春日大社、若宮特別公開と藤

奈良春日若宮ご本殿内院の特別公開が24日までと聞いて、急いだ。20年に一度の春日若宮式年造替を記念して、と言われると行かねばと思ってしまう。今年は境内の藤の花が既に咲いているよう。春日大社の神紋は藤。春日大社は藤原氏の氏神さまでもある。

若宮といえば12月のおん祭。漆黒の闇を神さまが降りられて御旅所に向かう。そこで24時間芸能を奉納するのだが、極寒の中、長いダウンを着ようかロングの毛皮を着ようが足先まで冷たくなるので、命がけで鑑賞することになるのだ。

おん祭を最初に拝見したのは四半世紀前。講座の受講生たちと染司の吉岡先生につれてきて頂いた。数年前、京都から出向いただが、観覧席が設けられていて驚いた。大衆的になったのが嬉しいような悲しいような。

その若宮は造替中で神さま不在。よって、社殿境内までアクセスできる。その特別公開が行われていたのだ。

折しも砂ずりの藤がうつくしい季節。今年は花が咲くのが早かった。本殿境内とその周辺。上を見上げれば、山藤もうつくしい。それを期待して藤づくしの装いで訪れた私であった。女性の神職さんや参拝のお姉さま方が関心を示してくれた。神職さんいわく「なかなか和服で参拝する人は少ないのです」と。京都の違い。なるほど。

一人で出向いたので、写真撮影は行きずりのにお願いせねばならぬ。観光客のおじさまにもお願いしたのだが、実は、摂社の周囲で草むしりをしていた若者と、一眼レフを持っていた若い女性が、とても上手に撮ってくれた。白藤と鳥居を背景に入れての構図をお願いした私である(最初の写真)。

藤の小紋には、紫だけでなく白い藤も描かれている。一度、白藤とともに撮影したいと考えた私の念願がかなった。

 

 

 

桜咲くミホ・ミュージアムへ

懐石の器展を観に、ミホ・ミュージアムへ。桜の満開のころに訪れたのは今回が初めて。2枚めの写真、青空が広がっているのは閉館後、石山駅へ向かう最終バスを目指して急ぐころ。こんな写真を期待していたのですが・・・。

着いてすぐ午後一が最初の写真。桜に向けると曇り空なので、いまひとつですが、青いきものが私です。桜背景にトンネルの中で私自身をカメラに収めると逆光になるので、どれもこれも真っ黒のシルエットばかり。

令和初の都をどりへ

 

 

 

 

 

令和初の都をどりへ。歌舞練場が改装中につき、南座で開催。午前中にお茶のお稽古。同じ出で立ちで16時20分の舞台へ。美帆子ちゃんの応援でした。

都をどりのモチーフはしだれ桜。4月初めに行くなら桜文のきもので伺ったのですが、今年の京都は紅しだれも終わり、ぼたん桜が満開。藤も五分咲き状態なので藤の小紋を纏うことさえ考えたりしました。が、桜の名残と花菖蒲が同時に描かれた帯を締めていきました。きものを紫にしたのは、藤を意識して。

地の緑がめずらしいので一目惚れした刺繍帯。原宿の江戸川和子さんのところで購入。コロナの間に閉じてしまわれたのが残念です。

桜吹雪の中、南禅寺にて晋山式

南禅寺にて桜吹雪が舞うころ、新管長の晋山式が行われた。

南禅寺ほどの格の高いお寺であれば、もっと賑々しく行いたかったであろうに、コロナ禍の影響で、静かに、小規模で行われた。しかし、桜の花々は確実に新管長を歓迎しているのがうつくしい光景からわかる。

南禅寺は五山のさらに上、別格なのである。江戸時代まで、どれほどの権勢を誇っていたことか。明治政府に、その土地の多くを召し上げられ、それらは富裕層の別荘となった。廃仏毀釈で全国の寺は辛い思いをしたと聞くが、とりわけ南禅寺クラスのの悔しさはいかばかりか。想像しただけで、胸がいたくなる。

興味深いのは、通常は閉まっている勅使門が開いたことだ。勅使門、かつては天皇陛下の勅使が訪れるときのみ開いた。いまは晋山式のときのみ開く。警備のおじさまが、自分が生きている間にここが開くのを見られるとは思っていなかった、と皆に説明していた。管長は命ある限り、その任期を全うする。

勅使門から本堂までまっすぐに通じる道。建仁寺の管長などの参列者を含む御一行は、途中三門を潜って厳かに進まれ、本堂の中では正面に座られた。その間行われたことの意味など、正直この宗派の儀式の意味はよくわからなかった。だが、このおめでたい式の様子を拝見できたことは幸運と言わざるをえない。

流行を追わないことが自信へとつながる

10代の頃から、私には人と同じで安心するという感覚がない。

ファッションひとつでも、他人と違ってナンボ。他の人と差別化ができてこそ、心が安定するようなところがある。だから、流行を追いたいという感覚がない。流行り物に飛びつかない性分なのである。

たとえば大学生になってすぐ、長い棒状のイヤリングが流行った。マイ・ピュア・レディ。資生堂のCFで小林麻美が耳につけて走るシーンがきっかけだったと記憶している。受験を終えて、なんとなくオシャレを覚えるころなので、友人たちは棒状のイヤリングをしていた。

ならば、と街を探し歩いてカミソリの形状のイヤリングをみつけ、私の耳に垂らしていた。色はゴールド。もちろん、本物ではない。父の髭剃りの中に入っている長方形のカミソリの刃は縦2センチほどで、耳の下で揺れると実に愛らしかった。しかも周囲では誰も着けていない。大満足だった。

当時、仲間うちで西洋占星術に照らして、こんな分析をしていた。「てんびん座は人と同じだと安心する。競争心の強い牡羊座は人と同じ物を身について勝ちたい。しし座は、他人と同じ物は選ばない」。はい、しし座は私を指すのだった。流行に振り回されない生き方は、動物の王者としては当然のことである。

流行を無視するわけではない。トレンドを一部取り入れて、自分らしく生きることが気持ちいいのである。たとえば和服を着る時も、桐たんすに入っていた母の着物をそのまま着るのは野暮である。平成風に、令和風に、帯か着物か小物を使って、イマドキの風を纏うことは重要だ。流行を追いかけるのではなく、風を感じて自分なりにアレンジする。それが着こなしのセンスというものだ。

行動の選択もそうだ、みんながやっているんだから、というのは私に対して最も説得力のない言いまわしである。ワクチン然り、SDGS然り。身を守るため、入国のためならワクチンをうつし、本当に地球のためとわかって取り組んだことが結果、SDGSだったという具合である。隣にあわせて流されるのではなく、自分の意志で、自分が選んで、という部分が大切なのである。

報じられている映像についても、鵜呑みにできない性分だ。自分で情報を集めて、自分の経験値で正しいかどうか見極めたい質(たち)なのである。

実社会では、この性格が禍したことは数知れず。だが、歳を重ねてみると、それは自信につながっている。人の評価に左右されない、精神的に体幹のしっかりした自分ができあがっているからだ。地球の怒りや自然災害へのおそれはあるが、しかし、他人の目は怖くない。自分に審美眼があるからだ。

おかげで、流行作家からは程遠い。売れる本を編み出すのが上手ではない。もしも、私の生き方に問題があるとすれば、これを仕事として生きていくことであろうか。