@ワシントンDC 2

国立公文書館が水曜日から金曜日の3日間、21時まで開いてくれるようになり、リサーチする人間には嬉しいかぎりだ。一方で、21時まで拘束されるとなると、人に会ったり、買い物をしたり、日用品を調達したりするのに、困難な日々が続いている。土曜日の夜か日曜日に集中させるしかない。

同じ国立公文書館でも、日系人の資料はワシントンDCの本館、占領期の資料は、そこからシャトルバスで1時間弱の別館にある。その使い分けをしつつ、議会図書館にも足を運ぶ。まずは資料請求をしておいて、次の建物に移るという、離れ業をやってのけなければならない。

読みこむ余裕はないまま、すばやく価値ある資料をみつけてコピーをする。それがワシントンDCでの日課である。

@ワシントンDC 1

   ワシントンDCの秋は早い。東京より一足先にやってきて、もう冬支度の気配。黄金に染まった葉に埋め尽くされたアスファルトから上ってくる冷気が足を覆う。リスが木から下りてはいそがしそうに歩道を横断していく。

 テレビショッピングの番組で買った、軽くて小さく畳めるダウンが大いに役に立っている。今回はほとんど国立公文書館と議会図書館に通い詰めて、文献探しを行う予定だ。

 心なしかアメリカのテレビもつまらなくなっている気がする。中間選挙の結果を論じる番組も、なんだか寒々しい。目立つのは、ジュエリーを売るショッピングの番組ばかり。

 いつものことながら、Trader Joesで食べ物を調達。自炊体制の準備に入る。

フェラーリ・ワールド

UAEにフェラーリのテーマパークが出来たという。ちょっと行ってみたい気分。

東京ドームの2倍という広さらしいが、きっと赤い建物に違いない。出資したのはアブダビの政府系企業だ。出資させたフェラーリが上手なのか、UAEの誘致が頑張ったのか。

アブダビは昨年、F1の誘致に去年成功、それ以外にも、フランスと協力して「アブダビ版ルーブル美術館」の建設も進めているという。

先輩の力

東京女子大学の卒業生の方々の前で、畏れ多くも、ワシントンハイツについて話をさせていただいた。

現役の学生の前で話したことは何度かあるのだが、卒業生、それも先輩たちの前で話をするのは、かなり勇気がいる。女子大の気風として、とりわけ自ら道を切り開いてきた自負のある人々は、批判の精神に満ち溢れていることを知っているからだ。

実際、お会いして痛感したのは、昔の女子大が選りすぐりの人々を集めていたということ。彼女たちは育ちもよく、時代を牽引していたことは間違いない。こうして先輩に刺激を受けられるのは、手ごわいけれど、恵まれているということでもある。

同時に、私自身も、後輩たちにある種、緊張感を与えられる先輩であり続けたいと思う。自分の考えが点から線へ、線から面へと広げられるのは、おそらくこうしたネットワークを生かせるときなのではないだろうか。

お祝いの品

7月29日に催された祝宴に欠席された方に昨夜、日本エッセイストクラブ賞受賞を祝う食事会を開いていただいた。その際に頂いたプレゼントが意外で、とても嬉しいものだったので、後日、コレクションにアップしようと思う。

この歳になると、驚くような品は滅多にないのだが、これを選んだ若い女性は、かなり見立のセンスがある。その内容は・・・。

ライブ

さかもと未明さんのライブコンサートに出かけた。

歌手としては発展途上なのだが、ステージに立つとオーラを発して、皆を魅了する。彼女のけなげな生き様に裏打ちされたトークに魅力があるのだと思う。

体調をコントロールしながら、新しいことに挑戦するのは、しんどい反面、励みにもなっているはず。頑張って!と応援しつつ、こちらも元気をもらって帰ってきた。

2010年10月 新橋演舞場へ

新橋演舞場へは、紺のお召しで出かけました。実は、単衣なんです。地味なので、ずっと奥にしまいこまれていました。母が着ているのも記憶になく、あまり我家では人気がなかった気配。
あるとき、20代に締めていた綴れ帯を乗せてみたら、結構いい感じ。濃紺が入っているのがいいのでしょう。なので、袷にしようかどうか迷いつつ、10月なのに、これを着た次第。銀の大降りの水玉が、雪のようにも思えて、この着物で色々遊べるかもしれません。
千秋楽間近。夜の外気は少し涼しげですが、劇場の中は時折、汗がにじんだくらい。袷を着たら、どうなったことやら。
今回は、7代目、8代目、9代目坂東三津五郎丈の追善公演。8代目は日本エッセイストクラブ賞受賞者の先輩でもあります。その意味で、今回の追善公演は、なんだか身近に感じた夜でした。

2010年09月 立涌のお召し


この立涌のお召しは、かなりお気に入りです。どちらかといえば、5月6月に着る機会の多い着物。そのときの帯は透け感のある夏帯で。
でも、今年のように、日中に陽射しが強いと、9月はもちろん、10月初頭にも着てしまいます。この綿の帯は本当に便利。袷の黒にもぴったりです(2010年2月参照)。
いずれも母の娘時代のものと思われますが、サイズも直さずに着ています。袖は五寸のまま。身幅もそのままですが、そのほうが細く見えると本人は思い込んでいます。

2010年9月 綿の幾何学


私のためにあったのか、母の娘時代のものなのか。鼠の綿に赤の亀甲と銀の四角。面白い文様です。
NHK総合で夜11時20分から毎晩放送されていた「ナイトジャーナル」のメインキャスターを勤めていたころ、『婦人公論』の取材を受けた際、母が出してくれたものです。ただ、そのペイジはモノクロだったので、色まで写されずに残念なことをしました。
普段はこの夏帯を締めていますが、9月には、若冲の雨龍の帯を締めたいと考えていますが、勿体無くて、まだ締めていません。