【エンジン01文化戦略会議オープンカレッジin岐阜】①

岐阜エンジン、オープニングシンポジウムは、いまをときめくパネラーたちが登壇。芸大総長日比野克彦さん、日大理事長に就任された作家の林真理子さん、作詞家・秋元康さん、和田秀樹さんら60代に加え、唯一30代の落合陽一さん。
『80歳の壁』をはじめ高齢者向け新書が一気に5冊ベストテン入りしてる和田秀樹さんは、印税を投じて映画を作りたいと考えている。それに対して落合陽一さんの「映画の話をする和田さん、見るからに楽しそうで、無理してお金稼がなくてもいいですよ。いまは映画もスマホで撮影できるのだから」的発言が興味深かった(言葉は正確でないかも)。若い世代の感覚って、こんな感じ。ITを軸に、世界中がそちらに向かって変化している。我々世代大半はそのことに気づいていないかも。

「笹岡隆甫さんを囲む会」そして「未生流笹岡 京都支部展」


未生流笹岡、家元を囲む会@ウェスティン都ホテル京都に出席。茶友が集中するテーブルで、和気あいあいと楽しく過ごさせていただきました。最初の写真は家元と、次の写真のスーツの男性は、粟田焼の安田浩人さん。

その後、南禅寺天授庵に移動して、京都支部展を拝見。家元の作品は本堂正面に。写真としては少し暗かったのですが、明るさをにいじると良さが伝わらないかもと、そのまま掲載します。3ショットのスーツの男性は、元・二条城城主。いまは京都市交通局を統括。天授庵のお庭は一部、紅葉が始まっていました。こんなに暑いのに、季節は確実に進んでいます。

コロナで一時中断されていたこの催しは3年ぶりでしょうか。10月初旬が例年暑いので袷を着るか単衣にするか、華道家の宴には派手すぎず、さりとて地味にならないよう、毎年、着物と帯の選択に迷います。

今年は山々を描いた緑の着物で、帯は花の帯を締めていきました。実は最初にお招き頂いたときにも、この帯を締めています。着物は別もので。秋を先取るには緑が明るすぎるかとも思いましたが、天授庵の庭が未だ青々と元気だったので、許容範囲だったと思います。花展に、花の帯がタブーなのかどうか、いまだに答をみつけられずにおります。

帝王紫の帯で、招福楼デビュー

いつか行ってみたいと思っていた招福楼本店。旧暦の菊の節句にあたる10月は、菊がテーマで、お料理も菊づくし。壁には、雲上流の菊。女将さんの帯も菊。後ろ姿を写真に収めました。

この会の趣旨が、染司吉岡幸雄さんを偲ぶ会ゆえ、私の装いは、貝紫でまとめました。帯は、吉岡先生のお父様の作品。帝王紫の研究者でもいらしたので。

「秋尾さんなら価値がわかるわよね、吉岡先生のお父様の帯よ」

そう言って、私にこの帯を勧めたのは、東京銀座にあった「かわの屋」さん。もちろん、ありがたい帯であることはわかるのですが、これに合う着物がない。そうしたら、またまた差し出されたのが、紬の着物。青山みとも製で、メキシコの貝紫で染められています。乗せてみたらバッチリなので、合わせてお買い上げ、いや、散財したのであります。既製の着物ですから、大きいのです。単衣でしたので、八掛だけつけて、人形仕立てにしています。それも、ただの八掛ではありません、三本の矢です。

蹴鞠の茶会

月釜@蓬莱堂。テーマは「#蹴鞠」。

蹴鞠こそ京都でないと見られない、と #京都御所 秋の特別公開で観に出向いたのが最初。その後、#上賀茂神社でも #下鴨神社 でも、何度も拝見しております。

#蹴鞠シーン#大河ドラマ によく出てきますよね。

 

 

 

蹴鞠鑑賞で私にとってはお馴染みの #蹴鞠保存会 の方からお話を伺いながらの楽しい茶会。さすがに #蹴鞠の帯 は持っておらず、アキオは白い #菊の帯 を締めて伺いました。一見、鞠に見えそうな。

暑いので前日と同じ #単衣 青の色無地 をまとって。天高く蹴り上げられた鞠のイメージで。

菊の帯で重陽の節句、そして、ずいき祭り

10月1日、#旧暦重陽の節句 にちなんだ催しで、#ブライトンホテル にて #東儀秀樹 さんの演奏と #東儀家の五節句 についてお話を拝聴。代々東儀家に伝わる五節句のお祝い、ちゃんと続けておられるのに感動。

終了後、「#ずいき祭」の御旅所へ。北野天満宮の、豊穣に感謝する祭。大小2基の神輿の屋根は #ずいき(里芋の茎)。その前に立っております。

御旅所での神事を遠巻きに見て、装束を着て練り歩いた友人と、#北野天満宮 へ戻った。彼の着替えの間、本殿の #道真公 はもちろん、境内で祀られている、#お稲荷さん#猿田彦さん#宗像三女神 を巡った。#朔日詣 を一度にさせていただいた感じ。お朔日は、感謝を捧げる日。参拝はマストなのです。

30度という暑さ。10月でも着物は単衣。帯は、お太鼓が #菊文 で 前が #紅葉文 という #刺繍帯#重陽の節句 は #菊の節句でもある#マスクも菊文。あ、バッグは #雅楽文の刺繍。東儀さんにお伝えするの忘れた。残念。

米副大統領、六本木のヘリポートを離陸

東京滞在中の木曜日朝早く、外苑西通沿いローソンでコーヒーを買おうとしたら、店の前にバリケード、くわえてカメラマンが陣取っている。カマラ・ハリス副大統領が米軍ヘリポートからヘリで横田基地へ移動するまでの、道路を走る車列狙いなのだそう。
私が『ワシントンハイツ』を上梓した時には、六本木にある米軍ヘリポート周辺を、こんな堂々と撮影するなんて考えられず、尋問覚悟でこそこそ取材していたのに。トランプ前大統領からかな、ハーディバラックス(占領期のここの呼び名)のヘリポートの存在が、公然の秘密となった(意味不明の人は、『ワシントンハイツ』序章と16章を読んでね)。かくいう私も写真をFBにあげて咎められないのだから、隔世の感をいなめない。この変化の裏に何があるか、一度検証せねば。
それにしても、東京のカメラボーイたち、なんとなくスマート。祇園祭追っかけカメラおじさんとエライ違い。服装のせいかな。私服の警備員かと見間違う。
カマラハリスが飛び立った後は、警備員が解除とともに中に誘ってくれるサービスぶり。彼等の金網越し随行機撮影準備が始まった。なるほど、大きな脚立はそのためだったのか。皆、米軍基地撮影に慣れているようで、東京のど真ん中に存在する米軍基地に違和感もたぬ世代が、爽やかに日本社会を構成しているのだと思い知った。彼らに拙著『ワシントンハイツ』の存在を教えたかったが、あまりに普段着おばさんの出で立ちゆえ、名乗らずに去った。
ま、せっかくだから、私も随行機、スマホ動画で撮影しておいた。ここにはあげないが、講演とかで使える可能性もあるので。