御殿飾りリサーチャー、ひいなの帯で仁風庵へ

今月はじめ、雛飾りを観に仁風庵へ伺った。

岐阜のおばさまの御殿飾り。名古屋で購入したのだという。なるほど、名古屋生まれの母の御殿飾りに似ている。

母の御殿飾り由来の旅を東京時代から続けてきたが、昭和天皇の御大典を受けて流行したスタイルだったというのが私の中での現時点での結論だ。しかも、静岡から西、京阪神での流行だったという。この雛飾りが名古屋での購入、昭和一桁と聞けば、母のほぼ同じ時期。まさにドンピシャ!

今回は雑誌サライのために雛飾り公開イベントを開催し、片付ける前に見せていただいたというわけだ。ご一緒頂いたのは、節句コーディネーターのイベール氏。入ってくるなり、あれやこれや並び方などの手直しが始まった。実はここへ来る前に、彼には神明舎に立ち寄っていただき、我家の御殿飾りも整えていただいていた。

あれほど探し歩いた御殿飾り。京都でも、最近になって公開するところが増えている。出すのが大変だから、半端ないエイヤ!の気合いが求められるからなのだが、そうこうするうちに、自分が御殿飾りリサーチャーと化していることに気付いた。4月3日までの日々、まだまだ雛飾り見学が続いていく。

帯はこの季節の定番、ひいなの帯。着物は♫の描かれている紬。孔雀色。この時はまだiPhone7+。でも、よく撮れている。

 

春分の日、レイラインを昇るご来光を拝せるか

春分の日、琵琶湖でご来光を拝もう! レイラインの日の出が美しいと19日夜に聞いた私たちは、急遽、現地へ行くことに!

最初は夜中に車を飛ばして、しかし、教えてくれた女性が、家に滞在してもいいというので、前の晩からご厄介になることに。寅の日の信貴山に続いて、雑魚寝合宿第二弾となった。

結果は、雲が覆ってご来光は断念。脇の空が赤くなるのを観て終わった。

諦めて戻る途中、かなり昇ってきた太陽が雲の間から鈍い光を放っているのが見えた。湖面のさざなみに、ゆるい橙色の光が映るのがなんとも美しく、いつまでもいつまでも、そこに座っていたくなるのだった。

写真はあらためて。

まだまだ地震に注意

先日の地震で被害にあわれた方々に、お見舞い申し上げます。停電・断水で不便な日々を送られていることでしょう。
福島・宮城が震源地となった16日深夜、私は東京にいました。突然の長い揺れに、玄関の扉を開けてしゃがみ込み、11年前の恐怖が蘇りました。「京都南部の伏見も揺れた」そうです。
18日(観音様の縁日)には、西麻布の永平寺別院で観音様に手を合わせてから新幹線に乗り、脱線することもなく無事帰洛。が、夜に震源地となった岩手では、あの時とは別のタイプの揺れで怖かったとの声も聞いています。
写真は16日夜の東京の月。あと2日で満月という夜には福島・宮城で震度6+、満月の夜には岩手で震度5+の地震が発生しています。やはり月の満ち欠けは地球(大地)に影響するのでしょうか。
過剰なまでのウクライナ報道に煽られることなく、自分の足元を固めることが大切。まずは防災グッズ点検から始めます。

iPhone13PROMAXを買いに

ようやくスマホを新しくした。

iphone 13 pro max.

iphone 7 plus を5年間使い続け、途中で一度新しくしたものの、電池はすぐ切れる、テザリンはできなくなる、カメラ機能の調子悪いときがある、などのトラブルが続き、さらに7plus を使い続けるべきかどうか悩んだ挙げ句出した結論だった。

老眼でなければ、この後に発売されるiPhoneSEを買いたいところ。コスパで選ぶならこれだと思った。が、画面は大きくなければならない。iPhone7+に執着したのは、そのためだ。となると、iPhone13PROでさえ、幅が足りない。ゆえに、重くとも高くとも画面の大きなPROMAXにするしかない。しかも、ゴールドはPROしかないのである。

型落ちしたiPhone12でいいじゃないか、という声もあるのだが、しかし、ドコモから乗り換えて手続きするのが面倒だ。他にも、フレッツ光のトラブル、もうひとつのガラ電話の不具合などなど、全部を一度に解決したかった私は、ドコモ詣でを続けて、ここに至ったのだった。

17時から始まった手続き、終わったのが22時過ぎ。おなかはすくし、疲れるし。

これでテザリングができると思ったら、いまはそれだけで幸せ。カメラの良し悪しは翌日に。

 

 

3月10日は東京大空襲で犠牲になった方々に思いを馳せる日

いまウクライナで起きていることを見て、皆さん色々な思いを抱いておられると推察します。犠牲になるのはいつも一般市民。戦争を憎む気持ちは大切です。
私が『ワシントンハイツ』を上梓したのは、人々の命を奪う戦争がいかに馬鹿げていて虚しいか、そして回避するためには大国の思考回路を知ることが必要だと考えたからです。「平和ボケ」の日本で蔓延している「ありえないという思考停止」はものすごく危険です。これまので日常が未来永劫続くとは限らないのです(コロナ禍でそれを感じた人もいるとは思いますが)。
1945年のいまごろ、本土に残る先輩たちは空襲に怯えて暮らしていました。それまでのピンポント爆撃から夜間無差別爆撃に作戦が変えられ、(米軍的に)大成功をおさめたのが、3月10日の東京大空襲だったのです。ワシントンDCで、当時の司令官カーティス・ルメイのファイルの中に、「東京を火の海にした後、米軍基地で大宴会を開いた」という秘書の記述をみつけた時、まだオボコかった私は、頭がクラクラして吐きそうになりました。
いまこそ『ワシントンハイツ』第1章と第3章を読んでほしいのです。手元にある方には再読をオススメします。渋谷原宿を襲った5月25日山の手空襲の恐怖を語る生の声と、空軍独立のために成果主義に走り日本空襲に邁進した軍人の執念を知ってほしいのです。世界は再び戦争モードに入りました。他人事ではありません。
とはいえ、今回の侵攻については、プーチン一人を悪党にする解釈も危険です。SNSの映像や大メディアの報道に振り回されず、自分の頭で冷静に考えましょう。