子どもの未来は指導者次第

昆布を食べることは意味がないとか、そんな風評に振り回されるなとかいう科学者がいる。不思議だ。いいじゃない、昆布を食べたって。味噌とか昆布とかを摂るのは、昔の日本人の食生活に即したことだ。 それで被爆から若者を守れるのなら、一石二鳥である。

チェルノブイリでの医療支援に携わった、甲状腺がん専門医師の発言に耳を傾ければ、なるほど昆布も有効だとわかる。彼がかつて柏崎で行った講演録が参考になる→http://www.kisnet.or.jp/net/sugenoya.htm 

ソ連の隣国ポーランドは、原発事故の4日目にヨウ素剤を全病院、保健所、学校、幼稚園に配備して1千万人以上の子ども、7百万人の成人に投与したところ、甲状腺がんは発生しなかったという。他方、チェルノブイリはもとより、ウクライナやベラルーシなどソ連内の共和国では、数年後に甲状腺の病気になった人が多数いた。同じ共産圏でも、ポーランドは指導者の判断で救われたというわけだ。

震災の後、原発の問題が発生した段階でなぜ、政府はそうした識者を集めて助言を仰がなかったのか。チェルノブイリで治療にあたった日本人医師は5人もいた。有名な鎌田医師もその一人。ポーランドの話は、元医師で現在は松本市長、菅谷昭氏の発言である。彼は長野県内への拡散を想定して安定ヨウ素剤の備蓄体制を確認するよう県に要請したという。

海に近い被災地では日ごろ海藻をとる食生活であったと信じることが、せめてもの救いである。だが、原発に異変が起きた段階で、政府が迅速に子どもにはヨード剤を配布し、大人は心配ないと発言していれば、国民がどれほど政府を信頼し、安心したかを考えると、残念でならない。民主党政権は「子どもは社会育てる」と豪語してカネをばら撒きながら、その実、子どもたちの未来など、何も考えていないのではないかと不信感が募る。「社会で育てる」とは、親以上の情報や見通しを行政が提供できることが前提なのだから。

65年前、3月10日の下町空襲を受けてもなお、子どもたちを疎開させるように指導しなかった大本営も同じだ。日本の為政者たちは、次世代のことを考える思考回路を持たないのだろうか。せめて半世紀先を見通す姿勢があれば、子どもの被爆に対して、敏感になれたはずである。

アメリカのクリントン元大統領は、自分の命が狙われるような外交団チームには若いスタッフを入れないように指示していたという。オルブライト元国務長官がジョージタウン大学で学部生への講義でそう語っていた 。アメリカの未来を担う若者を守るのが国益であることを、かの国の指導者は知っていたということである。

官邸では水道水を飲むべき

ずっと気になっているのだが、福島がこういう事態になって、ほかの原発の安全管理はどうなっているのだろう。次に地震が来たら、ほかでも同じことが起きないと言い切れるのだろうか。ほかの電力会社はもちろん、点検を完璧にしている、と信じたいのだが。

 安全、安全と連呼して封じ込めるのは、もう止めよう。地震の後、3月17日に日本政府は基準値を変えて甘くしていた。いまの安全は、震災前には危険とみなされた数字である。

 事実を伝えればパニックになるとしても、ある程度の現実を打ち明けるべきだ。その上で見通しを提示してくれれば、国民一人一人が逆算して、自分で対策を立てることができる。

 それでも、安全と言ってのけたいのなら、菅総理が毎朝、東京や千葉の水を飲むべきである。かつてカイワレを食べた菅直人さんなら、簡単な芸当だ。もっといえば、東京電力の社長自らと海江田大臣が、福島にでかけて放水をやってみせるべきだろう。せめて一度は閣僚の誰かが被災地を訪れ、人々を元気づけるのが筋である。

 いま日本全国のミネラルウォーターが東京および被災地へ向けて送られつつあるのだが、それが届く前にまず、官邸に備蓄されているミネラルウォーターを乳幼児に供出すべきだ。閣僚や官邸スタッフは「安全なはずの」水道水を飲めばいい。

危機管理を養うには

今週は毎晩、会食モード。外出を控えると気がめいるので、積極的に人に会ってきた。思考回路が活性化して、元気になる。そういう友人を持てたことが、ありがたい。その中の一人が言う。

 「この前、秋尾さんが言っていたあの話、タクシーに乗るたび運転手さんに話すと、大うけですよ」 

「あの話」とは、東京電力では役員になったら必ず、家族と両親を原発の近くに住まわせることを義務付けておくべきだったという私の考えである。家族が人質なら、真剣に危機管理に知恵を絞る。もちろん、ほかの電力会社にも当てはまる。

 危機管理という言葉は、東京電力にも原子力安全委員会にも存在しなかったのではないか。安全、安全と自己暗示にかけて詐欺師と同じメンタリティになっていたとしか思えない。

 水位が下がっていることを危ぶむ声は反対派から出ていたという。なのに、それを放置していた経営者の責任は大きい。

 そもそも米軍並みの防護服がなぜ存在しないのか。一度に100着そろえればコストがかかるが、1年に10枚ずつなら、10年で十分な数が購入できていたはずだ。下請け企業の人であっても、その防護服を着用させれば、被爆という事故にはならずに済んだのではないだろうか。

 福島においては、このまま放水による冷却を続けるしかないという。また大きな地震が来たら、どうすればいいのか。こうなると、日本国民が全員、人質にとられたようなものだ。

せめて周囲をセメントか鉛で巨大な煙突を作るような形で覆うような方法はとれないだろうか。飲み水だけなら我慢ができるが、水道水で食器も洗えないとなれば、ノイローゼになりそうだ。

節電

両親が名古屋人だったおかげで、子どものころから節約観念が身についている。部屋の電灯のつけっ放しも、歯磨きの間の放水も、母が許さなかった。おかげで、新婚家庭に招かれても、案内された部屋を去る際、つい癖で電灯をスイッチオフにしてしまい、呆れられたことがある。

 エアコンが苦手ということもあるが、夏は滅多に冷房はつけず、少し除湿をする程度。冬もエアコンには頼らず、部屋では厚着をしている。本当に寒ければ、ガスストーブ。電気のお世話にはならない。

 計画停電情報に振りまわれた人も多いだろうが、これを機に節電が身につけば、それも進化というものだ。何も「大臣」など立てなくても、日本国民は十分に賢い。

 コンビニのネオンが消えただけで、私たちがどれほど電力を過剰消費してきたか、気づいた人も多いはずだ。東南アジアの国々は首都でもあっても薄暗い。これからの日本は、明るすぎない都市空間に、徐々に慣れていくことになるだろう。

備えあれば・・・

モノだらけの部屋を見て、反省。主婦経験が災いして、安いものをまとめ買いしたくなる。おまけに思い切って捨てられない。最悪だ。

おかげで、しかし被災グッズがあれこれ私の家には存在した。少なくとも懐中電灯と笛と軍手、水運搬パックはベッドサイドにあった。

 「笛はどこで買ったの?」と友人に聞かれても、思い出せない。こうした被災グッズを備えていたのは、阪神大震災を取材したからだ。瓦礫の中でも笛があれば、生存を伝えられると知った。それでも、ここ数年は、危機意識が薄れていた。

 早々に水とお米とトイレットペーパーが店から消えた。幸い、水1ケースとトイレットペーパーは12個パックは手元にあった。西からお米は送ってもらった。とろろ昆布はデパートで手に入れた。カセットコンロのガスの入手が問題だったが、登山用品店で揃えることができた。あとは、手動式ラジオが無いだけだ。ワンセグでも情報は入るというので、停電でも携帯をつなげるために、100円ショップで電池式充電器を購入した。

 移動中に地震が起きるかもしれぬ、と、コンタクトや眼鏡、かぜ薬を大きなバッグに入れて、移動している。火を起こすものなどと毛布や下着、レッグウォーマー、チョコなどを大きなスーツケースに収め、廊下に置いている。本当に倒壊したら、瓦礫の中からモノを探すのは大変だ。スーツケースなら頑丈だから、取り出せる。

いま私が日本にいるのは、きっと意味がある。復興に向けて、未来の日本に向けて、何か役割があるのだろう。だったら、備えを万全にして、後にプラスに機能できる存在でありたいと考えている。

夢だったと言われたい

土曜と日曜、外で作業をしていたので、風邪をひいたらしい。どうしよう。いま大きな地震が来て、避難所に行くことになったら、熱が出るかもしれない。

金曜日に花粉症に苦しんだことも含め、やはり免疫力が低下しているのだ。

東京では皆、テレビ報道だけで疲労困憊している。津波の映像を繰り返し見て恐怖を感じ、被災者の姿に涙して、原子炉が爆破するかもしれないと覚悟しながら東電と政府の頼りない会見を固唾を呑んで見守って、停電情報に二転三転振り回されて、被災地のために何もできないままストレスを抱えている。

地震が怖くて毎晩、服を着たまま仮眠状態。私にも圧がかかっている。気持ちを切り替えねばと思う日々なのだが・・・。

すべてが夢だったと言われて、ぐっすりと眠れたら、どんなにいいだろう。東京の私でこうなのだから、被災された方々はどれほどのストレスか。もう、これ以上の揺れが来ないように、原子炉が無事に冷えるように、日本は大丈夫と皆で信じよう。

ハイパーレスキュー隊に感謝

昨夜見た東京消防庁ハイパーレスキュー隊の記者会見。後、しばし涙がとまらなかった。

 細かいデータもメモを見ることなく、記者と目をあわせながら誠実に語られるだけで十分に元気が出てきた。震災以来、総理や東京電力のふがいない会見ばかり見させられてきたからだ。

 プロとはかくあるべき。12日からシミュレーションをしていたという。もっと早くお願いすればよかったものを、政府はそうした申し出をどれほど断ってきた(先延ばしにした)のだろう。

 ここのチームワークに疑いの余地はない。部下の家族に申し訳ないと涙する隊長。「日本の救世主になって」という妻からのメール。かっこよすぎる。だが、本来、為政者がかくあるべきなのだ。

命がけで取り組んでくれた彼らに心から感謝したい。彼らを支えてくれた自衛隊にも、ありがとうと言いたい。どうか、ぐっすり眠ってください。

危機管理意識の温度差

午前中は文部科学省の会議だった。開始時刻までの間、しばし地震について話す。意見交換できると視野が広がり、地震以来のストレスから解放される。 

日本赤十字社には登録スタッフが2万7千人ほどいるのだという。医療従事者など即戦力になる人々ばかりだが、この段階では、そういった人々が現地に送られる。復興の段階になると、被害の大きさに応じて、私たちの寄付金の配布が有識者も加えた委員会によって決まるのだという。

 阪神大震災を経験した日本政府が、日赤のそうしたシステムを学んでいなかったこと自体、「想定外」だ。もっとも、原子炉を持つ東京電力は防護服を常備していないのだから、この国では危機管理意識が大幅に欠如しているのかもしれない、生活者を除いては。

 次は東京が震源地かもしれないと、都民が米やトイレットペーパー、ガソリンを買い急いだのは、そうした日本政府を信用できないからだ。200年に一度の災害のための予算は必要ないと言い放った蓮舫議員が国民に何を呼びかけても説得力はない。自分のことは自分で守るしかない――。そう思わせたのは、非常事態でも自己のパフォーマンスしか考えない菅内閣の閣僚たちなのだから。

本の在庫切れ、しばしお待ちを

『ワシントンハイツ』6刷が8日に完成しているのですが、震災以降の物流の混乱で、アマゾンで在庫切れ、入荷に時間がかかるようです。紀伊国屋書店の店頭やWEB、楽天ブックスにはあるようなので、そちらでお求めいただければ幸いです。時節柄、配送に時間がかかるかもしれません。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。秋尾沙戸子

疑問はいっぱい、でも大丈夫と信じよう

 日本人は凄い。熱い気持ちがこみ上げてきて涙したのは、昨日の朝だった。計画停電の二転三転に怒ることなく、静かに協力するなどとは日本人でなければ出来ない。

けれども、東京電力の記者会見を見ていたら、次第に怒りがこみ上げてきた。原発を扱いながら、最悪の事態のシミュレーションが何もできていなかったのだ。社長の話し振りを見ていたら、広報の対応のひどさが理解できた。トップがこれでは・・・。

平岩外四とか那須翔とか、かつての社長だったら、こんなお粗末な反応はしなかったのではないか。もっと危機管理対策はできていたと推察する。電力会社の役員は、原発の近くに家族を住まわせることを義務付けるように、株主が要求すればよかった。家族が人質なら、常に住民目線で安全対策が練られたのだから。

海外にいる知人が原子炉冷却のために消火栓が使えなかったのかと話していた。地震でやられたのかもしれないが、本当は真水で冷やすことが大切なのだという。

日本政府はいまごろ米軍に冷却の応援を依頼したらしい。アメリカから早々に申し出があったのに、断ったのは菅政権だ。事態が落ち着いたら、この責任は追及せねば。

東京電力の初期対応に、菅総理が自分が来るまで待つように指示を出したという説がある。それが本当なら、彼の責任は半端でない。東京電力社長の投げやりな態度は、そうした政府との板ばさみかもしれない。危機を脱したら、責任の所在を明らかにすべきである。

そういえば、岩手出身の小沢一郎氏はいま、どこにいるのだろう。選挙民のために何をしたのだろう。フランス人同様、まさか西に逃げたりしていないと信じたい。

とまれ、原子炉事故は大きくならないと皆でイメージしよう。大丈夫と全員がイメージすれば、物事はそちらに動くものである。