け、その都度、彼女の自宅を訪れたものだが、常に長い時間待たされた。そのことに疲れていた私は、ある時、彼女には会見を申し込まず、周辺取材だけ続けていた。それがご本人の耳に入り、近しい人物に一言。「あなたはサトコに会ったんでしょ。エロスも会ったらしいじゃない。なぜ私のところには来ないのかしら」。そこでメガワティの自宅に出向いたのだが、例によって長い間待たされた上、短い時間の会見で終わった。メガワティだけではない。宗教家のトップなども思わせぶり会い方をする。これはアジアの権力者のスタイルのようといえるだろう。

その際、オレオレ(おみやげ)を何にするのかが頭痛の種だった。2回目くらいに会ったとき、「日本からのおみやげを忘れないでね」と言われてしまったのだ。アジアはどこの国でも菓子折りは必需品だ。もちろんそれまでも手ぶらでは会っていないのだが、問題は何を選ぶかだ。インドネシアは常に暑い。ケーキも生菓子もチョコレートもだめだ。本人お好みの天津甘栗とて2日経てば風味が落ちる。三越まででかけて真空パックにしてもらわなければならないのだ。

オレオレを届けながら、そうやって気軽に会話できた日々が懐かしい。

国賓待遇の今回はやはり敷居が高かった。2年前、就任直後にアメリカでブッシュに会い、帰りに日本に寄った時とはわけが違う。

前回は帝国ホテルに滞在していたので、SPやインドネシアから同行してきた番記者に顔なじみがいるので、機会は何度もあった。博士号を早稲田大学から受けたときにも、娘のプアンとともにファミリーカーに同乗したくらいだ。

しかし今回は迎賓館に滞在。経団連との食事会と日本記者クラブの会見以外に接触の機会はない。結局、日本記者クラブ講演の際、入り口で会話をするのが限界だった。

私をみつけると、無防備で可愛らしい笑みを浮かべて手を差し伸べてきた。「ちゃんと来たわね」といわんばかりだ。

講演が始まる前、顔なじみのSPが私を呼びよせ、

「2年前と全然違う。僕たちがハンドリングできた時代は終わったんだ」とささやいた。

権力の中枢に入った途端、人間は変貌する。人民へ注がれていたはずの目線もエネルギーも、インナーサークルの権力闘争に向かっていく。

「スハルトが30年かけたことをメガワティは2年でやってしまうところが問題なんだ」

インドネシアの知識人はメガワティのスハルト化をそう嘆く。夫タウフィックの汚職問題、一族の優遇。それでも他にめぼしい候補のいないインドネシアでは、来年も大統領選挙でメガワティが選ばれるに違いない。日本の小泉人気と似ている。 

丸投げということでも小泉総理といい勝負である。インタビュー嫌いも手伝って、メガワティは記者からの質問も大臣に答えさせるとして知られているからだ。

ところが、今回の会見では、すべて自分で答えたのだ。

就任から2年。あらゆる面で自信がついたのだろう。一般にはスピーチ能力がないと言われているメガワティだが、党大会などではアドリブで党員を笑わせる瞬間を、私は何度か見てきた。それを党外でも披露したのだから、国政についても学習し、自分でハンドリングできる自信がついたのに違いない。慎重なあまり殻にこもっていたメガワティが脱皮して大きく羽ばたこうとしているのか。

来年の春再選されて、あと5年続ければ、期待以上に大きな指導者に化けるかもしれない。私が追いかけていたころは、研究者の間では誰からも見向きもされなかったメガワティ。父スカルノに近づくべくインドネシア安定のために本気になってほしい。かくなる上は、汚職で足元をすくわれないことを祈るばかりだ。

2003年6月17日

何年学べばプロになれるの?

昨年秋から「薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議」の委員を務めている。今朝はその会議に出席した。

焦点は薬剤師の質向上のため、医学部と同様、薬学部を6年制にするかどうかにある。医薬分業が進み、新薬も次々開発される中、薬剤師の役割が大きくなっているのがその根拠だ。

しかし6年一貫教育とするのは学生にとって選択の幅が狭すぎる。進路志望の多様性を踏まえるなら、薬学士として4年で卒業することを認め、薬剤師や創薬研究を目指す人は修士に進学し臨床実習を経て薬剤師の資格を取得してはどうか。4年で社会に出て修士課程から再入学できる仕組みを残すのは生涯教育にとっても必要だと私は主張している。

それに、一番大切なことは、薬剤師の人間性だ。薬品を扱う以上、キレル人であっては困る。病棟薬剤師も調剤薬局で働く人も、全人医療を志す人でなければならない。

こうした会議にジャーナリストを加えて意見を取り入れ、公開にした文科省の決断は評価されるべきである。一般に日本の制度改革は一部の人の思惑や執念で方向が決まり、有力な議員を巻き込んで法案を通してしまうからだ。

しかし、所詮、私は社会に対しての目線がかけているとか、理にかなう説明ができていないとか、薬学教育だけに目を向けてきた人々に、別の角度から光をあてることくらいしかできないのだ。文部科学省サイドで教育の問題だけ議論しても、国家試験を通して資格を与えるのは厚生労働省なのだから、本来は二つの省庁が合同でこうした会議を進めていくべきであろう。

薬学教育をさらに充実させても、薬剤師の質が向上しなければ意味がない。質の担保として、コア・カリキュラムと共用試験の実施は言うまでもないが、同時にライセンス更新を義務付けるべきではないか。5年に1度は研修を受け、医療現場を遠ざかっていて昨今の流れについてゆけない者は、調剤薬局に立つこともできないとすべきである。

この問題については書くべきことが山のようにある。機会をみつけて、時々書いていこうと思う。

午後は「文明の衝突」と銘打ったシンポジウムを聞き、雑誌の女性編集者とイタリアンを食した。イラク戦争中、中東取材を敢行した彼女はひとまわり大きくなっていたし、旦那と別れて自由の身になったレストランのマダムは、とても美しく生き生きとしていた。

人間を大きくするのは高等教育の年限などではない。現場で修羅場をくぐることこそ大切なのだ。薬学教育もただ年限を延ばすのではなく、臨床実習の段階で、救急医療の現場で人が生死をさまよう瞬間にこそ立ち会わせるべきだと私は考えている。

2003年6月14日

活性酸素消去米

最近、活性酸素が注目されている。生活習慣病に至る諸悪の根源だという。

その活性酸素を消去する農法でできた米「雷神光」を食べてみて驚いた。普通のお米よりもおいしいくらいだ。活性酸素消去農法は遺伝子組み換えとは違う。肥料と農法に秘密があるというのだ。活性酸素消去農法で育っているから持ちがいい。ならば、それを食べ続ければ人間も長生きできるというわけだ。農薬を使っていない上に、低蛋白ときているから、腎臓病の人にぴったりではないか。

で、そのメカニズムを知りたくて、医学・代替医療振興協会主催のシンポジウムを聞きに出かけた。研究開発を担った東北大学の大類教授の話を聞けるからだ。興味のある方は、そのさわりを http://www.raijinkow.com/でチェック願いたい。

会場で司会進行を担当していたのは、ケント・ギルバード。かつて「サンデーモーニング」でコメンテーターとしてご一緒し、かつ「ナイトジャーナル」にもゲスト出演していただいたことがある。そのテーマは「夫婦別床」。日本はなぜ夫婦が別々に寝るのか、という話しだった。

さて、彼がそこにいたのには理由がある。予防医学はアメリカでは以前から注目されているが、日本人の意識はまだまだ低い。宗教とは関係ないが、彼は予防医学の大切さも日本で訴えようとしているのだという。

その協会の理事長である神津健一氏は、リゾレシチンの効用を強調しているのだという。キレル子供はリゾレシチンをとると気持ちが落ち着いていいのだそうだ。アルツハイマーにも効果があるという。アルファ・ベストなるリゾレシチンを入手して、番組の本番前に試してみよう。

2003年6月7日

バーゲン奮戦記

このところセールの時期が早まっている。5月末まで肌寒くて長袖のJKを着ていたのに6月7日にはもう夏物のセールが始まるのだ。次から次へとセールのお知らせが手元に届くから恐ろしい。ここで誘惑に負けてはまた貧乏生活に戻ることになる。今年はイタリアでも春夏物先取り買いをしている。もう、セールには出かけまい。

ところが、友人の嘆きが私を地獄へと誘(いざな)った。リストラの嵐はフリーライターにまで及び、友人は営業活動が必要になった。だが、いざ営業となると着るものがないという。このところ家にこもっていた彼女は、怠惰な性格も手伝って、むくむく太って肩や袖が入らないのだそうだ。そこで浜松町で開かれるイッセイ・ミヤケのセールに私もでかけることになった。サンプルセールは葉書がないと入れない。それにイッセイの服は初めてなので一緒に見立ててほしいといわれてしまったからだ。

それにしてもセール会場では判断力が鈍る。なんで買わなくてもいいものを買ってしまうのか。限られた時空で競争心をあおられると、結果的に無駄遣いに走るようだ。

入り口で渡される大きなビニール袋にまず、めぼしいものを放り込んでいく。来ている人々はみな、生き馬の目を抜くような勢いだから、そのスピードに負けないようにかなり欲張った確保に走るのが共通の心情だ。だから出遅れると美味しいものは見当たらないが、数時間後にははっとする掘り出し物が顔を見せることになる。ハンターの目になっているから、その瞬間が危険なのだ。

今日もそうだった。殺気立つ会場の空気に毒された私たちは、空腹に気づいて食事にでかけた。頭をクールにして何を選ぶか、しばし考えようというわけである。ところが、会場に戻ってくると、急にアイテムが増えているではないか。羽織ってみると、どれもこれも友人に似合うものばかりだ。

くわえて今年のイッセイのセールは定価の3分の1の額がつけられている。このお値打ち感が私たちの背中を押してしまうのだ。財布のひもを締めていたはずの私さえ、何点か購入するはめになる。イッセイ歴の長い私はオンタイムでラインアップをチェック済み。何に価値があるか、よく承知している。

友人も私もいい買い物をしたはずだった。だが、会場から外に出てみると、本当に必要なものを購入したのかどうかは非常に怪しい。なんだか買った喜びよりも徒労感だけがどーんと残ってしまった。

もっとも二人が裕福だったら、どうってことはない。目が肥えて価値がわかるのに財源がない二人の悲劇。金があっても価値がわからない人間が多い日本社会で、なんだか空しさだけが残った一日だった。