LAに行ったら、必ず食べます。アボカドを使ったワカモレ。老舗メキシカンレストランでは、目の前で調理してくれます。日本でこれが食べられるレストランが少ないのが残念。自分で作るしかないね。
投稿者: AKIO Satoko
冷蔵庫が壊れた!事件
「ジ・エンド」は突然やって来るものである。
先月下旬に突然、冷蔵庫が壊れた。何の前触れもなく。
朝起きて製氷室を開けてみれば、半分水になっている。変だとは感じつつも、前の晩に疲れて、引き出しをぴっしり閉めなかったに違いないと反省して、仕事場へ向かった。だが、昼食を作ろうと家に戻り冷蔵庫を開けてみると、なんとなく冷たくないのだ。製氷室の隣の冷凍室では、食材が解凍されつつある。しかし、最下段の冷凍室は凍ったままだ。停電に備えて山ほど保冷剤を凍らせれいたから、中は冷凍状態なのである。
食事を終えた私は、生ものを仕事場の小さな冷蔵庫に、固まっている保冷剤を冷蔵庫に移して冷蔵状態を作り出し、午後はメーカーの窓口いろいろに問合せに専念した。どうやらコンプレッサーが故障したと知る。修理に7万と聞けば、買い換えるしかない。なにせ13年前と比べれば、電気代が半分以下。そのほうが賢明だ。
夜、新しい冷蔵庫を探しに店頭へ向かった。鮮度保持や冷凍の技術が微妙に違い、即決できぬまま。翌日から友人知人に問い合わせメールを送った。この2年以内に冷蔵庫を買い換えた人の助言を聞きたかったのである。だが、冷蔵庫は10年選手。見れば欲しくなるので、売り場に足を踏み入れたことがなかったのと同様、友人知人も5年は使い続けている人ばかりで、最近の技術革新には疎かった。
結局、ネットと店頭めぐりを重ねて、決めるのに8日を要した。猛暑が去り、調味料を常温で放置できるほど涼しくなったから得た猶予期間。おかげで、最近の冷蔵庫事情に詳しくなった私であるが、はてさて、私が選んだ冷蔵庫とは?
『ワシントンハイツ』帯付、残りわずか
紀伊国屋新宿本店の文庫売り場を覗いたところ、『ワシントンハイツ』がまだ平積みで一瞬喜んだものの、あのペリドット色の帯がなくなっているのに気がついた。下のほうに2冊くらい埋もれている。その上に、追加された分が載せられたのだろう。最初に出庫された分が売れたと考えれば嬉しいのだが、帯がないと寂しくもある。複雑だ。
で、冷静に考えれば、世の中に帯付『ワシントンハイツ』がなくなるわけで、著者としても慌ててしまった。家に何冊残っていたか。保存版にせねばならない。
編集者に問合せたところ、帯付はもう、新潮社にも存在しないらしい。となれば、帯付の残っている書店の店頭で手に入れるしかない。
いつか買おうと思っていらした方、もしも帯に興味あれば、お急ぎください。
2011年09月末10月初 石榴の帯
月末のエンジン01教育委員会@みかわには、和服ででかけました。すっかり涼しくなった初秋に石榴の帯を締めて。
六本木ヒルズの「みかわ」に入るときに、漫画家のさかもと未明さんとバッタリ会って、一緒に写した写真をいま頃みつけたので、差し替えますね。右の袖口がまくれて襦袢がのぞいていますが、くもの巣文です。
五寸袖の着物は、母の若いころの単衣と思われます。初めて袖を通しました。左肩のところに小さな穴があったのですが、上手に悉皆してもらい、ずっと箪笥にしまっていたものです。
帯は3-4年前に一目ぼれして購入(@かわの屋さん)。この着物に合わせることを思いつかず、こちらも箪笥に眠っていました。
実はこの着物には若冲の雨龍を、と考えていたので、どちらを締めるか迷いました。折りしも昨日は新月。新しいものを初めて身に着けるのにふさわしい日。雨龍は季節を選ばないので、また改めて新月か節の変わり目に。
10月7日は暑かったので、新潮ドキュメント賞のパーティも、これを着ました。襦袢、帯揚げ、帯締めは秋モードに替えて。
温水ゆかりさんの書評がウェブで読めます
先日ご紹介した温水ゆかりさんによる週刊朝日の書評がウェブ上で読めることがわかりました。ぜひご高覧ください(下をクリック)。いつものことながら、温水さんのコラムは温かくて面白い。ありがとうございます。http://book.asahi.com/reviews/column/2011091200001.html
日本が原発大国になったわけ
いまこのブログに立ち寄られた方、ぜひNHKEテレで放送されている「原発事故への道程」後編「そして安全神話は生まれた」をご高覧ください。先週、前編を途中から見たのですが、ある研究会のテープによる証言などを通して、なぜ日本が原発大国になったかを綴っています。今日はその後編。
私自身、『ワシントンハイツ』文庫版あとがきで、短いスペースながら、駆け足で同じテーマを扱っています。それを裏付ける意味でも、膨らませる意味でも、この番組の映像やテープ証言に耳を傾けることに意味があります。
篭城できる備えを
どうやら道路は乾いているようだ。さっきまで雨が降っていたのに、乾きも早い。18時ころには、街路樹が大揺れで、折れたらどうしようと心配していたのに、いまは微動だにしない。この分だと、駅で足止めを食っていた東京の帰宅困難者たちも、電車が動いて帰れるかもしれない。ここまで書いたら、JR山手線が運転を再開したとニュースが告げている。
都会で暮らす人々はできるだけ動かず、コンクリートの建物の中に篭城するのが良い。たとえ潅水しても、いつか水は引く。だから、職場にも家庭にも、食べ物と水を備蓄しておくのが賢明だ。
私の場合、日持ちするものを買い占めて、断捨離の真逆を行っている。水害だけならいいのだが、停電にも備えているわけだから、その量たるや、凄まじい。
くわえて、数日前、写真を小分けしてジップロックに入れた。本当はスキャナーを買ってカードに収めればいいのだが、その暇がない。タッパーウェアの収納箱も大いに役立つに違いない。そう思って、着物用の長いのを買ったのだが、やはり桐たんすほどの威力は発揮しないとわかり、洋服を入れることにした。
濡れて困るものは、ジップロックに入れてスーツケースに収めれば、水害は免れると勝手に思い込んでいるのだが、地球の怒りには勝てないかもしれない。
とにかく人間である私たちが謙虚になり、命あることに感謝しよう。思いつくかぎりの備えをして被害が小さくなることをイメージする以外、なす術はないように思える。今宵は、福島などの被災地に激しい雨が降らないことを祈るばかりだ。
皇居前にGHQ本部ができた日
厚木に降り立ってからしばらく横浜に滞在していたマッカーサーは、9月8日に東京入城を果たし、再び横浜に戻ります。そして66年前の今日、9月17日に皇居前の第一生命ビルに引越しをして、そこをGHQ本部としたのでした。
2011年09月 百夜句会十周年


百夜句会10周年は青山で開かれました。送ってもらった集合写真を切り抜いたので画質がいまひとつ。ご容赦を。
9月13日なら単衣にするのが慣わしですが、この暑さに耐えられず、棕櫚と赤とんぼの変わり絽を選びました。十六夜であることもあり、せめて仲秋を思わせる紬の帯、と合わせてもみたのですが、それさえも暑苦しくて、えーい、夏帯のままで、と出かけてしまいました。昨年の受賞記念パーティでは絽綴れを合わせていますが、そこまで仰々しくはせず、食事会モードの気楽な帯です。着物の赤とんぼにあわせて、とんぼの帯留も素敵ですが、ブルーミングデールのナイフフォークレストを荷札のワイヤーで留めたりと時間がかかるので、断念。句を考える時間も必要でしたので。
百夜句会十周年
青山で開かれた百夜句会に出席。十周年63夜、十六夜という特別な夜。私は2003年から加えていただいたので、それでも、すでに8年になる。それぞれに歳も重ね進化しつつも、同じ仲間と、これまでつながってきた縁に感謝。


