9月○日  投票日の明暗

 早朝、南ジャカルタにあるメガワティの家に向かおうとするタクシーの中で、突然電話が鳴った。

「サトコ、メガワティの投票は11時らしい。だから、先にSBYのところに向かったほうがいいよ。彼は8時に投票所に現れる」

軍人だからという理由で反SBYの人々が投票しないのであれば、やはりSBYの勝算は高いとみるべきであろう。勝ち馬に乗るつもりはないが、一応、その空気はつかんでおかねばならない。

 SBYはメディアの扱いが本当に上手だ。前日も家にジャーナリストを招待し、投票所では取材中の記者やカメラマンのためにスナックとミネラル・ウォーターが配られた。8時20分に現れるという噂どおり、彼はその時刻に現れ、カメラマンのリクエストに応えて、あちこちに人工的な笑みを振りまいた。軍人として滅多に笑うことがなかったであろう彼は、キャンペーンのために無理して笑って見せているように私には見えた。しかし、こうして愛想を振りまくことで、彼は株を上げるのである。権力者の成功の秘訣はまず、メディアを味方につけることだ。

 メディアが一斉に味方するこの空気に中で、メガワティに勝算はないと私は見た。しかし、せめて僅差で負けさせてあげたいというのが私の心情だった。

 私につきあってSBYの投票行動の一部始終を見ていたタクシードライバーは、それでも頑なにメガワティ支持だという。彼は単純にメガワティが好きなのだ。今でも、あの母のような笑顔に癒されるらしい。

 メガワティの投票所付近では、ジャーナリストだけでなく、近所の人々であふれていた。本来の家があるクバグサンからジャカルタ中部のメンテンに居を移したメガワティが、地元に帰ってきて公の場に姿を現すのは久しぶりだから、なんとか握手をしたいのである。メガワティの支持者とは、こういう人々なのである。

 投票の後、メガワティは(正確には夫のタウフィックだが)記者団を家に招いた。前日に記者を集めたSBYに比べ、こうした行動は遅きに過ぎるが、かつてメガワティが反体制のシンボルだったころ、ここに集まった記者たちが何人かやってきて、同窓会のような空気に包まれた。各地の選挙結果を電話で問い合わせ始めた。

 大統領になってからというもの、彼女はこういう場を設けなかった。はっきり言えば、これが敗因である。ブレーンを含めて、反体制のシンボルだったころの自分を支えた人々を大切にしなかったのだ。屋根が拡張され、天井にファンがとりつけられ、以前より大勢の人が日差しや雨をしのぎながら過ごせる環境になっていた。庭の奥に目を転じると、雑魚寝のできるスペースが設けられていた。大統領付きのガードマンを泊めるためらしい。これが、より多くの庶民を嵐から守るために設えられたのであったら、どんなに良かったであろう。メガワティ敗北の理由を象徴しているようで哀しかった。

 側近も記者も電話で全国の投票所に問い合わせを始めた。各地の得票率が入ってくるにつけ、夫のファウフィック・キマスの表情が暗くなっていった。組織票で取れると考えていた彼にとっての誤算が次々と明らかになり、ついにはタバコに手を出した。メガワティ本人は現役の大統領としてキャンペーンに集中できなかったのだから、夫である彼の読みの甘さや闘争民主党の怠慢に敗因があるのは確実である。とはいえ、負けつつある陣営の傍についているのは辛いものだ。

 私の携帯にも友人から電話が入った。

「テレビでは各局、SBYの勝利宣言よ。メガに勝ち目はないわ」

 5時すぎのことだ。わずか4時間、5%の開票で勝利宣言はこの国では早すぎる。

 しかもメトロTVが開票速報として流した数字と、選挙管理委員会が発表している数字に開きがあることだ。速報だと30%の開きがあるのに、公式の発表だと19%に縮まる。

この後、選挙対策本部のメガ・センターを訪れると、早すぎる勝利宣言と速報が問題視されていた。ここは、闘争民主党の人々だけでなく、全国からメガワティ支持者がボランティアで集まっているのだ。元軍人、学者、NGOなどいろいろである。とても誠実そうに見えるのだが、不器用そうで仕事の運びが効率的でない。SBY陣営のスタッフと比べると、時代遅れという空気がみなぎっている。

この2年ほどでテレビ番組の作りは洗練された。メトロTVなど、ほとんどが欧米の血が混じったハーフを女子アナ揃え、男性視聴者の獲得の成功している。それが選挙に大きく影響したことは間違いない。ジャカルタの街並みもピカピカに変わった。ショッピングセンターにはブランドショップが並び、お米好きのインドネシアになぜかその場で焼くパン屋いきなり3軒も出来て大流行、本屋には分厚くて高いインテリアの写真集が並んでいる。少なくともジャカルタでは、「洗練」はトレンドである。メガワティ陣営はそこを見誤った。

 宿に戻ってシャワーを浴びると、ベッドになだれ込んだ。私なりにメガワティの最期を看取る覚悟はあったのだが、友人ともども、なんだがとても疲れてしまった。

9月○日  投票を拒否する人々

 まずいことになった。明日の選挙ではゴルプット(白票)がたくさんでるかもしれない。昨夜から日曜日の今日、別件の調査でいろいろな人の家を訪れえているが、そこに集うご近所さんは、みなゴルプットだというのである。これでメガワティが負ける確立が高くなった。

先日、TBSのニュースバードで電話レポートをし、勝負は五分五分で、メガワティにもまだ勝つ可能性が残されていると話してしまったというのに、どうしよう。

今回の選挙はイメージ戦略だ。対抗馬のSBYが世論調査で高い数字を示しているのは、イメージ戦略が成功しているためである。思い出してほしい。3年前に小泉総理が登場した時、彼によって日本は変わると信じたし、メディアはそれを煽った。SBYも全く同じなのである。森前総理がメディアに対して愛想が悪かったように、メガワティもメディアにオープンではない。そこを逆手にとったのが、小泉総理の秘書飯島氏であり、SBYのブレーンたちなのである。まずはメディアの取り込みに成功し、SBY旋風を作り上げた。

今回の選挙は、こうしたイメージ戦略にたけた候補者vs古い金権政治を行使する現役大統領との戦いといっても過言ではない。金権政治といえば聞こえが悪いが、考えようによっては、これは相互扶助の精神から来る伝統でもある。かつての日本の自民党政治を想像してもらえばわかりやすい。

アメリカと日本の機関が行った世論調査によれば、常にSBYが約60%でメガワティが約30%、SBYが圧勝である。こうした調査は主に都市部ではそのとおり反映されるものだ。しかし、実際にジャカルタに来て見ると、意外にメガワティ支持者が多い。 7月の選挙を見る限り、あたかもメガワティとSBYの差は調査で30%はあったものの、結果は10%に縮んでいる。この差は何なのか。

7月の選挙に関してみれば、調査を行った時から実際の投票までの間に、メガワティ陣営からの働きがあって変わるというものだ。調査の時には流行に乗って「SBY」に投じると答えても、たとえば、前日に村長さんから電話が入り、「メガワティさんのおかげでわが村にも道路ができたじゃないか」。そう言われて、SBYからメガワティに変えたと言う人が少なくないらしい。つまり、伝統的手法が効を奏したということになる。

国内外のメディアは、世論調査を反映してSBY優位というのだが、ジャカルタの人々に聞くと、「うーん、わからない」というのが答えなのだ。これは市井の人々から元政治家にいたるまで、すべて共通している。つまり、欧米的メディア戦略が、相互扶助の精神で彩られたこの国の伝統的慣習をぶち破るのかどうか、見極めがつかないというのである。

もうひとつは、ジャカルタで聞いて歩くと、SBYは軍人だから駄目だという人たちが結構いることだ。そういう人たちは、反SBYから「メガワティに投票する」と答えるか、「どちらにも満足していない」と答えるのである。つまり、再び軍人支配になるのは敵わないけれど、メガワティにあと5年任せていいのかどうか疑問だというわけだ。

こういう人たちは、前日になってゴルプットにすると言い出したのだ。これは計算外。その分、反SBY票がなくなるのだから、メガワティの勝算は消えるわけである。

彼らはこう考えるのだ。どちらかに投票すれば、ムスリム(イスラーム教徒)としては自分の選択に責任を持たなければいけない。だから投票しないのだ、と。

個人的には、ここでメガワティが勝って5年のうちに評判を落とすよりは、僅差で負けて、惜しまれて引退するほうが、本人にとってもスカルノ家にとっても幸せだと私は考えているのだが、スハルト政権が倒れてわずか6年で、再び軍人の手に国家運営を委ねるのも抵抗がある。正直、私がインドネシア人でも難しい選択である。

9月○日 大使館爆破事件とインドネシア大統領選

  ジャカルタで開かれたある日本人研究者の講演に足を運んだ。
 「今回の爆破事件は大統領選挙に影響するのでしょうか」
 会場からの質問に、彼はこう答えた。
 「この時期の爆破事件はインドネシアの風物詩のようなもの。選挙に影響を与えるとは考えにくい」
 しかし、私の友人である地元記者は別の見方をする。この事件のおかげで、やはり力強い軍が必要だ。メガワティでは駄目で、SBYが大統領になるべきだ。そう思う人が増えるのではないかというのである。
 さらに、彼はこう続ける。これは軍が仕掛けた可能性が高い。ジュマ・イスラミアが首謀者としても、軍の関与があったはずだというわけだ。
 たしかに、このシナリオは否定できない。スハルト政権崩壊後、インドネシアではさまざまな改革が行われた。諸悪の根源と言われた国軍改革では、警察と国軍を分離させた。
 警察が国内治安を、国軍は対外的なものを担うという構図だ。それまで最もおいしかった特権は、交通違反の罰金などである。ここが警察に持っていかれた。しかもメガワティ政権になって、警察が優遇され、国軍は冷や飯を食わされた格好だ。彼らがスハルト政権時代の過去の栄光を懐かしむは誰にも止められまい。
 もしSBYが大統領になれば、再び国軍の天下の可能性が出てくる。軍人たちがそう考えても不思議はないし、この可能性にかけるしかないだろう。2年前、学生活動家から、こういう噂を聞いたことがある。国軍内に流通したSBYによるペーパーはこう語っていたという。インドネシアの治安維持のためには、一度軍人の手で政権を担う必要がある。そして安定を確保した段階で、文民の政権に戻せばいい、と。
 SBYの真意はわからないが、このペーパーによって、軍人たちが喜んだのは想像に易い。だから、なんとかして、SBY大統領になってほしい。一部の軍人たちにとって、これは悲願ともいえる。
 そして、彼はこうも疑うのだ。アメリカが陰で関与していたのではないか、と。
 ワシントンではメガワティは評判が悪い。SBYになってほしいと心から願っている。私は1年の滞在を通して、それを痛感した。主な理由は、彼女がテロ対策に積極的でないからであり、もうひとつの理由は、父スカルノが大嫌いだからである。
 ワシントンではマハティールに対して感情的な批判をよく耳にした。公然とアメリカを批判する彼が疎ましかったからである。それと同様のことが、かつてインドネシアのスカルノ大統領に対してもあった。彼を倒すために、CIAが外島の反乱を誘発し、支援したことはあまりに有名である。
 そうした経緯から、インドネシア人は、すぐにCIAの関与を疑う傾向にある。スカルノの失脚とスハルトの浮上は、アメリカのバックアップがあってのことだという説は、この国には根強く存在している。その目線が消えることはなく、バリのディスコ爆破事件のときも、CIAの関与が取りざたされた。アメリカ人の犠牲者が少なかったからである。
 彼の考えにそって見ていくと、たしかに、メガワティの留守を狙ったところが怪しいのだ。彼女がブルネイ王室の結婚式に出席するために国を出た翌日に事件は起きた。この国では、大統領の留守を狙って不穏な動きがあったことは珍しくない。
 スハルト政権時代から、反乱の影に国軍の誘発ありだったのだが、国際テロの時代になって、ますます本当の首謀者が見えにくくなった。こうした話を続けていくと、向に水を実は裏でスハルトが指示を出しているという見方をするインドネシア人も少なくない。
 一体誰が真の首謀者なのか。イドネシア人が常に猜疑心でいっぱいになるのも、スハルト政権の負の遺産のひとつである。

9月○日 オーストラリア大使館前爆破事件

 ジャカルタに着いた翌日、爆破事件があった。最初はオーストラリア大使館そのものだと報じられ、テレビで現場が中継されたが、結局、大使館そのものはガラスにヒビが入った程度で、むしろ被害は周囲のビルに及び、死傷者もインドネシア人だけであった。
 「バリのディスコでもそう。なぜオーストラリアだけがテロリストの標的になるかしら。アメリカは無事。  これは急進派イスラームの仕業だと思う?」
 と宿でテレビを見ていた数人のインドネシア人に、私は無邪気にこう聞いてみた。
 「急進派イスラームかどうかはわからない。でも反豪感情は皆に共通しているからね」
 「東ティモールの独立以来?」
 「それが始まりだけど、いまの首相の言うことが我々インドネシア人の気持を逆なでするんだ」
 反豪感情――。私にはよく理解ができる。
 ハビビ政権になって、東ティモールがインドネシアからの独立を達成した。1973年に併合された東ティモールは、スハルト政権が倒れたのだから独立する自由を彼らに与えるべきだという国際社会の潮流は納得できる。そこで住民投票を行ったのだが、インドネシア中央政府およびジャカルタの人々は、彼らが独立を選ぶとは考えていなかった。スハルトの圧制で苦しんだのはジャカルタも同じ。しかし、彼のおかげで病院や学校が建設されたのだから、インドネシア人として生きようとするはずだというのが共通認識だったのだ。
 ここまではインドネシア人の傲慢である。自分たちの利権に固執して、武力で独立の動きを封じ込めようとした一部国軍の行使した暴力にも問題はあった。しかし、彼らが許せなかったのは、ハワード首相が「我々がアメリカに代わってアジア太平洋地域の保安官になるのだ」と東ティモールに軍を送ってきたことだった。これにインドネシア人が切れたのである。
 スハルトが東ティモールを併合したとき、オーストラリアはすぐにこれを認めたのである。なのに、手のひらを返したように、「いい子ぶる」のは許せないというわけだ。
 当時、ニュースに映し出されたオーストラリア国軍の兵士たちの勝ち誇った顔。それは、イラクに乗り込んだアメリカ兵と重なる。中東や東南アジアにいきなりアングロサクソンの兵士が武器を携えてやってくる光景は、植民地時代を思い起こさせるのだ。これが、ASEANの兵士だと、そんなには抵抗がない。この違和感について、欧米諸国はあまりに鈍感である。
 もちろん、地政学的に考えれば、東ティモールの行く末は、オーストラリアにとって深刻な問題だった。大量の難民がでれば、引き受けなければならない。そのくらいのことがわからないインドネシア人ではない。しかし、蓋を開ければ、いまの東ティモールはオーストラリアの植民地状態である。ホテルもレストランも、ほとんどがオーストラリア資本、オーストラリアドルを持たないと入れない。これでは、宗主国がインドネシアからオーストラリアに変わっただけだ。インドネシア人はこの現実を知っている。
 ハワードは野心家だ。彼はなんとかして「アジアのアメリカ」たろうとしている。イラク戦争にもアメリカに全面的に協力した。だから、共和党大会でのブッシュの演説でも、同盟国の中でオーストラリアの名前が最初に読み上げられた。
 しかし、ハワードの野心をよそに、アジアはそれを認めない。もちろん許しがたいアメリカのイラク派兵であったが、百歩譲って、あれだけ国力があれば、誰も文句がいえないという要素がある。戦後の国際社会秩序における貢献度、軍事力、経済力、それに機軸通貨ドルの圧倒的な強さには、どこか諦めももてようというものだ。
 オーストラリアにはそれほどの国力はない。まずは自国の経済力をつけて勝負しろと言いたいのだ。ただ、アメリカの真似をして、アメリカに媚びを売って寄り添って、軍隊だけ送り込んで、はい、アジアの保安官です。こんなやり方は卑怯だとインドネシア人には映るのである。
 くわえて、バリのディスコ爆破事件が火に油を注いだ。多くのオーストラリア人が犠牲になったのだから、彼らが犯人割り出しに躍起になるのは当然だった。だが、遺体を確認する際、白人を優先し、インドネシア人を後回しにした姿を、多くのインドネシアのメディアは目撃している。彼らが潜在的に抱く白人至上主義を、人々は見逃さなかった。
 10月の選挙で、ハワードの敗北を祈るのは、アジアの共通の見解かもしれない。

9月○日 ラミー人形

  迂闊にもラミー人形を買いそびれてしまった。
 ラミー人形を初めて見たのは、昨年の秋のことであった。ワシントンのダレス空港で、箱に入ったGIの人形の隣に置かれていた。
 「ラミー人形」
 まさか、ラムズフェルドの人形が存在するなんてことはないよね。イラク戦争の諸悪の根源の一人なのだから。
 しかし、顔の作りがどう見ても、ラムズフェルドなのである。しかも、ラミーはアメリカでのラムズフェルドの愛称だ。GIと並んで国防長官の人形があっても、おかしくはないけど、なんだかなあ。  その時はあまりのおぞましさに、つい買いそびれてしまった。買うことが恥ずかしいとさえ感じた。いまとなっては、話の種に買っておけば良かったのだが・・・。
 日本なら、悪玉の人形といえば、ニュース番組でキャスター席に並べてあるセットのひとつに存在するのがせいぜいだ。いやあ、待て。イスラーム圏にはオサマ・ビン・ラディンの人形が売られているという。アメリカ人なら、それを見て気色悪いと感じるはずだ。私の反応はそれと同じだったのかもしれない。
 人形が存在するくらいなのだから、ラミーはやっぱり人気者なのである。だが、一体、誰が買うのだろうか。ラミー人気を支えているのは、中年のオバサマたちだと認識していたのに、こんな身長30センチ以上もの大きな人形を買って飾るのだろうか。
 911直後にNYを訪れた時、友人はこう言ったものである。
 「ラムズフェルドってさ、カッコいいと思わない?アメリカの理想的なおじ様っていう感じよね」
 彼女のこのコメントは、周囲のアメリカ人の評価を反映してのものだったらしい。ワシントンに来てから、彼が全米の中年女性の憧れの的であることを知る。
 捕虜収容所における虐待問題が出てきた時でさえ、タクシードライバーはこう語っていた。
 「ラミーがすべて悪いのさ。彼が大統領を動かしていたんだから、もちろん、虐待の話だって全部知ってい るはずだ。でも、そのこととは別に、彼は エレガントなんだよ。アメリカの男性はこうあってほしいというエレガンスを持っている。見てくれだけでなく、話し方もね」
 虐待問題が表面化した裏には、アメリカ軍内部での彼に対する反発が存在する。彼は軍の予算を減らし、改革を進めてきた人物だ。アメリカ軍のアウトソーシングが進んだのも、この改革と無関係ではない。それにより、国軍内の士気が下がったことも事実だし、彼に対する反発が現場で広がっているのも想像の範囲だ。
 しかし、虐待問題が取りざたされてもなお、ブッシュ大統領は彼の首を跳ねなかった。そして彼を支えるようにペンタゴンには指示した。ある国軍関係のセレモニーでラミーが演説をした時には拍手が鳴り止まず、テレビの中継を見ていた私は面食らったものだ。
 これも昨秋のことだが、あるシミュレーション・プラクティスに大統領役でやってきたオルブライト女史が、学生の質問に答えてこう語ったのを思い出す。
 「私が大統領だったら、ラムズフェルドかチェイニーを辞めさせて選挙に臨む」と。
 しかし、結局、ブッシュはそうはしなかった。共和党大会に登場させなかっただけでも、意味があったとしておこう。同時に、パウエルも登場しなかったのだが。
 プリンストン大学時代、レスリング部に所属し、政治に携わってきてからはニクソンに楯突いてNATO大使に送られたこの男は、何度も大統領候補を志し、現在にいたる。

9月○日 共和党大会

  なんともノーテンキに見えるブッシュ大統領だが、実のところ共和党の中は一枚岩ではない。それをまとめあげるのに大きく貢献したのが、チェイニーとシュワルツネッガーだ。
 チェイニーは決して演説の上手な政治家ではない。力強いわけでもない。口が歪んで、見るからに冷たい感じがするのに、なぜ、こんなに共和党員には人気があるのか。
 ワシントンに着いたときから副大統領候補をジュリアーニにすべきだと何度も提案していた私だが、共和党関係者からの答は常にこうだった。
 「それは駄目だよ。チェイニーなしでは、ブッシュは共和党をまとめられないんだから」
 彼が裏の功労者というわけだ。
 ならば、持病の心臓発作で副大統領辞退というのはどうだろう。このシナリオも、しかし見事に打ち砕かれた。心臓発作で入院したある人を見舞った時のことである。
 「手術して機械をつけたんだけどね。これをつけると次に発作が起きても、自動的に電気ショック的マッサ  ージをしてくれて、心臓は止まらないんだ。だから死ぬことは絶対にない。350万円くらいするんだけど、  あのチェイニーも同じ機械をつけているらしいじゃない」
 と彼は不死身になったことを喜んでいた。
 もちろん、私の知り合いが元気でいてくれるのは嬉しい限りだ。しかし、チェイニーが続投ということになると、世界全体が迷惑至極。350万円なんて、彼にとっては、吹けば飛ぶような金額だ。イラクも北朝鮮も気が気ではないだろう。
 一方、俳優のわりにスピーチが上手とは思えないシュワルツネッカーは、今回の共和党大会の演出上、大きな意義があったというべきだろう。共和党員であることを強調し、だったらブッシュを支持しよう的な文言は、分裂傾向にあった共和党をひとつにまとめるのに効を奏した。イデオロギーや政策よりも、ポピュリズムで州知事になってしまったシュワちゃんだからこそ担えた役割だ。
 ワシントンに来てまもなく彼が州知事に選ばれたと記憶している、ワシントンでは
 「彼が当選するようでは世も末だ」
 と多くの人が嘆いた。
 また、小泉人気について聞かれるたび、私なりの分析を披露すると
 「あら、まるでシュワルツネッカーみたいね」
 と関心されたものだ。
 シュワルツネッカーはこうも語った。オーストリア人でありながらアメリカで大成し党大会でスピーチをする。これはまさにアメリカの度量の大きさの象徴である、と。このくだりは、アフリカ出身でハインツの御曹司と結婚してアメリカ国民となり、未亡人となってからもファーストレディになるチャンスを有しているケリー夫人のスピーチを食ってしまった感がある。
 で、肝心のブッシュの演説。あれ?小泉さんの名前はないの?
 おまけに、日本や韓国を差し置いて、あれれ、オーストラリアが同盟国のトップ?
 もっとも、オーストラリアのハワード首相は、東ティモールの独立をかけた国民投票のあたりから、「アジア太平洋のアメリカ」を目指してきた。ここは我らが領域。アメリカに待ったをかけて、同盟国として自分たちがその任を負うというわけだ。アフガニスタンでもイラクでも、名実ともにアメリカ支持のスタンスを貫きつつ、自分たちのアジア太平洋におけるプレゼンスを強調してきたのだから、アメリカからみれば、可愛い子分だ。
 この破格の扱いは、アメリカの配慮なのか、ハワード首相の根回しが効を奏しているのか。同じアングロサクソンの血はシンパシーを呼ぶのであろう。そういえば、東ティモールに乗り込んで勝ち誇ったように戦車から顔を出したオーストラリア軍の兵士と、イラクで銃を持ったアメリカ軍の兵士の顔とは、私たちからみれば同じだった。
 日本も軍隊を持って同様の顔をしようなどとは、どうぞ考えないでいただきたい。どんなに頑張って貢献したところで、所詮、アジア人を仲間とは見なさないのだ。アメリカ社会では黒人より低い。そのことを忘れず、小泉さん、慎重にお願いします。