7月29日  民主党大会

 どうも私はケリー夫人が好きになれない。

だが、党大会でのスピーチは、彼女にしては上出来だった。いつもの彼女のテレテレしゃべりが、味わい深く聞こえた。いろいろな言語で挨拶をしてみせ(実際、挨拶だけなので、あれなら私にも言えるのだが)、ヒスパニックの共感を得ることに成功した。

 一瞬、彼女の成長に期待した私だったが、しかし翌々日、女性集会にやってきた時、すぐに、それが幻想だとわかった。だらだらと長いだけ。何も心に響かない。CNNのインタビューに答える姿を見たときに感じたとおり、やはり彼女には人をひきつける魅力がない。知性はともかく、心がない。彼女が話すのを聞くたびに、ヒラリーが輝かしく見えてしまうのは、私だけだろうか。

 アフリカのモザンビーク出身の夫人は、ジュネーブで通訳の勉強していたころ、ハインツの御曹司に見初められて結婚。夫が事故にあって未亡人となった。天文学的数字の遺産をうけついだのだという。その後、ケリーと再婚。本来はメディアが飛びつき、ヒロインに仕立て上げるのに好都合のヒストリーの持ち主である。なのに、魅力がない。どこか下品。

アメリカの大金持ちの家に嫁いだのだから、もう少し品があってもいい。あるいは知性が匂ってもいい。逆にギラギラしていて嫌な奴でも不思議ではない。いわゆる日本でイメージする「セレブ」のかけらも感じさせないのだ。着るものも、着こなしも、ドンくさい。

ならば、素朴で温かくて思いやりがあるように映るかというと、さにあらず。本来はプチ整形をしたことを臆面もなく話す性格や人工中絶をしたことを正直に語ることが評価されてしかるべきなのだが、なぜか共感を覚えない。アメリカの金持ちの嫌らしい部分だけが、そこはかとなく匂うのである。つまり、貧しい人を引き受けない何か。自分たちだけ良ければいいという何か。成り上がり的な何か。偽善的な何か。まだ分析しきれていないが、ある種の冷たさが見えてしまうのである。

 くわえて、ケリーの娘たち。こちらはケリーの血統だが、彼女たちにも洗練された感じがない。家族のサポートを演出したいのだろうが、なんとなく若者に媚びる日本の風潮が逆輸入された感じだ。なんだかなあ。夫人のみならず、娘たちも引っ張り出してくる党大会の演出は、必ずしも成功していない気がする。大衆化がどんどん進んで、アメリカ社会がどんどん軽率になっていくのを象徴しているように映る。

 私が最初に党大会を見たのは、NYで開かれた92年の民主党大会だった。私が未熟だったことを差っぴいたとしても、もっと大人の世界が展開していたと記憶している。党大会の演出は、もっとシンプルで、議員たちのスピーチが心に染み入ったものだ。感動のあまり、泣かされたスピーチもあった。 ファイーストレディ候補はといえば、夫婦で女性集会に来ただけで、党大会にまでしゃしゃり出なかったと記憶している。

 最近は、クリントン前大統領を紹介する段階で、すでにヒラリーが登場し、エドワーズの紹介も夫人が行うという、ベタベタぶりである。挙句のはてに、大統領候補の娘たち。演出過多になればなるほど、中身がなく聞こえてしまう。

 とはいえ、エドワーズの爽やかさと、クリントンのスピーチによって、党大会は成功したと言うべきだろう。スピーチの内容は資金集めディナーの時と大差はないが、デリバリはさらに進化されていて説得力があった。

 ブッシュへの嫌悪感とクリントンの遺産に支えられているケリー。万が一政権を奪ったところで、彼が馬脚を現すのは時間の問題のような気がする。

7月17日 エドワーズ指名効果

私がジャカルタにいる間、アメリカのメディアはエドワーズ一色だったという。

 ジョン・エドワーズ。彼は魅力的である。3月の予備選の段階で、私はエドワーズが大統領候補になることをひそかに願った。民主党候補が一同に会してテレビ出演すると、彼の笑顔が眩しくて、アメリカの未来はこういう若者に託したいと感じたものだ。ブッシュ以外なら誰でもいいと考える人々のエナジーは、勝ち馬に乗る形で当時勢いのあったケリーへと傾いてしまったのである。

 1月にケリーが急浮上したときから、ケリーでは民主党は勝てないのではないか、と私はずっと疑問に思っていた。カリスマ性は皆無。演説がつまらない。世界を動かすには、あまりに「おじいさん」である。何度も整形、いやプチ整形を繰り返した顔が痛々しい。どこか誠実さにかける。アメリカの富裕層にしては品がない。

 それに比べてエドワーズは南部出身で、決して裕福な家族の出ではないのに、どこか品格がある。白い歯が眩しく輝く笑顔が爽やかな印象を与えている。本来、アメリカ人とはこうあるべきだ、と誰もが描くハリウッド映画に出てきそうな51歳の善玉系である。

 そうなのだ。ケリーはキャラが立たないのである。悪玉でもいいからキャラが立たないとメディアが取り上げない。日本でいうなら、小泉純一郎、田中真紀子、鈴木宗男といった人物はキャラが立つからテレビが追いかけたのである。

  アメリカで言うなら現大統領のジョージ・ブッシュ。いまや彼を善玉と呼ぶ人はいないだろうが(少なくともアメリカ以外では)、その彼ですら妙な愛嬌があるのだ。「モンチッチ」と私が呼ぶその表情は、アメリカでもモンキーと呼ばれているのだが、そう人が呼ぶ時には、どこか憎めないという響きがある。これが重要なのである。

 そういう意味では、お父さんのほうが魅力はなかったかもしれない。最初はレーガンの影に隠れ、自分が大統領になってからも、卒なくこなしているように見えて、実はブッシュよりも悪玉だった節があり、確信犯である分、大統領以前はロープロファイルにしていたのかもしれない。それがしみついて、大統領になった後でもいまひとつ、魅力が出てこないのかもしれない。

 さて、エドワーズに話を戻そう。彼は子どもを事故で亡くしたという経歴も持つ。その哀しみを乗り越えた人間は強くて深い。若くして親に死なれるのも、伴侶に死なれるのも、兄弟姉妹に死なれるのも、それぞれにトラウマを引きずると思うが、子どもに先立たれるということだけは、誰もが経験できることではない。しかも、まだ10代半ばの息子を事故で亡くしたのである。親にしてみれば、アメリカといえど、まだまだ十分に親の庇護の元にあると考えるものである。病気なら共に闘えるが、事故とあっては、親はどうすることもできまい。

 たとえ今回、彼が副大統領になれなくとも、 4年後はまだ55歳である。おそらく立候補するであろうヒラリー・クリントンと競い合うのは間違いない。ケリーに不満な民主党系の人々の中には、次期はゴアだと言う人が多いが、私はゴアもキャラが立たず、嫌味な部分が鼻について駄目だと見ている。それは92年の時点で私が感じたことであり、唯一、彼から嫌味が消えて輝きを持ったとすれば、2000年の大統領選挙の時であった。最近、アメリカでメディアを通して見ている限りは、太っただけでで、またまた嫌味具合に拍車がかかったと私には映っている。

 ヒラリーを落として大統領候補になるか、あるいはヒラリー政権の副大統領になるのか。

 早くも4年後を考えてしまう私である。

7月14日 家族再会実現の裏側

 9日にジェンキンスさんがインターコンチネンタル・ホテルに入ってきたのを見て、不覚にも涙ぐんだ私であったが、日本では素直に感動できなかった人が多かったと友人がメールに書いてきた。つまり、これは参院選のための小泉の陰謀、いや醜い悪足掻きだというのである。

 ある雑誌の編集部から、この裏話が知りたいというのでジャカルタで、そしてワシントンからも電話取材を続けた。日本では5月22日に再訪朝し、7月になって急に実現したのは参院選で形勢不利だからゴリ押ししたのだというシナリオだと考えており、その裏を取りたいということらしい。

 しかし、現実は日本のマスコミが考えるほど、直前のドタバタではなく、6月初めから着々と準備を進めていたのであった。そして、想定したシナリオでないとすれば、日本のメディアの記事としては魅力がないというので、この話は掲載されなかった。

 現段階でわかったことは次のとおりである。日本政府は北京の北朝鮮大使館と交渉を進めていた。よって再開は北京でというのは自然の流れであったが、曽我さんが強く抵抗したため、ジャカルタでという話になった。

 インドネシアと北朝鮮の親密な関係は、初代大統領スカルノ時代に遡る。彼は欧米の帝国主義に疑問を抱き、第三世界は一致団結して中立主義を歩むべきだと考えていた。そしてインドネシアのバンドゥンで各国のリーダーを集めたアジア・アフリカ会議を開き、欧米から敵視される。その中には周恩来と金日成がいた。西側諸国には共産主義者だというレッテルを貼られがちなスカルノだが、彼の中では第三世界の一員として中国と北朝鮮を位置づけていたのである。

 その10年後、9.30事件というクーデター未遂事件が起き、第二代大統領となるスハルトはその首謀者を共産党とし、党員とそのシンパの大虐殺を行った。結果、中国との縁も切ることになるのだが、なぜか北朝鮮との国交は絶たれることが無かった。あれほど共産主義の色を消してアメリカに追随したスハルトでさえ、90年代には北朝鮮と国際社会のパイプ役を担うべきではないかと考えていた時期があるのだという。

 32年にわたるスハルトの独裁政権が倒れて2年後に政権をとるのがメガワティである。彼女は、第五代大統領に就任した翌年、韓国と北朝鮮を訪問している。南北の架け橋になりたい――。戦略を持たないとされるメガワティの政治家として唯一の執念といってもいいかもしれない。スカルノの長女としてバンドゥン会議で父に同行した金正日に会っているし、彼女自身も父とともに平壌にも行っている。くわえてスカルノは子どもたちの中でもメガワティにはよく北朝鮮の話を聞かせたらしい。しかも来年はアジア・アフリカ会議50周年。これをインドネシアで開こうと着々と準備を進めているのである。

 そこへ舞い込んできたのが、家族再開の場をインドネシアにしたいという日本政府からの申し入れである。彼女がノーと言うはずがない。これで日本にも北朝鮮にも恩を売れるのである。しかも、これがきっかけで日朝関係が改善されるとすれば、ファザコンの娘(アウン・サン・スー・チーほどではない)とすれば、大統領になっただけでなく、国際社会でもスカルノ家の名前を再浮上させられるというものである。

 交渉は6月初め、大使がメガワティの了解を得るのと同時に、日本政府は北京の大使館を通して北への打診を続けていた。そして北京で開かれた6カ国会議で斉木審議官が北朝鮮側と交渉を詰め、その確認を6月末にジャカルタで開かれたASEAN外相会談で外相同士が行うという、まことにラッキーなシナリオが描けたというわけだ。これは日本政府にとって、なんとも好都合であった。本来、出席の必要がない北朝鮮の外務大臣が、メガワティの采配によってASEAN外相会議に出席していたからである。さらには、アメリカからパウエル国務長官が同席したことも日・朝・印尼3国を安心させることとなった。

 それにしても、お見事なのは金正日である。ASEAN外相会議の段階では23日の誕生日前に、とだけ言っていたのに、7月9日、参院選の前々日にぶつけてきたのである。どうせ日本の申し出を受け入れるなら、効果的に、思い切り派手に、小泉に恩をきせてやろう。経済支援を得られるなら、日程を繰り上げるなんてどうということはない。そうほくそえむ金正日の顔が浮かんでしまう。

 そもそも今回の交渉では、総理の野心のせいで日本が大きな借りを作ったと私は考えている。日本のマスコミが描く、参院選に勝ちたい自民党総裁としての悪あがきよりも、対北朝鮮外交における借りのほうが批判されるべきである。

 しかしながら、日朝関係改善が前進したことは評価されるべきである。たとえ、それがメガワティと小泉と金正日の3人の野心の果てに実現した再会だったとしても、である。金正日からみれば、この2人でなくなると、北の窓口がなくなるわけで、少なくともメガワティには暗に選挙に勝って北との親睦をますます深めて欲しいとメッセージを送ったそうだ。さらにアメリカの大統領がケリーに決まってくれれば、と祈っているに違いない。

7月12日 ファーストクラス、その天国と地獄 2

 911以降、アメリカの空港ではいろいろ面倒なことが多い。最初に降り立った都市でイミグレを通らなければならない。一端バゲージクレームでスーツケースを取り上げて、それから国内線でチェックインするのである。

 くわえてLAの空港では、SQとUAのビルが思い切り離れている。中ではつながっておらず、大型バスが行き来する外を歩かねばならない。エンジンの音がうるさい上に空気が悪い。アメリカの空港では、駐車場や近隣のホテルへのシャトルバスだけでなく、次々にレンタカー屋のバスがやってくるのだ。

 ようやくたどり着いたビルはなんとも簡素で、UAのラウンジも最悪だ。PCをつなぐことは「有料で」可能だが、食べものがクラッカーしかない。

 ファーストクラスのラウンジはどこか?と尋ねれば、こんな答が返ってきた。

 「SQがファーストならば、それも可能です。しかし、あなたの場合はビジネスでした。なので、ここしか使えません」

 ひどい。私はファーストクラスのマイレージを費やしたのだ。なのに、SQの飛行機が2クラス性だっただけではないか。しかもUAのマイレージである。ならば、そこを考慮してファーストに移してくれてもいいではないか。私はここに5時間もいないといけないのだから。

 「私も同情します。でも規則ですから」

 アメリカの組織がオープンでフレキシブルだと思うのは間違いである。時として日本よりはるかに官僚的なことはよくある。もっとも、このお兄さんの場合、電話でファーストのラウンジにかけあってくれての結果である。個人的にはいい奴だ。

 「SQのラウンジに行けば、食べ物が豊富にあると思いますけれどね」

 えー?冗談じゃない。また、あのビルまで延々と歩けというのか。それに、イミグレを抜けてからでは、中に入れないだろうに。いい加減なことを言わないでよ。

 しつこい私は、ファーストのラウンジを探し当て、もう一度交渉してみたが、無駄だった。こちらにくれば、アルコールも無料で飲めるし、サンドイッチやチーズ、フルーツがそろっているが、こちらでも規則と断られた。

 ま、いいか。国内線とはいえ、次はファーストだ。そこで何か食べられるであろう。さすがの私もあきらめて、ビジネスのラウンジでPCに向かった。

 ところが、である。この国内線のファーストクラスが地獄だったのだ。

 1Dという最前列の窓際のチケットを持っていた私は、PCと本の入ったキャリーバッグを持っていた。それを見たスチュワデスがすかさず、それを上げろという。しかし、一人で持てる重さではない。なので、一緒に手伝ってもらえませんか、とお願いしたところ、いきなりスチュワデスがこうまくし立てたのである。

 「それは私の仕事ではない。重い荷物を上げて体を壊しても会社は何も保障してくれないのだ。95年以来、組合で一切手伝うなと方針が決まった。誰か乗客の中で手伝ってくれる人をさがしてくれ」

 正確ではないが、こういう趣旨のことを一気に早口にまくし立てたのである。

 「私は上げてくれと押し付けているわけではない。私は背が低いので一人では持ち上げられない。なので、手伝ってとお願いしているだけです」

 「会社が保障してくれないから、仕方ないのよ」

 そこで私はこれ見よがしに隣の席のシートに、カバンを横にして置いておいた。

 すると、そこに50歳くらいの紳士がやってきて、それを上げてくれたのである。お礼を言うと、例のスチュワデスがまたやってきて、前回の何倍ものスピードで、息もつかずに2倍の量を話し続けた。まるで組合のプロテストのようだ。それがひとしきり終わった後、私はこう言い返した。

 「私はゴールドメンバーで、これまでも何度もUAに乗ってきたが、こうして断られたことは一度もない。どの飛行機でもスチュワデスが手伝ってくれた。むしろ先方から積極的にやってきて、あげてくれたくらいだ。組合の規定なら、なぜ彼女たちは手伝ってくれたのか理解できない」

  「手伝ったその人たちは、とても立派で偉いわ。会社が保障してくれないんだから、自分のことは自分で守らないと。私たちは組合でそう決めたの」

 そもそも労働条件が悪いからといって、客に八つ当たりするのは見当違いである。それもエコノミークラスなら、まだ理解ができる。しかし、ここはファーストクラスだ。一般にはいいサービスを受けるため、高い金を払って乗っているのだ。断り方にも礼儀というものがある。このような無礼な態度が許されていいのだろうか。

 やがて飛行機が舞い上がると、寒さに耐えられなくなった。深夜便だから冷えるのだろうか。私は毛布をもう一枚リクエストしようと、スチュワデス呼び出しボタンを押して、しばし待った。あまりに長きにわたり無視されたので、私はアイルに立って彼女たちが油を売っている後部をにらんだ。5分は経過したであろうか。ようやく気づいてやってきたが、それでも「毛布があるかどうかわからない」と言い訳し、機内で使われていない毛布を探し、1枚持ってきた。

 やがて1Aに座っていた男性が事態のひどさに気づいて彼女に忠告した。以来、彼女は私に媚を売り、コーヒーのサービス時には、名前をやたら連呼するようになった。

 トイレに立った時も媚びを売ったので、私はこう話した。

 「UAの経営が大変なのも理解できるし、労働条件がよくないことも想像がつく。でも、ここはファーストクラスでしょ。それなりのサービスを受ける権利はあると思うの」

 「あなたが怒るのももっともよ。私も前は国際線を飛んでいて、東京担当だったの。UAはね、国際線はいいの。でも、国内線はひどいのよ。これが現状。毛布だってね、私は地上スタッフに言ったのよ、もっと必要だって。でも、深夜便だから、これでいいって断られたのよ。これがUAの現状だから、覚えておいたほうがいいわ」

 なんだか妙な話である。深夜便を利用する私が悪いと言わんばかりだ。本来は、「次回もまた、UAをご利用ください」ではないのか。

 モラルの低下は日本だけの問題ではないようだ。

7月11日 ファーストクラス、その天国と地獄 1

  ジャカルタからワシントンへ帰ってきた。せっかくだから、シンガポールからNYへの直行便にトライしてみたかったのだが、6月末に始まったこの便には空席がない。それのみならず、東京―ワシントンも東京―シカゴもマイレージ枠には空席がないのである。唯一存在したチケットは、シンガポールからLAに飛び、国内線でワシントンへというコースであった。これが地獄のチケットだったのである。

 東京からシンガポールに飛んだ時は天国だった。さすがSQのファーストクラスである。やたらだだっ広く、椅子も大きくてクイーンのような気分。アメニティグッズにも少しワクワクさせられた。アイボリーのポーチに入ったブルガリのローション、ぶどう色のジバンシィ製スウェット上下。各航空会社のアメニティの質が下がっている中で、久々のお得感。これらは秀逸だったし、重宝した。

 くわえて食事も贅沢。なんといってもオードブルにキャビアがごっそりとお皿にもられているのを見た時は感激した。ウズベキスタン映画を出品して映画祭に出席するため黒海沿岸アナパに行って以来、キャビアを口にしていない。シャンペンも種類が豊富、ワインも年代物が用意されているではないか。ランチとは思えない豪華さに、眠ることは止めて、ひたすら飲むこととビデオ鑑賞に徹することにした。

 そしてシンガポールでの乗り継ぎ。いつものようにチャンギ空港の本屋で過ごしてもいいのだが、お膝元でのSQのラウンジを試してみたくて、寄ってみることに下。

 がっかりしたのが、ラウンジまでの距離。表示に従って移動していくと、これが複雑怪奇でようわからん。よほど長く時間をつぶす時でないと、本屋でいいか、になってしまう。しかし、ようやくたどり着けば、そこはビジネスとファーストは左右にきっちり差別化されていた。

 驚いたのは、その広さである。乗り継ぎのために空港のホテルで眠ったことは何度かあったが、あの不愉快なホテルで過ごすことを思えば、ここで夜を越したほうが、きっと楽しいに違いない。PCが何台も用意されている上に、読み物も食べ物も豊富である。お国柄とは飛行機でも登場したサテなどのマレー料理と中華の両方がそろっている。エコノミーのミールで我慢していたら、ここでガツガツ食べたに違いない。いや待て。そんな安いチケットで飛ぶ人間には、ここは立ち入り禁止区域である。やっぱり無駄だ。ファーストクラスだからといって一人の人間に限りがある。富める者は食事を捨て、貧しい者は常に飢えているか、まずいミールが相場である。なんだか弱肉強食社会の縮図のようで腹が立つ。それに、私は二度とここに入れないかもしれないのだ。そう思ったら、やっぱり何かを食して帰らないともったいないではないか。機内であんなに食べたのだから、もう入らないはずが、結局、ビールのつまみと称して、あれこれ試食してしまった。この卑しさが私をデブへと導くのである。

こうした夢見心地の体験は、そう簡単にはできないものである。夏休みにさしかかっているのに、ぎりぎりにブッキングした罰。帰りは悲惨な目にあった。

 まずはシンガポール-LA便。SQなのに、これがビジネスなのである。空席がなかったのではない。ファーストクラスを持たない飛行機だったのだ。しかも、そのことをUAの予約センターのオペレーターは告げなかったため、私がこの事実を知ったのは、ジャカルタでカンファームした時である。

 120000マイルも使い果たすというのに、この仕打ちはない。7日に帰るのであれば、東京―ワシントンDC直行便のファーストが押さえられたのだ。しかし、私は飛行機を選ばなかった。むしろジャカルタに少しでも長く滞在することを優先したのである。結果、曽我さんの家族再会の現場に居合わせたのだから、良しとしよう。ここでは、ひたすら眠ることを重視したのだった。

 しかし、本当の地獄は、LAに降り立った後に始まるのである。

7月5日  インドネシア大統領選挙

 久々のジャカルタはめまぐるしく変化している。埃まみれで今にも壊れそうだったぽんこつのタクシーはぴかぴかの新品に替わり、ガラス張りの新しいビルが次々に建てられている。日本の賠償金で建てられたホテル・インドネシアは改装中。プレジデントホテルは日航ホテルに替わり、その裏にはメルセデスのマークを配したドイツ銀行が聳え立つといった具合で、その一角を見るだけでも、アジア経済危機から6年半、インドネシア経済の立ち直りを象徴するかのようだ。

 しかし、裏を返せば、不良債権処理を急ぐあまり、外資にいいように叩かれ、買い占められたということだ。そう思うと、きゅんと胸が痛くなる。いまごろ東京の土地やビルも、同じように欧米人や中国人のものになっているに違いない。

 なにも外資に限らない。インドネシアのお金持ちも経済危機というチャンスをものにした。彼らも企業や不動産を買占め、思いっきり大金持ちになったのだ。そうした富裕層のおかげでメルセデスもBMWも、ジャカルタでは予約待ちだという。まさに竹中改革の果ての日本を見るようだ。つまり、そうしたお金持ちは一握りの人であり、庶民といえば、失業にあえぎ、物価高のジャカルタでは食べるのがやっとである。庶民の味方だったメガワティの人気が落ちたゆえんでもある。

 スハルト政権が崩壊してから6年4ヶ月。史上初めての大統領選挙は今日、投票が終わった。当選が危ぶまれるメガワティとその家族は、南ジャカルタの自宅近くで投票した。4月の総選挙では大統領公邸近くで投票して闘争民主党が大敗した。縁起かつぎのために「民主化のシンボル」時代の自宅に戻り、初心に帰って投票しようというものである。初心とは、庶民の味方だったころ、汚職にまみれたスハルト一族の弾圧に耐えて闘っていたころのことである。

 メガワティは真っ赤な服に身を包んで現れた。赤は闘争民主党のシンボルカラーだ。めずらしく上機嫌で、カメラマンにも笑顔で応えた。そして、スペイン風の大きな白い扇で

 煽りながら、家族の投票が終わるのを待った。

 今回の大統領選挙は特別である。空港では、 25ドルの入国ビザを請求される外国人だけでなく、インドネシア人も長蛇の列を作って待った。最近は仕事で頻繁にインドネシアに来ているらしい、若い日本のビジネスマンに話しかけてみた。

「ここまで混むのはめずらしいですよね。みな選挙で戻ってきたんでしょうね」

「そんなわけないでしょ」

 インドネシアをわかってない若者である。ここは日本とは違うのだ。32年間もスハルトの圧政に苦しみ、大統領も副大統領もすべて国民協議会の中で選ばれてきた。実質、そのメンバーはスハルトが決めていたわけだから、彼の再選は確実だったのだが、その政権が倒れてもなお、大統領は国民協議会の選挙で選ばれ、政党のかけひきで終わったのが1999年秋の出来ごとである。したがって、今回初めて大統領を直接で選べるようになったのだ。この歴史的瞬間にぜひとも投票したい。実際、私の知り合いも何人か帰国している。

 それにしても、面白いのが投票の仕方である。5組の正副大統領候補のバストショットに穴を開けるという方式だ。三方を囲まれた小さな投票デスクには紐でつながったアイスピックが用意されている。それで、候補の写真をブスっと刺すわけだ。日本人の私としては五寸釘を思い出して、何とも奇妙な感じがする。嫌いな候補を刺すならともかく、未来の大統領の写真を刺すのである。総選挙では政党のマークを刺せば済んだが、人の写真であるところが、なんとも寝覚めが悪い。

 それでも、二箇所に穴を開けた人もいたようで、これを無効とするために、開票には予想以上に時間を要するらしい。5年前に比べれば、コンピュータを導入して、はるかに早くわかるようになったものの、外島の状況まで把握するのは簡単な作業ではない。

 今夜の段階では、SBY=スシロ・バンバン・ユドヨノが圧倒的人気を誇るが、50%に満たないので決選投票にもつれこみそうだ。彼が最も新鮮で、汚職のイメージから程遠い。どうやら、そこに賭けた人々が私の周囲にも多いのだが、さりとて、元軍人にゆだねることに抵抗のあるのも事実である。決選投票の相手としてメガワティが残るのか、ウィランが残るのか。その行方を見守りつつ、それぞれの候補の分析と票読みを明日以降に書くことにする。

6月26日 ファーストクラス体験記

 これだけ飛行機で移動していながら、ファーストクラスというものに乗ったことがない。一生乗ることはないだろうと思っていた。しかし、ついにやってきたのである。生まれて初めてのファーストクラス。どんなセレブに出会えることやら。

 事の始まりはこうだ。インドネシア大統領選をカバーするためにジャカルタに行きたい。それにはマイレージを使うのが懸命だ。1ヵ月半前に予約を入れた。これが間違いだった。6月末といえば、アメリカはもう夏休みモードで、マイレージ枠はすべて一杯なのである。しかも先日、息子のマイレージ枠で訪米した父の友人夫婦などは4ヶ月前に予約済み。これでは2ヶ月前でも遅すぎるわけだ。結局、毎日しつこく電話をかけて、ようやく見つけ出したのがファーストでジャカルタに飛ぶというパターン。え?ちょっと勿体無い・・・。長旅だしマイレージを使うのだからビジネスが理想だが、ファーストはちょっとねえ。

 で、その場合は何マイルで乗れるのかしら。ワシントンージャカルタで、なんと120,000マイル。うーん。ビジネスとは 30000マイルの違いだし、ジャカルタまで飛べるのだから、ま、いいか。自分でマイレージを購入したとして、30万円の計算でしょ。ANAの直行便で東京に行き、SQでジャカルタに行くのをエコノミーで買うと、約14万円+約7万円。9万円の差でファーストが体験できるなら、これに越したことはない。思い切って挑戦してみよう。

 とはいえ、締まりやの秋尾のこと、前々日まで予約状態をキープし、なんとかビジネスにスライドしようと毎日のように電話をかけ続けたが、ついにギブアップ。そして初体験へとまっしぐら、となったわけである。

 おまけに8月には正式に帰国するつもりだから、荷物を少しでも多く東京に運んでしまいたい。ファーストなら少々のわがままは許されるはず。アジア中心の地図とバナナの木が描かれた、なんともオリエンタルな味わいのある額を、機内持ち込みで運ぼうという野心満々の私。とってもファーストにふさわしい優雅な乗客モードではない。

 しかも、チェックインは特権階級でも、セキュリティチェックはそうはいかない。PCが2台入ったキャリーバッグの上に、プチプチで包んだ額を載せて、てれんこ、てれんこ。シカゴまでは国内線だから、夏休みモードのダレス空港で長蛇の列に身を任せるはめとなったのである。

 さて、楽しみなのはラウンジだ。当然、ファースト専用の特別室のはず。さんざん日米を往復した私は、チケットはエコノミーでも、スターアライアンスのステイタスはゴールドだ。いつもビジネス客と同じラウンジで過ごす。ところが、このファーストのラウンジ、どう見てもいつもと変わらない空気なのである。ラウンジのサービスもこれといって特別ではなく、フルーツとチーズケーキなど食べ物とお酒のメニューが豊富なくらいだ。それに乗客の面々も同じだ。何一つ特別の空気がない。一抹の不安がよぎる。

 いやいや、きっと国内線の乗客がここにいるのであって、国際線で日本まで飛ぼうというセレブは、ぎりぎりにチェックインして、ラウンジなどに寄らずにシートに座っているに違いない。どんなナイスミドルに会えるのか、それともシルバーグレーの紳士との出会いが待っているのか、それとも若き実業家青年が待ち受けているのだろうか。あの、エマニエル夫人よろしく、艶っぽい出会いがあったらどうしよう。

 例の大きな額をひきずり、やや遅れて席についた私。さりげなく周囲を見渡し、唖然。

 ――ど、こ、が、どこがファーストクラスなの・・・。

 やっぱりラウンジと面子は同じだぁ。欧米人はみな普通のビジネスマン風だし、なんでアンタが、と、日本人4人は似たり寄ったり。つまりはお互いがっかりモードなのである。

 思うに、同乗者は経費で国際移動するビジネスマンでマイレージがたまってアップグレードしているか、私同様、マイレージ枠で探したらファーストしか空きがなかったという人々に違いないのだ。少なくとも日本人4人は後者と見た。だって、生成りのジャケットのお兄さんがラウンジで未開封のカップラーメンを二個、自分のバッグの中に入れるのを、私は目撃してしまったんだもの。どう考えてもファーストの常連客じゃない。

 えーん、セレブはどこにいるんだよぉ。

 気を取り直し、海老のフライにマンゴーソースのかかったオードブルを堪能し、あとは年相応に和食弁当にして、シャンペンだのワインだのを楽しんでみたけれど、なんだかなあ。真横になれるシートで熟睡し、自分で操作できるビデオで映画を鑑賞し、ま、思いがけずキルビルが面白いことを発見できてよかったことくらい。ひっきりなしにお水だのワインだのを注いでくるのが有難いような、常に見張られていて窮屈なような。

 ま、こんなもんです。なんともいえず、私らしい結末。これで50万の差額なら、ビジネスで十分。このことがわかっただけでも良しとしましょう。

6月20日 ジョージ・フォアマン、そしてグリル

 ワシントンに来て間もないころ、食器を買うためにデパートに赴いた。エスカレーターをあがっていくと、そこに積まれたダンボールの箱で微笑んでいる1枚の写真。スキンヘッドの男性はジョージ・フォアマンに似ているけど、まさか――。

 どう見ても、フォアマンである。しかし、ニッと笑うその笑顔が、どうも私の中のイメージと違うのである。彼は渋く戦う人でなければいけない。少なくともNHKのドキュメンタリーを見た人ならそう思うはずだ。沢木耕太郎の書いた(とされる)あの渋いナレーション。あのイメージからは遠すぎる。

 しかも、その箱の中の商品はグリルである。斜めになっていてハンバーグの余分な油が落ち、太らない電気グリルなのだ。その箱の中には、コーヒーメーカーとトースターまで入って29ドル99セントなのである。あまりの安さに私はしり込みをした。フォアマンの笑顔もチープ、3点セットもチープ。このチープには何か裏がある。そう疑って、家に戻った。

 そして3日後、再び出かけてみると、同じ箱が59ドル99で売っているではないか。あれは幻だったのか。なんだか夢から覚めたようなショックに思わず店員に尋ねると「あれは週末セールさ。またやるかもしれないから週末にくれば」とあっさり言われた。ほんとうかな。未練がましく土曜日にでかけてみると、なんと再び29ドル99セントで売られているではないか。しかも、とても肉づきのいい黒人のおばさんが、その商品を買おうとしている。彼女に写真の主を尋ねてみた。

「あら、もちろんフォアマンよ。ほらグリルのチャンプって書いてあるでしょ」

  たしかに、よく見れば、GEORGE  FOREMANと書かれている。この笑顔が情けない気もするが、どうせコーヒーメーカーもトースターも必要だ。3つで3500円なら試してみることにしよう。

 ところが、これが優れものなのである。電気代をどれほど食うのか知らないが、すぐに熱くなってハンバーグがあっという間に出来上がる。一人分のひき肉をラップに包んだものを冷凍庫から出して解凍し、そのラップを広げて玉ねぎ(急ぎのときはフリーズドライのねぎ)とドライにんにくの粒、ハーブ、パン粉、そしてチリパウダーを混ぜてこねたものをフォアマングリルで焼くと、これがいいツマミになり、いいおかずになるというわけだ。しかも簡単にできるので、ペーパーを書きながらでも用意ができる。サラダでも用意すれば食生活は万全だ。お弁当にも楽そうだから、日本で売れば必ずヒットすると思う。

コーヒーメーカーとトースターはおまけみたいなものだから、ま、最低限の機能しかなくてもよしとしよう。とにかく私はこの買い物に、いたって満足だった。

そして、これには続きがある。ひょんなことで知り合ったグリルだから、どれほどメジャーかもわからない。しかし、東京のマツキヨ的ドラッグストアCVSにも置かれ、デパートでも週末ごとにフロアに並ぶこの商品は、一人用から大家族用まで、実に種類が豊富なのである。夜中に放送されるテレビ・ショッピングではフォアマン本人が出てきて商品説明をする始末。どうやら彼は破格の契約金でこの商品に名前を売ったらしい。

商品は一押しだが、この笑顔を見たら失望する日本のファンも多いだろうなあ。いや、もしかして本当にコアなファンは、驚かないのかもしれない。今日はハムをグリルしながら、ふとそう思った。

6月15日 セミとホタル

 ワシントンは自然が豊かなところだ。四季折々の花の変化を見るだけでも楽しく、幸せな気分になるのだが、そこに動物までお目見えするからさらに楽しみが加わるというわけである。アパートメントの合間の芝の上をリスがかけめぐり、すずめに似た鳥が小さな虫をついばみ、最近はリスにまぎれてねずみまで走り回る。大学ではとくに、学生がいなくなるクリスマス休暇や夏休みになると、リスがキャンパスを我が物顔にとびまわる光景がやたら目立つようになる。これだけ身近に存在すれば、ディズニー映画でリスが主役になるのもうなずける。そのイメージからリスは茶色と相場が決まっていると思っていたが、グレーや真っ黒なリスも少なくない。最近は目が肥えてきて、木の幹を駆け下りるリスも発見できるようになった。

すずめらしき鳥が芝の間の虫をついばむ姿も日常の光景だが、先日は少し大きな鳥がある昆虫を食べる姿を目撃した。ジョージタウン大学病院の向かいにあるスターバックスに腰掛けてクリスプ&クリームのドーナツを食べていたときのことである。鶫くらいの大きさだろうか。地面を這っている昆虫をパクっと食べてしまったのだ。

餌食となったのはセミである。セミがアスファルトの上をゆっくりと這っている光景は、決してめずらしくないのだ。

今年はセミが大量発生した年だという。10階のアパートの窓からはすごい勢いで飛ぶ小さな物体が目に入り、よくみると、それはセミで、突然、窓や網戸に小さな茶色の点をみつけると、これがまた、セミなのである。しかもアスファルトの上にも小さな茶色がころがっていて、仰向けになっていれば、それは短い生涯を終えたセミであり、うつ伏せならば、ゆっくりと這い回る死期の近いセミだったりもする。下を見ないで歩けば、必ずや踏んでしまいそうでドキドキする。樹木の下を歩くときは殊に要注意。

その最期にさしかかったセミを、その鳥は食べてしまったのである。人間に踏まれるよりは鳥の餌食になったほうが自然の摂理にあっているのだろう。しかし、子どものころからセミの生涯のはかなさを教えられてきたことを考えると、なんとも悲しい光景だった。

ワシントンでみかけるセミは茶色で、羽が透き通っている。子どものころに図鑑でみたニイニイゼミが近い印象だ。養老孟司先生に聞けば名前を教えてもらえるのかもしれないが、小ぶりで羽の透き通ったセミにははかなさが加わるというものである。

しかし、その声の印象がない。東京ではセミがけたたましく鳴くのを耳にしたら晩夏という印象がある。自分の生きた証を示すかのようにセミが鳴き始め、その声がピークに達したころ、空を見上げると、ずっと高く上のほうにあったりする。だが、これだけ死骸をみつけるというのに、その声が記憶にないのである。

 この前の日曜日の夜、図書館にこもって資料を読み込み、本数の少ないバスをベンチで待っていたときのことである。目の前を小さな光が通り過ぎた。かなり強い光で、小さなフラッシュを見てしまったような感じだった。まさか――。

その光は左に行ったかと思うと、次は右。ものすごい勢いで移動している。

 ホタルである。たった一匹のホタルがすいすいとワシントンの空気を自在に泳いでいるというわけだ。恥ずかしながらホタルといえば、東京にあるホテル椿山荘のホタル祭しか記憶にない。もっと幼いころ、祖母に連れられ岐阜の川べりあたりで見たことがあったのかもしれない。その貧しい体験から、ホタルは一匹ということはなく、数匹まとめて行動すると思っていたのだ。しかも、もっと緩やかな光を放っていたと記憶している。ところが、私が見たホタルは一匹である。なのに、何匹もいるような錯覚に陥るほど、縦横微塵に飛び回る。その光の強さとスピードのすごさ。

 やがて闇に目が慣れてくると、ホタルが必死で羽を動かしているのがみえる。ものすごい回数である。ふわふわと、いかにも身軽に飛んでいるように見えて、実は必死で羽を動かしている。その生命力には思わず拍手を送りたくなる。

 地球儀片手に世界秩序を考え、自分たちが正しいと信じて世界を振り回し続ける人々が集うワシントン。私がこの街を結構気に入っているのは、こうした自然との出会いがあるからである。

6月11日 大統領レーガン追悼の日

 今日は朝から元大統領レーガンの国葬がテレビ中継されている。二晩議事堂に安置された遺体に別れを告げる国民は20万人だったといわれる。せっかくワシントンにいるのだから行ってみようと思いつつ、最初の晩は私が体調を崩し、翌晩は一緒に行こうと約束した21歳のアイリーンが頭痛であきらめた。

 指導者にはオーラが必要だといわれる。しかし、そのオーラにも「陽」と「陰」があるのだと、元大統領の追悼番組を見ながら改めて考えた。彼はまさに「陽」のオーラを持ち合わせた大統領だったのだ。

 彼の映像が次々流されるのを見ながら、なんだか日本人の私まで元気になってしまった。彼の政策に賛成できるかどうかの問題ではない。彼の存在そのものがハリウッド映画的であり、ディズニーアニメ的なのである。同時にそれは、80年代という時代の空気そのものでもあった。

 80年代といえば、私たち日本人がまだ、アメリカの価値を信じることができた時代だ。

自由の国アメリカの星条旗はそれなりに眩しく、コカコーラやペプシコーラ、マクドナルドやケンタッキーが色あせることもなく、リーバイスのジーンズ、バドワイザーのロゴ、アメリカの音楽やハリウッド映画は日本の若者を魅了するのに十分な輝きを放っていた。CNNやMTVを通してアメリカ文化を吸収するのに必死になったものだ。プラザ合意の本当の意味などわかるはずもなく、ひたすら円高に沸き踊り、企業が海外進出を果たし、アメリカを買いあさったのもこのころだった。

 この数日間のメディアを通しての盛り上がりを見ながら、アメリカ人は、少なくともアメリカのメディアは古き良き時代を懐かしんでいるのだと思った。レーガンの持ち前の明るさに加えて、共産主義というわかりやすい敵が存在したことで、アメリカは善になりきれた。正義という言葉が真実味を帯びることができた。彼は強いアメリカを訴えてアメリカ人を元気にすることが可能だったのだ。カーター氏が暗かっただけに、その落差たるや半端ではなかった。国葬に列席した元首相サッチャーに象徴されるイギリスもその点では同じだ。イギリスとアメリカの正義が国際社会の中で通った時代である。

 弔辞はサッチャーに生前から依頼されており、医師から公の場でのスピーチを禁じられた彼女は、ビデオにそれを収めて会場で流した。葬儀の演出については、カメラアングルにいたるまで本人の遺言としてあったのだという。実際には夫人ナンシーが決めていたのだろうとは誰もが考えることだ。82歳のナンシーは痛々しく、しかし、ファーストレディーとして立派に最後の勤めを果たした。弔問客が次々に挨拶にやってきて、それがまた、アメリカの理想の夫婦像を演出するのに役立った。もしも元大統領夫がアルツハイマーのまま、夫人が先立つような事態が起きていたら、国葬はどうなったのだろう。どう見ても子供たちではその任を果たしきれそうにない。その意味でも、レーガン元大統領は、愛される大統領として華々しい最後を飾る運命の下にあったのだとつくづく思った。

 「鉄の女」サッチャーは黒い帽子の下にメガネをかけ、終始うつむき加減だった。隣に座った旧ソビエト大統領ゴルバチョフも日本の元首相中曽根も、引退後、それぞれに老いを重ねていた。この3人が映し出されるたび、ひとつの時代が確実に終わり、世界の歴史地図が変わっていくのだと思い知らされた。彼らの頭を何が駆け巡ったのであろうか。自分たちの華々しい功績だろうか。冷戦終結後の混乱した世界を憂いているのだろうか。それとも俗っぽく、自分たちの葬儀のあり方であろうか。

 警戒されたテロが起きることもなく、国立聖堂で行われた告別式は、小雨の中、厳かに幕を閉じた。