6月26日 ファーストクラス体験記

 これだけ飛行機で移動していながら、ファーストクラスというものに乗ったことがない。一生乗ることはないだろうと思っていた。しかし、ついにやってきたのである。生まれて初めてのファーストクラス。どんなセレブに出会えることやら。

 事の始まりはこうだ。インドネシア大統領選をカバーするためにジャカルタに行きたい。それにはマイレージを使うのが懸命だ。1ヵ月半前に予約を入れた。これが間違いだった。6月末といえば、アメリカはもう夏休みモードで、マイレージ枠はすべて一杯なのである。しかも先日、息子のマイレージ枠で訪米した父の友人夫婦などは4ヶ月前に予約済み。これでは2ヶ月前でも遅すぎるわけだ。結局、毎日しつこく電話をかけて、ようやく見つけ出したのがファーストでジャカルタに飛ぶというパターン。え?ちょっと勿体無い・・・。長旅だしマイレージを使うのだからビジネスが理想だが、ファーストはちょっとねえ。

 で、その場合は何マイルで乗れるのかしら。ワシントンージャカルタで、なんと120,000マイル。うーん。ビジネスとは 30000マイルの違いだし、ジャカルタまで飛べるのだから、ま、いいか。自分でマイレージを購入したとして、30万円の計算でしょ。ANAの直行便で東京に行き、SQでジャカルタに行くのをエコノミーで買うと、約14万円+約7万円。9万円の差でファーストが体験できるなら、これに越したことはない。思い切って挑戦してみよう。

 とはいえ、締まりやの秋尾のこと、前々日まで予約状態をキープし、なんとかビジネスにスライドしようと毎日のように電話をかけ続けたが、ついにギブアップ。そして初体験へとまっしぐら、となったわけである。

 おまけに8月には正式に帰国するつもりだから、荷物を少しでも多く東京に運んでしまいたい。ファーストなら少々のわがままは許されるはず。アジア中心の地図とバナナの木が描かれた、なんともオリエンタルな味わいのある額を、機内持ち込みで運ぼうという野心満々の私。とってもファーストにふさわしい優雅な乗客モードではない。

 しかも、チェックインは特権階級でも、セキュリティチェックはそうはいかない。PCが2台入ったキャリーバッグの上に、プチプチで包んだ額を載せて、てれんこ、てれんこ。シカゴまでは国内線だから、夏休みモードのダレス空港で長蛇の列に身を任せるはめとなったのである。

 さて、楽しみなのはラウンジだ。当然、ファースト専用の特別室のはず。さんざん日米を往復した私は、チケットはエコノミーでも、スターアライアンスのステイタスはゴールドだ。いつもビジネス客と同じラウンジで過ごす。ところが、このファーストのラウンジ、どう見てもいつもと変わらない空気なのである。ラウンジのサービスもこれといって特別ではなく、フルーツとチーズケーキなど食べ物とお酒のメニューが豊富なくらいだ。それに乗客の面々も同じだ。何一つ特別の空気がない。一抹の不安がよぎる。

 いやいや、きっと国内線の乗客がここにいるのであって、国際線で日本まで飛ぼうというセレブは、ぎりぎりにチェックインして、ラウンジなどに寄らずにシートに座っているに違いない。どんなナイスミドルに会えるのか、それともシルバーグレーの紳士との出会いが待っているのか、それとも若き実業家青年が待ち受けているのだろうか。あの、エマニエル夫人よろしく、艶っぽい出会いがあったらどうしよう。

 例の大きな額をひきずり、やや遅れて席についた私。さりげなく周囲を見渡し、唖然。

 ――ど、こ、が、どこがファーストクラスなの・・・。

 やっぱりラウンジと面子は同じだぁ。欧米人はみな普通のビジネスマン風だし、なんでアンタが、と、日本人4人は似たり寄ったり。つまりはお互いがっかりモードなのである。

 思うに、同乗者は経費で国際移動するビジネスマンでマイレージがたまってアップグレードしているか、私同様、マイレージ枠で探したらファーストしか空きがなかったという人々に違いないのだ。少なくとも日本人4人は後者と見た。だって、生成りのジャケットのお兄さんがラウンジで未開封のカップラーメンを二個、自分のバッグの中に入れるのを、私は目撃してしまったんだもの。どう考えてもファーストの常連客じゃない。

 えーん、セレブはどこにいるんだよぉ。

 気を取り直し、海老のフライにマンゴーソースのかかったオードブルを堪能し、あとは年相応に和食弁当にして、シャンペンだのワインだのを楽しんでみたけれど、なんだかなあ。真横になれるシートで熟睡し、自分で操作できるビデオで映画を鑑賞し、ま、思いがけずキルビルが面白いことを発見できてよかったことくらい。ひっきりなしにお水だのワインだのを注いでくるのが有難いような、常に見張られていて窮屈なような。

 ま、こんなもんです。なんともいえず、私らしい結末。これで50万の差額なら、ビジネスで十分。このことがわかっただけでも良しとしましょう。

6月20日 ジョージ・フォアマン、そしてグリル

 ワシントンに来て間もないころ、食器を買うためにデパートに赴いた。エスカレーターをあがっていくと、そこに積まれたダンボールの箱で微笑んでいる1枚の写真。スキンヘッドの男性はジョージ・フォアマンに似ているけど、まさか――。

 どう見ても、フォアマンである。しかし、ニッと笑うその笑顔が、どうも私の中のイメージと違うのである。彼は渋く戦う人でなければいけない。少なくともNHKのドキュメンタリーを見た人ならそう思うはずだ。沢木耕太郎の書いた(とされる)あの渋いナレーション。あのイメージからは遠すぎる。

 しかも、その箱の中の商品はグリルである。斜めになっていてハンバーグの余分な油が落ち、太らない電気グリルなのだ。その箱の中には、コーヒーメーカーとトースターまで入って29ドル99セントなのである。あまりの安さに私はしり込みをした。フォアマンの笑顔もチープ、3点セットもチープ。このチープには何か裏がある。そう疑って、家に戻った。

 そして3日後、再び出かけてみると、同じ箱が59ドル99で売っているではないか。あれは幻だったのか。なんだか夢から覚めたようなショックに思わず店員に尋ねると「あれは週末セールさ。またやるかもしれないから週末にくれば」とあっさり言われた。ほんとうかな。未練がましく土曜日にでかけてみると、なんと再び29ドル99セントで売られているではないか。しかも、とても肉づきのいい黒人のおばさんが、その商品を買おうとしている。彼女に写真の主を尋ねてみた。

「あら、もちろんフォアマンよ。ほらグリルのチャンプって書いてあるでしょ」

  たしかに、よく見れば、GEORGE  FOREMANと書かれている。この笑顔が情けない気もするが、どうせコーヒーメーカーもトースターも必要だ。3つで3500円なら試してみることにしよう。

 ところが、これが優れものなのである。電気代をどれほど食うのか知らないが、すぐに熱くなってハンバーグがあっという間に出来上がる。一人分のひき肉をラップに包んだものを冷凍庫から出して解凍し、そのラップを広げて玉ねぎ(急ぎのときはフリーズドライのねぎ)とドライにんにくの粒、ハーブ、パン粉、そしてチリパウダーを混ぜてこねたものをフォアマングリルで焼くと、これがいいツマミになり、いいおかずになるというわけだ。しかも簡単にできるので、ペーパーを書きながらでも用意ができる。サラダでも用意すれば食生活は万全だ。お弁当にも楽そうだから、日本で売れば必ずヒットすると思う。

コーヒーメーカーとトースターはおまけみたいなものだから、ま、最低限の機能しかなくてもよしとしよう。とにかく私はこの買い物に、いたって満足だった。

そして、これには続きがある。ひょんなことで知り合ったグリルだから、どれほどメジャーかもわからない。しかし、東京のマツキヨ的ドラッグストアCVSにも置かれ、デパートでも週末ごとにフロアに並ぶこの商品は、一人用から大家族用まで、実に種類が豊富なのである。夜中に放送されるテレビ・ショッピングではフォアマン本人が出てきて商品説明をする始末。どうやら彼は破格の契約金でこの商品に名前を売ったらしい。

商品は一押しだが、この笑顔を見たら失望する日本のファンも多いだろうなあ。いや、もしかして本当にコアなファンは、驚かないのかもしれない。今日はハムをグリルしながら、ふとそう思った。

6月15日 セミとホタル

 ワシントンは自然が豊かなところだ。四季折々の花の変化を見るだけでも楽しく、幸せな気分になるのだが、そこに動物までお目見えするからさらに楽しみが加わるというわけである。アパートメントの合間の芝の上をリスがかけめぐり、すずめに似た鳥が小さな虫をついばみ、最近はリスにまぎれてねずみまで走り回る。大学ではとくに、学生がいなくなるクリスマス休暇や夏休みになると、リスがキャンパスを我が物顔にとびまわる光景がやたら目立つようになる。これだけ身近に存在すれば、ディズニー映画でリスが主役になるのもうなずける。そのイメージからリスは茶色と相場が決まっていると思っていたが、グレーや真っ黒なリスも少なくない。最近は目が肥えてきて、木の幹を駆け下りるリスも発見できるようになった。

すずめらしき鳥が芝の間の虫をついばむ姿も日常の光景だが、先日は少し大きな鳥がある昆虫を食べる姿を目撃した。ジョージタウン大学病院の向かいにあるスターバックスに腰掛けてクリスプ&クリームのドーナツを食べていたときのことである。鶫くらいの大きさだろうか。地面を這っている昆虫をパクっと食べてしまったのだ。

餌食となったのはセミである。セミがアスファルトの上をゆっくりと這っている光景は、決してめずらしくないのだ。

今年はセミが大量発生した年だという。10階のアパートの窓からはすごい勢いで飛ぶ小さな物体が目に入り、よくみると、それはセミで、突然、窓や網戸に小さな茶色の点をみつけると、これがまた、セミなのである。しかもアスファルトの上にも小さな茶色がころがっていて、仰向けになっていれば、それは短い生涯を終えたセミであり、うつ伏せならば、ゆっくりと這い回る死期の近いセミだったりもする。下を見ないで歩けば、必ずや踏んでしまいそうでドキドキする。樹木の下を歩くときは殊に要注意。

その最期にさしかかったセミを、その鳥は食べてしまったのである。人間に踏まれるよりは鳥の餌食になったほうが自然の摂理にあっているのだろう。しかし、子どものころからセミの生涯のはかなさを教えられてきたことを考えると、なんとも悲しい光景だった。

ワシントンでみかけるセミは茶色で、羽が透き通っている。子どものころに図鑑でみたニイニイゼミが近い印象だ。養老孟司先生に聞けば名前を教えてもらえるのかもしれないが、小ぶりで羽の透き通ったセミにははかなさが加わるというものである。

しかし、その声の印象がない。東京ではセミがけたたましく鳴くのを耳にしたら晩夏という印象がある。自分の生きた証を示すかのようにセミが鳴き始め、その声がピークに達したころ、空を見上げると、ずっと高く上のほうにあったりする。だが、これだけ死骸をみつけるというのに、その声が記憶にないのである。

 この前の日曜日の夜、図書館にこもって資料を読み込み、本数の少ないバスをベンチで待っていたときのことである。目の前を小さな光が通り過ぎた。かなり強い光で、小さなフラッシュを見てしまったような感じだった。まさか――。

その光は左に行ったかと思うと、次は右。ものすごい勢いで移動している。

 ホタルである。たった一匹のホタルがすいすいとワシントンの空気を自在に泳いでいるというわけだ。恥ずかしながらホタルといえば、東京にあるホテル椿山荘のホタル祭しか記憶にない。もっと幼いころ、祖母に連れられ岐阜の川べりあたりで見たことがあったのかもしれない。その貧しい体験から、ホタルは一匹ということはなく、数匹まとめて行動すると思っていたのだ。しかも、もっと緩やかな光を放っていたと記憶している。ところが、私が見たホタルは一匹である。なのに、何匹もいるような錯覚に陥るほど、縦横微塵に飛び回る。その光の強さとスピードのすごさ。

 やがて闇に目が慣れてくると、ホタルが必死で羽を動かしているのがみえる。ものすごい回数である。ふわふわと、いかにも身軽に飛んでいるように見えて、実は必死で羽を動かしている。その生命力には思わず拍手を送りたくなる。

 地球儀片手に世界秩序を考え、自分たちが正しいと信じて世界を振り回し続ける人々が集うワシントン。私がこの街を結構気に入っているのは、こうした自然との出会いがあるからである。

6月11日 大統領レーガン追悼の日

 今日は朝から元大統領レーガンの国葬がテレビ中継されている。二晩議事堂に安置された遺体に別れを告げる国民は20万人だったといわれる。せっかくワシントンにいるのだから行ってみようと思いつつ、最初の晩は私が体調を崩し、翌晩は一緒に行こうと約束した21歳のアイリーンが頭痛であきらめた。

 指導者にはオーラが必要だといわれる。しかし、そのオーラにも「陽」と「陰」があるのだと、元大統領の追悼番組を見ながら改めて考えた。彼はまさに「陽」のオーラを持ち合わせた大統領だったのだ。

 彼の映像が次々流されるのを見ながら、なんだか日本人の私まで元気になってしまった。彼の政策に賛成できるかどうかの問題ではない。彼の存在そのものがハリウッド映画的であり、ディズニーアニメ的なのである。同時にそれは、80年代という時代の空気そのものでもあった。

 80年代といえば、私たち日本人がまだ、アメリカの価値を信じることができた時代だ。

自由の国アメリカの星条旗はそれなりに眩しく、コカコーラやペプシコーラ、マクドナルドやケンタッキーが色あせることもなく、リーバイスのジーンズ、バドワイザーのロゴ、アメリカの音楽やハリウッド映画は日本の若者を魅了するのに十分な輝きを放っていた。CNNやMTVを通してアメリカ文化を吸収するのに必死になったものだ。プラザ合意の本当の意味などわかるはずもなく、ひたすら円高に沸き踊り、企業が海外進出を果たし、アメリカを買いあさったのもこのころだった。

 この数日間のメディアを通しての盛り上がりを見ながら、アメリカ人は、少なくともアメリカのメディアは古き良き時代を懐かしんでいるのだと思った。レーガンの持ち前の明るさに加えて、共産主義というわかりやすい敵が存在したことで、アメリカは善になりきれた。正義という言葉が真実味を帯びることができた。彼は強いアメリカを訴えてアメリカ人を元気にすることが可能だったのだ。カーター氏が暗かっただけに、その落差たるや半端ではなかった。国葬に列席した元首相サッチャーに象徴されるイギリスもその点では同じだ。イギリスとアメリカの正義が国際社会の中で通った時代である。

 弔辞はサッチャーに生前から依頼されており、医師から公の場でのスピーチを禁じられた彼女は、ビデオにそれを収めて会場で流した。葬儀の演出については、カメラアングルにいたるまで本人の遺言としてあったのだという。実際には夫人ナンシーが決めていたのだろうとは誰もが考えることだ。82歳のナンシーは痛々しく、しかし、ファーストレディーとして立派に最後の勤めを果たした。弔問客が次々に挨拶にやってきて、それがまた、アメリカの理想の夫婦像を演出するのに役立った。もしも元大統領夫がアルツハイマーのまま、夫人が先立つような事態が起きていたら、国葬はどうなったのだろう。どう見ても子供たちではその任を果たしきれそうにない。その意味でも、レーガン元大統領は、愛される大統領として華々しい最後を飾る運命の下にあったのだとつくづく思った。

 「鉄の女」サッチャーは黒い帽子の下にメガネをかけ、終始うつむき加減だった。隣に座った旧ソビエト大統領ゴルバチョフも日本の元首相中曽根も、引退後、それぞれに老いを重ねていた。この3人が映し出されるたび、ひとつの時代が確実に終わり、世界の歴史地図が変わっていくのだと思い知らされた。彼らの頭を何が駆け巡ったのであろうか。自分たちの華々しい功績だろうか。冷戦終結後の混乱した世界を憂いているのだろうか。それとも俗っぽく、自分たちの葬儀のあり方であろうか。

 警戒されたテロが起きることもなく、国立聖堂で行われた告別式は、小雨の中、厳かに幕を閉じた。

6月6日 フランスとの手打ち式

「Dデイ60周年式典」の模様が夜明けから中継されている。アメリカとフランスが共に戦った日々をなぞりつつ、ブッシュはシラクとイラクについて話す機会を得て、この後、サミットでさらに進展する可能性が出てきた。シラクにとっても、この式典はアメリカと歩み寄る、わかりやすいきっかけとなるのだろう。

それだけでも運がいいのに、昨日は元大統領レーガンが亡くなって、レーガン+共和党の功績をたたえ、共和党万歳モードである。あの「楽観主義」が良かったと語るコメンテーターたちばかり。これを現大統領ブッシュが自分にどう引きつけて語っていけるか。先輩の遺産をどう生かせるか。彼の腕の見せ所である。

80年というと、時代の空気が全く違う。大統領選挙から25年が経ったのだとしみじみ思った。一連の追悼番組は、共和党支配の良き時代を振り返る好機となった。彼のラジオアナウンサーとしてのしゃべりのうまさは、スピーチによく生かされている。彼の笑顔や愛想の良さも愛された理由のひとつだろう。ブッシュ親子には、そのいずれもない。特に息子はその才能に欠ける。しかし、根暗かといえばさにあらず。適度に楽観主義的ムードが漂うところが、ノーテンキなブッシュ支持につながっているのだろう。しかし、本人が楽観主義なだけでは危うくて仕方がない。そこを、アメリカ国民がどのくらい自覚しているかが問題である。

スピーチのうまさで負けていないのがクリントンだ。もうすぐ自伝が出る彼は、先取り宣伝講演ツアーをはじめ、これがケリーにマイナスに思えてならない。クリントンが輝けば輝くほど(その模様はC―SPANで放送されるので)ケリーがしぼんで見えるからだ。

実は多くの民主党員はケリーに満足していない。しかし、民主主義の手続きを踏んだ結果に誰も文句はいえないのだ。かくなる上はケリーを党をあげて応援しよう。決まったことに対する腹のくくり方において、アメリカ人は立派と思えることが多々ある。

 昨日電話で話した友達によれば日本ではケリー候補が勝てるという空気があるらしいが、私はブッシュが勝つと思う。在米日本人はほとんどそう考えている。ケリー候補になっても事は同じで、東アジア無関心という分だけ、日本には不利だという説が大半だ。

大統領ブッシュが閣僚人事を大幅に変えれば何か望みも持てそうだが、調べれば調べるほど彼は副大統領チェイニーに頭が上がらないことがわかってきた。6月末に政権移譲が行われ、イラク統治にアメリカ独裁の匂いが薄まれば、共和党はこの危機を乗り切れる。あとはレーガンの思い出をどう上手に散りばめるか、スピーチライターと大統領のスピーチのスキルにかかっているが、ブッシュの場合、実はこれが問題なのである。

それにしても、「Dデイ60周年」とはいいタイミングがあったものだ。この日に米仏が手打ちというシナリオは、ずっと前に描かれていたに違いない。

6月3日 ウィルスにご用心! そしてお詫び・・・

 ある日、突然PCが壊れた。画面が真っ黒になり、二度とデータが現れない。卒業式で大学のコンピューターセンターは機能していないし、誰に聞いたらよいものか。

 一番の問題は日本語が書けないことである。日記も書けない。原稿も書けない。メールも書けない。どうしよう。

 NY生活の長い友人にどうやって日本語の書けるPCを手に入れたのか聞いてみた。すると、思いがけない答が返ってきた。

「それ、ウィルスだよ。旦那もやられてさ。重要な文書を作っていてバックアップをとっていなかったから、真っ青になって、業者を探したのよ。それでデータを出してもらって。

大変だったよ。お金も高くついたと思う」

 なるほど。貴重な情報だが、彼が中国に出張中で、どこの業者でどうやって直したのかがわからないので、私はどうしたらいいのだろう。活字はともかく、私の場合は音のデータが保存できていないのだ。高くついてもいいからデータもとりだせるものなら取り出したい。それに、日本語をどうやって書くか。

「私のコンピュータは日本で買ってきたからねえ。アメリカのをどうやって日本語にするんのかなあ」

 ワシントン在住の日本人に聞いても、こんな調子なのである。メディアの支局は当然、業者を入れてメンテナンスを行っているし、故障すれば日本の本社から送ってもらうというわけだ。ウィルス被害など、誰も心当たりがない。

 日本語で書くことができないのは、実に不便である。急を要するため英語でメールを何通か書いたのだが、「ウィルスメールと思って危うく削除するところだった」と言われたり、

英語が解せないからローマ字で書いて送るよう言われたりで意思の疎通が難しい。結局、アパートから近いライシャワーセンターにお邪魔して、日本語を打たせていただいた。

こういう時に限って、急ぎの文書を求められるものだ。

 日本でPCに詳しく英語の解せる人々にメールを送り、ようやくXPなら日本語化が可能ということを知った。PCについては常に人を頼ってきた。こんなことまで知らなかったのだから、ほんとうに恥ずかしい。

 さて、次はいかに早く手に入れるかが問題だ。あと2ヶ月の滞在なのに、アメリカのPCを買うには抵抗があった。故障したときに、アメリカに持ってこないと保証書の意味がないからである。しかし、リースを探せば、ほとんどが企業相手だったり、ようやく個人リースに行き当たれば、クレジット履歴が必要とされ、円高にまかせて日本のクレジットカードを使ってきた私はあきらめるしかなかった。

 そこで手ごろな値段のものをネットで探してみると、ほとんどがWindows 98 なのである。だから安い。それだけのことだった。IBMなら国際保証も可能だし、少々高くても買ってみようと思えば、こちらは手に入れるのに1週間以上を要するのだ。国際保証のないDELLも同じだった。シッピング込みで1週間はかかるという。

 秋葉原で買って送ってもらうのはどうかと助言を受けた。しかし、平日に秋葉原に行く暇があり、PC に詳しく、20万円以上の借金をできる人というのは、そう簡単にはみつからない。日本のIBMをウェブで選び自分のカードで決済して郵送だけ任せるのも考えたのだが、日本国内で10日を要するというので挫折した。やはり店頭で直接買う以外にない。

 ワシントンの不便なのは、そうした直販店に行き着くのに車が必要なことだ。メトロを乗り継げるペンタゴンシティには品物がなく、タイソンズ・コーナーまであの手この手でたどり着き、「2時間前に売り切れです」といわれて疲れ果て、その近くに住む友人を呼び出してほかの店まで乗せてもらい、ようやく手に入れたときには1週間を経過していた。

早急にPCを買った理由はもうひとつあった。壊れたPCのデータを入れるのに、私の場合はICレコーダーで録音したものが多いため、ドライバーでは入りきらないといわれたからだ。

ようやく私の手元にPCがやってきて、日本語が書けるようになったのは、壊れてから9日が経ってからだ。思えば、B5のThink Padだけで1年を過ごそうとしたのにも無理がある。来て最初にデスクを1台買っておくべきだった。そして苦手なPCについて、人任せにしてきた怠慢のツケ。少しは自分でこなせるようにしようと深く反省した次第である。

というわけで、書き溜めた日記の更新もうまくできない上、過去のデータが消えて、しばしブランクがあきましたこと、お詫び申し上げます。そして、皆様もウィルスにはくれぐれもご用心くださいますように。ワシントンの知人の間でも同じ症状になった人が2人みつかっている。ウィルスソフトのアップデートは週に2日必要らしい。