『サンデー毎日』2004 年10月31日号 掲載

インドネシア新大統領を操る男:

        元軍人を「国民的アイドル」に仕立て上げるまでの近代的策略   

 インドネシア第六代大統領に元軍人のスシロ・バンバン・ユドヨノが選ばれ、この20日から新政権が発足する。

 国民が直接大統領を選ぶのはインドネシアでは初の試みだ。先月の決選投票では、現職の大統領メガワティに21%の大差をつけて圧勝。7月に行われた1回戦でもユドヨノは5候補の中でトップにつけていたが、過半数には届かず、2ヵ月後に決選投票の運びとなったのだ。

 スハルト政権の閣僚だったヨープ・アフェは投票前、私にこう語っていた。

「初代大統領スカルノのカリスマ性は宗主国オランダと闘ってこそ持ちえたものだ。ところが、ユドヨノは何もしていないのに人気がある。日本のコイズミが出てきた時と似ている。でも、この勢いでユドヨノが勝つとは限らない。メガワティの組織票が機能すれば勝負は互角だろう」

  相互扶助の精神が基礎にあるインドネシア社会では義理人情がものをいう。しがらみを振り切り自分の意思を反映させるのは至難の業だ。7月の選挙でも全候補からカネを握らされ、義理立てして5人を選んだら、その投票が無効になったという笑い話もあるくらいだ。

 世論調査でユドヨノ支持を表明しても、村長にそれまでの恩義を諭され、カネを手渡されれば、メガワティに投票した。それが1回戦で起きたことだった。結果、ユドヨノは34% メガワティは27%とわずか7%の差異だったのである。

 ところが、2回戦では21%の大差がついた。その理由はメガワティへの不信感や組織の怠慢だけでは説明がつかない。人々の投票行動にこれほどのインパクトを与えるには何か仕掛けがあるはずだ。

 それを考えたのが、広告代理店社長スビアクト・プリオスダルソノ、55歳である。売り上げを2年で 100倍に伸ばした実績の持ち主で、敏腕広告マンとして業界では広く知られた存在だ。

 ジャカルタ中部の雑然としたビルの谷間に聳え立ち、ひときわ異彩を放つガラス張りのオフィス。いかにも斬新で近代的なのに、中に入ると妙に懐かしく寛げる空間だ。映像編集室や音楽スタジオも備えた自社ビルは、「陰陽道」の曲線を取り入れて彼自身がデザインしたものだという。

「最初の仕事は、ほぼ無名のユドヨノを“国民的アイドル”にすることでした」

 なるほど、前任者のワヒドやメガワティは「反体制のシンボル」としてスハルトの独裁政権時代からすでにナショナル・ブランドとして名前が通っていた。だが、閣僚の一人にすぎなかったユドヨノは、庶民の間では無名といっても過言ではない。

「その後の決選投票では、メガワティの固定票以外の8割弱、これをすべて取り込むための戦略を練りました」

 細分化されたチャートをパワーポイントで紹介しつつ、彼はその内容を熱っぽく語ってくれた。理路整然としたプレゼンの仕方はインドネシアではめずらしい。

 だからといって、欧米でマーケッティングを学んだわけでも、米国大統領選挙を経験したわけでもない。長い髪を後ろに束ねたスビアクトは生粋のジャワ人で、敬虔なイスラーム教徒なのである。69年、18歳で自作の漫画を出版し、その後、パッケージデザインの勉強のため日本に1年留学した経験を持っている。

「インドネシア人は直接的表現を好みません。綿密にサブリミナル効果を計算し、12パターンの広告を作りました」

 大統領実現への「8つの戦略」 

 彼の戦略はおおまかに次の8つだった。

 第1に、メディアを味方につける。どの候補より先に記者会見を開き、ユドヨノの自宅には記者を頻繁に招待する。

 独裁政権が倒れて一番大きな変化はメディアの開花である。キー局だけでも新しく4つ開局した。その経営がスハルト一族のマネーロンダリングに使われている疑いはあるが、9割の人々が見るテレビの影響力は絶大だ。中でも美人アナをそろえるニュース専門局「メトロTV」は露骨なまでにユドヨノを応援した。

 第2に、親近感をもたせる。立候補以降、軍服は絶対に避け、常に笑顔を作らせる。黒の背広に白いシャツ、赤のネクタイ。ポスターも映像も、どの写真も服装を統一し、投票用紙のそれと同じにする。

 演説の間、人差し指を立てる手の動きはインドネシアの指導者にありがちだ。スビアクトはユドヨノにはそうした威圧的なしぐさを禁じ、必ず人々に手の甲を見せながら呼び込む形でこういう言わせた。

「ブルサマ・キタ・ビサ(一緒にできます)」

 具体的な約束はせず、可能性だけをほのめかすこのフレーズは、優しいメロディに載せてテレビ広告のキャッチとし、テレビ討論でも手の動きとともに繰り返させる。

 さらに、テレビCMでは子どもたちと手をつないで歌わせ、大統領にふさわしい人物として若者や妊婦にユドヨノの名前を連呼させ、浮動票をとりこむ。

 第3は、事実上の大統領として振舞う。靴音を響かせるために革靴を履かせ、人々に偉大な指導者と思わせる歩き方を教える。

 第4に、メガワティの時代が終わることを匂わせる。ユドヨノの広告には「新しい」と「変革」いう言葉を頻繁に用い、現職大統領と差別化を図った。おかげで、ひたすら大統領としての功績を称えただけのメガワティの広告は、古びた歴史的映像資料になってしまった。

 第5に、人口の88%を占めるイスラーム教徒をつかむ。目玉は「魔法の絨毯」だ。祈りの際に使われるこの絨毯は「神の加護、安全、繁栄」を象徴する。ユドヨノは赤。副大統領候補ユスフ・カラは白。二人の手元からインドネシアの紅白旗を思わせる二枚の絨毯がぐんぐん延びて、ある時は漁師、ある時は農民、ある時は市場の人々のところに差し出される。さらにエリアマーケティングも計算し、メガワティ支持者の多い東ジャワでは、イスラームの英雄を待望する伝統的なご当地ソングをBGMに流した。

 第6は、汚職撲滅と闘うユドヨノ像。スビアクトはユドヨノにイスラーム政党の中でも最も汚職を嫌う「幸福正義党」と組むことを薦め、その党首による推薦広告を流した。

 第7に、華人を取り込む。広告ではユドヨノとカーラが並んだ写真を金色の円で囲んだ。華人にとって金色は繁栄の象徴だ。ここでも背景には赤と白が波打つ。「陰陽道」の曲線で中国とインドネシアの融和をイメージさせた。

 最後の仕上げは、金権政治との決別のPRだ。

「(他陣営から)金を受け取ってもユドヨノに投票しよう」

 あらかじめ地方でこうしたメッセージを意図的に流しておく。そしてテレビの5秒CMで集中的に人々をアジる。

「行け! 勇気を持て! ユドヨノを勝たせよう!」

2回戦のキャンペーンは3日間。テレビ広告は1局20分という制限が加えられた中で、鮮烈な5秒CMは際立った。

 公式発表2週間前に“勝利宣言”

 さらにスビアクトはメガワティにとどめを刺すコメントも用意していた。

 9月20日の投票日、開票が始まって4時間後の16時、速票結果を送り続けたテレビ局が一斉にユドヨノ当確を報じた。それを受けて彼はその夜、自宅で事実上の 勝利宣言”を行った。公式発表は2週間も先だというのに、である。

「これは国民の勝利である。そしてメガワティにもお礼を言いたい。彼女がインドネシアに民主主義の礎を築いてくれたのだから」

 この瞬間、メガワティは終わった、と誰もが感じた。

 スハルト政権崩壊後、王道を歩いてきた政治家はすべて過去の遺物と化し、政界の世代交代が確定した。長く閉塞感の中にあった人々は、実際、新大統領ユドヨノが変革をもたらすと信じて希望に胸膨らませている。

 テロ対策に躍起になっているワシントンも元軍人で米国留学経験のあるユドヨノを歓迎している。これで外資が戻り経済復興できるのなら、再び「アセアンの盟主インドネシア」に返り咲けるかもしれない。

 しかし新大統領は、実は前任のメガワティに負けずおとらず慎重で決断が遅い。くわえて自身の政党は国会に議席を持たず、議会運営に苦労することが予想される。彼がポピュリズムに走るのは必至で、メディア戦略はますます重要になるだろう。

「ユドヨノを大統領にするためには、私自身が大統領として発想し、代弁できなければいけません」

 スビアクトは最後にこうつけ加えた。彼は政権発足後も大統領のアドバイザーとしてメディア戦略を練る予定で、米国大統領ブッシュにとっての政策顧問カール・ローブと似たような役割を担うことになる。

 これでインドネシアは一気にアメリカ的になるのか、独自のスタイルを築き上げるのか、やはりスハルトの負の遺産に縛られてしまうのか。少なくとも一人の広告マンの戦略が、インドネシアの民主化に加速度をつけたことは確かだ。(敬称略)

10月○日  ユドヨノ圧勝とスハルト回帰

 久しぶりに私の予想がはずれた。おかげで毎晩眠れない。

 本人の能力とは別に、メガワティが大統領になる日が来る――と考えていた私は、当時、多くの研究者から顰蹙を買った。だが、1998年2月、その日はやってきた。インドネシアの人々がそれを望んだからである。

 今回、しかし私は彼らの反応を見抜けなかった。ジャカルタで人と話した印象では、SBY支持者と反SBY(反軍人)が約半々で存在した。そして地方では、金権政治がまだ力を持つと予想した。だから、メガワティが負けるとしても僅差だと考えたのだ。

 しかし鍵を握っていたのは、実は地方の人々だった。

 地方では、スハルト回帰が始まっていたのだ。つまり、スハルト政権崩壊後、地方で何が起こっているかといえば、「プレマン」がはびこっているのである。彼らは、昼間は不動産屋で夜の顔はカジノを仕切るヤクザなのである。彼らが地方の人々を恐喝したり、マッチポンプ的立ち回りをして、地方の政治家を登場させるのに大きな役割を果たしたりするのである。

 このプレマンは、スハルト政権下では、軍によって抑えられていた。ところが、ハビビ政権ではハビビ派プレマンが、ワヒド政権下ではワヒド派のプレマンが、メガワティが大統領になると、闘争民主党派のプレマンが登場して、地方の農民などは辟易していたのである。スハルトの時代は良かった。彼らを止めるには軍の力が必要だ。だから、軍人の大統領がいいのだ、と考える人々が潜在的に存在していた。

 だったら、7月の大統領選挙でSBYが最初から圧勝しても良かったのだが、他にも元国軍司令官の候補が存在していたし、各候補者からお金が配られたことで迷いが出たのだ。相互扶助の精神が基礎にあるインドネシア社会では、頂いた以上報いないといけないと考える。スマトラに住むある人は、各候補からお金を受け取ったばかりに、投票用紙の候補全員にアナを開けて、その投票が無効になったそうだ。

 しかし、4月の総選挙、7月の大統領選挙、そして今回の決選投票は3回目である。そうなれば、彼らもいろいろと学習し、すでに義理は果たしたのだから、自分たちの選びたい候補を選ぼうということになったらしい。やはりプレマン対策には文民の女性大統領では駄目だ。軍人であったSBYにひと肌脱いでもらおうではないか。ここが私の計算間違いだった。

 ジャカルタでは、3回の選挙に飽きていた。99年には参加することで政治が変わると考えたのだが、結局、この5年間、言論の自由は得たものの、生活が向上したわけでもない。集会に行ったところで大差はない。新聞を読みテレビを見て判断しよう。誰が大統領でも変わらないのであれば、現職のメガワティではなく、新人のSBYにチャンスを与えてみようじゃないか。これが大半のSBY支持者の判断だった。

 メガワティが大統領の資質を十分に持ち合わせていたかどうかとは別に、彼女が大統領に就任して以降、911に始まり、世界中でテロの嵐が吹き荒れた。これは彼女にとって不運だった。88%のムスリムを抱えるインドネシアでは、フィリピンのアローヨのように、徹底したテロ対策を打ち出せなかった。アメリカの要望に応えて強攻策に出れば、国内のイスラーム勢力を敵に回すからである。

 事実上の勝利宣言をしたSBYはこうコメントした。

「民主化の基礎を築いてくれたメガワティに感謝する」と。

 このコメントを言わせたのは誰だろうか。決断が遅くて有名なSBYがそこまで計算できるとは思えない。彼の裏には、ものすごく賢い仕掛け人がいると私はにらんでいる。その存在を突き止めて、そのカラクリを知りたいと考えているのだが、いずれにせよ、インドネシアは大きくハンドルを切った。スハルトによる32年にわたる独裁政権に決別し、民主化と言う名前の下に試行錯誤を繰り返した日々が終わろうとしている。棄権をした人々を抜かせば、国民が自分の手で大統領を選んだのである。ユドヨノが大統領になるとすると、この先、スハルト的統治に戻るのか、欧米型社会になっていくのか。ハビビ、ワヒド、メガワティ。スハルトに印籠を渡したか、政権末期に反体制として闘ったかした3人の役割が終わり、インドネシアは新しい時代に突入した。

10月○日 ブッシュの失敗 

インドネシアの大統領選挙では、ユドヨノの圧勝がほぼ確定し、次なる焦点はアメリカの大統領選挙である。

 今日は第一回目のディベートだった。朝からCNNに合わせて中継を見たが、ブッシュがなんともブザマであった。決してケリーがいいわけではないのに、ブッシュがひどすぎて、かなり不利になると私は確信した。

 1年間アメリカに滞在して、この二人が話す場面をしばしば見てきたのだが、今日のブッシュはとりわけ出来が悪かった。彼の言葉がすべったり、カツゼツがいい加減で噛んでしまうのはよくあることだ。そうした拙さがお茶目に映るほど、ケリーの演説がつまらない。それが地元記者の評価であり、これまでの支持率に反映されてきたのだった。

しかし、今日はひどすぎる。こんなに幼稚な大統領にアメリカを任せて大丈夫かしらん、と誰もが思ったと私は感じた。あまりに国民をなめている。なんにも考えていない人、と見えてしまった。これでは愛嬌でカバーできる限界を超えている。

ブッシュを支持するのは、富裕層など古くからの共和党支持者にくわえて、メディアを通したイメージに左右されやすい人々なのである。少々舌ッ足らずでも、テレビで見て明るければ許してしまう。いかにも楽観的であれば嬉しくなってしまう人々である。

 その彼らでさえ、今日のブッシュを見て、アレ???と思ってしまったに違いない。あまりにお子チャマで、あまりに思慮深くないと映ったからである。

 一方のケリーは、ひたすら真面目だった。真面目すぎて何の魅力もなかったのだが、しかし、一生懸命お勉強してきた彼に好感を抱いてしまった私である。これでは「人生いろいろ」と発言した首相の不真面目さに嫌気がさして、生真面目な岡田党首率いる民主党に思わず投票してしまった日本国民と同じことがアメリカでも起きそうな気がしてきた。

 今回、ブッシュにとって不幸だったのは、テレビ画面が二分割されたことである。1ショットでも十分に危なっかしかったのに、ケリーと並んで映し出されたのだから、たまらない。狼狽して落ち着きのないブッシュと、終始落ち着き払って静かに対応したケリーとの対比が際立ってしまったのである。

 今回のブッシュの怠慢ぶりは、メガワティのそれと重なる。話すのが苦手なメガワティにしては、テレビ討論にも応じて、めずらしく検討したが、初日の準備不足から来る狼狽ぶりは現職大統領としてはお粗末だった。現職の大統領が初心を忘れて社会の空気を見誤ることはよくあることだが、選挙前の怠慢は命取りである。相手を倒すことだけを考える挑戦者の鮮度とエナジーを突き放すには、よほど心してベルトを締めなおさねばなるまい。

 決してブッシュがいいとは思わないが、ケリーになったからといってイラクもイスラエルも情勢は変わらない。一番の違いは、北朝鮮とは絶対に戦争をしないことだろう。日本にとっては市場開放を迫られて、財界が辛い思いをするだけだ。

 うーん、ディベートの季節到来。午前中は外出を辞めてCNNに釘付けである。