2003年3 月23日掲載 今こそ日本の姿勢 真剣に考える時だ

 いっそ大統領が病死するか、暗殺されれば下のルーマニアでも、スハルト政権下のインドネシアでも、独裁者の圧政に苦しむ人々の多くは“密かに”こう念じていた。
 独裁者の罪は重い。民主化は人々の悲願だ。しかし、だからといって大国によって祖国が爆撃されることを誰が望むだろう。次はシリアかイランか北朝鮮か。米国が独裁者とみなせば、「自由の名の下に」非力な人々が次々と命を落とすことになる。国連の推定ではイラクの死傷者は50万人に及ぶそうだ。
少なくとも父ブッシュは戦争をせずにチャウシェスク政権を崩壊に追い込んだではないか。その息子が25万?以上の兵士を動因してまで戦争する理由は何なのか。
それを知るにはブッシュ政権の顔ぶれに注目せねばならない。
 9・11テロ直後、「先制攻撃もいとわない」
と謳ったブッシュドクトリンは、国務次官だったウォルフォヴィッツが書いた国防政策案が9年後に晴れて陽の目を見たものだ。彼は現在、国防総省の副長官である。
 冷戦構造崩壊で覇権を争う相手を失った米国は、軍事力を駆使して世界一の座を保たねばならない。ネオコン(新保守主義派)と呼ばれる人々のこうした構想は、民主党のクリントンが政権をとってお蔵入りとなった。そこで彼らはテキサス州知事だったブッシュを大統領選に担ぎ出し、政権の中枢に入り込むことに成功したのだ。
 ようやく本紙でもネオコンの思想や背景に切り込んだ記事が出た。彼らは「ユダヤ人以上にイスラエル寄り」(11日付特報部)であり、彼らのいう「民主化」とは、中東地域に米国やイスラエルに都合のいい政権ができることなのだ。
 くわえてネオコンが軍拡に走る背景に軍需産業との癒着があるのも見逃せない。政権内で石油産業関係者は21人に対し、軍需産業関係者は32人存在する(15日付特報部)。イラクの解放と言いながら、実は最新鋭の武器試用が戦争の目的かと疑いたくなる。そして11日付本紙はこう結ぶ。「ネオコンの野望達成の好機に9・11があったのかもしれない」。
 そんな中でせめてもの救いはパウエルなど穏健派の存在だった。彼らはこれまで米国暴走の歯止め役を担ってきたのだ。国際社会での米国孤立を防ぐため、彼らは国連の安保理で開戦の同意を得ようと試みた。しかし結果は失敗。ネオコンの勝利は決定的になった。
 小泉総理は日米同盟と国際協調の大切さを強調した。それ自体、私も否定はしない。戦後の日本の安保も繁栄も米国に保障されたものであり、同盟関係は維持すべきはである。
 しかし、いまのブッシュ政権は国際協調を重んじる穏健派と一線を画す。国連安保理の決議を無視して戦争にひた走る米国に従来通り追随することが、総理がいうように「国際協調と両立できる」とは思えない。間接的にせよ、正当性のない戦争に加担するのでは、平和憲法を守り通した日本のアイデンティティが大きく揺らぐ。
 ついに戦争は始まった。日本は何を死守し、どういう国家であるべきか。米国に寄り添って十分な議論をしてこなかった私たちが「十字架」を背負ったことは間違いない。

2003年3月20日

開戦

ついに戦争が始まった。

それはきわめて奇妙な状況だった。今日は木曜日。私が「スーパーモーニング」に出演する日だ。当初、日本時間10時の開戦直後、ブッシュ大統領が演説をする予定であり、それを見込んで「スパモニ」は番組の枠を延長、特別番組の様相を呈することになっていた。演説に時間によっては、11時あるいは11時半までと、終了時間はワシントンの状況を見て番組中に決定することになっていた。

おそらく各局、特別番組の準備をして、それぞれキャスターが待機していたに違いない。戦争の始まりを見越して、それを待っているというのは異常である。軍事ジャーナリストの田岡さんによれば「戦争はすでに始まっている」にも関わらず、トマホークなり派手な攻撃をきっかけにブッシュが意味づけを行うという。メディアの性とはいえ、戦争を止めることもできず、ここまでアメリカに振り回されている現実を私たちは恥じなければいけない。

12年前、まだ30過ぎだった私は、友人と戦争が起きないことを祈念し、どこかでその可能性を信じていた。レギュラー番組を持たなかった私は、あの朝、友人からの電話で開戦を知って涙した。「どうして人間は愚かなことを繰り返すんだろう」。同じ言葉を12年後に再びつぶやくとは・・・。ジャーナリズムに身を置いて、国際政治を研究しても、私には何もできなかったのかと思うと、悔しくてならない。

そもそも9.11の直後、アフガニスタンを攻撃すると言い出した段階で、ブッシュ政権の内情を検証をすべきであったのだ。ワールドトレードセンターが崩れる映像を見た瞬間から、日本国民もアメリカ人のショックを共有してしまったらしい。外務省と日本政府はといえば、湾岸戦争のトラウマからアメリカ支持をすぐに表明した。今度こそアングロサクソン社会に評価されたいというのが彼らの本能だったらしい。

その日、日本にいなかった私は、9.11の悲劇をモスクワのイミグレで知った。旧ソ連時代よりも官僚的になったイミグレでさんざん待たされて不愉快な思いをしていた私は、後ろの男性3人組の一人が携帯を見ながら、英語でこう話すのを聞いて耳を疑った。「すごいニュース速報が入ってきたよ。WTCとペンタゴンがやられたらしい」。悪い冗談だと聞き流した。

しかし、ホテルに到着してみると、レセプションに設けられた大型のテレビにはWTCが崩れていく様が映し出されているではないか。ここでも散々待たされたあげく、私は混乱したまま部屋に入り、TBSモスクワ支局に電話した。そして何が起きたかを知ったのである。

私がロシアに渡ったのは、自分が主演したウズベキスタン映画が、キノショック映画祭に出品したからである。黒海沿岸のアナパという町で開かれるその映画祭の挨拶のために現地にしばし滞在。その間にロシア語のニュースしか聞けず国際世論から遠ざかっていた私は、日本に帰ってきて驚いた。飛行機の中と成田で眼を通した新聞によれば、みなが官邸詣でをして、アメリカへの全面支持を進言したと答えていたからだ。全世界がアメリカに同情して、すべてアメリカに都合よく進んでいる。

ウサマビンラディンが首謀者だという証拠はどこにもないのに、なぜ報復攻撃に誰も反対しないのか。もしもイスラーム過激派の仕業だとして、アメリカがなぜ標的になったのかという議論はどこにもないではないか。翌朝5時にはTBS「いちばん!エクスプレス」が控えている。この「アメリカだけが正しい」空気で覆われた日本のメディアで私はどこまで自分の意見を言えるだろう。

結局、翌朝は控えめにして、翌翌朝の番組から、イスラームへの誤解をなくすことに力を注ぎ始めた。過激派の異常さは否定しないが、一般のイスラーム教徒はアメリカ人が忌み嫌うような考えの持ち主でないこと、アメリカの中東政策に問題があること、アフガン攻撃は間違っていることを、数は少ないが同じ論調の新聞記事を使って解説していった。

おかげで「反米がすぎる」というお叱りの電話をもらった。

メールを通して友人にそれを伝えると、報復がなぜいけないのかという反論メールが返ってきて、友人を失ったこともある。アメリカが変質していくことに直感だけで言い知れぬ危うさを抱いた私は、論破できずに孤立していった。欧米社会だけを見てきた人々が何の疑問もなくアメリカ支持に走っていく中で、 通じ合えたのは、アジアや中東地域に精通した人々だけだったのである。

いま私が強く反省しているのは、あの段階でブッシュ政権の解析に手をつけなかったことである。いま言われているネオコン(新保守主義)が何をもくろんでいるのかは、当時から始まっていたのであり、私だけでなく、メディアもそこに目をつけるべきだった。東京には限界があったと思うが、ワシントン特派員ならできたのではないか。しかし、一端戦争が始まってしまうと、戦況を追うのに精一杯になるのがメディアの癖である。現場からの中継や戦況分析で、そのエネルギーのほとんどを費やしてしまった。

アフガン報復には反対しなかった連中も、今回は反戦を唱えている。今ごろ騒いでも遅いのだ。あの段階でアメリカの変容と真剣に向き合わなかったツケが、我々日本の姿勢に反映しているのである。ブッシュ政権との同盟のあり方について、昨年から議論を重ねていれば、我々がこんなに無力感にとらわれなかったに違いない。政治家やその取り巻きが愚かなのはどうすることもできないが、メディアと知識人には何かできたはずだ。

日本と韓国がワールドカップに沸いている間も、アメリカは着々とイラク攻撃の準備をしていたのである。

*ブッシュ政権については東京新聞のコラムに二回書いている。