2010年09月 襦袢 くもの巣

以前にトランプの襦袢をご紹介しましたが、それ以外にも、結構、集めました。くもの巣だけでも3種類。左は白地に鼠で蜘蛛の巣が描かれた絽の襦袢。五寸と三寸の両方を仕立ててあります。真ん中は、ネットで買った白地の襦袢。袖を単衣にしたてました。右は袷の襦袢。黒地に銀で蜘蛛の巣を描いてもらいました。

2010年09月 宮古上布


母の宮古上布。8月は暑くて着る気になれず、ずっと箪笥の中にしまっていました。
今年の9月はずっと暑くて陽射しが強かったけれど、日が落ちると秋の気配。えーい、と9月なのに、これを着て食事にでました。
本当は白い絽の博多献上とかを締めたいところですが、その季節には袖を通すことのない宮古上布。帯を緑にすることで、少し秋の空気をもりこみ、季節はずれの印象を消してみました。
帯締も祖母の引き出しにあったもの。縞の一色が帯と同じ系統の緑なので、あわせてみました。

2010年08月 越後上布


祖母の越後上布、盛夏はこれに限ります。祖母のものは時として縫い糸が弱って、ほつけているものです。縫い直すなら、一度洗い張りに、とお願いしてみたところ、雪晒しにしてくれたので、真っ白になってかえってきました(それまでは、薄いグレーのような印象でしたが)。
帯も祖母のもの。日焼けして色あせしていたので、裏返してかがってもらい、締めています。
日中の陽射しは真夏でも、夜になると忍び寄る秋の気配。白のせいもあるのでしょうが、月末には、この上布では涼しく感じ、絽に着替えて出かけました。

青空市場 @丸の内マルシェ 秋の収穫祭

丸ビル1階で、産地直送生野菜が買えます。今日の19時まで。

注目は、京野菜。「和久傳」が扱っている京都と丹後の農家のものが直接買えます。カボチャや大根、カブなど、東京では買えないものが色々ありました。

→カメラを忘れたので、携帯で撮影。ピンがあまくて残念です。

べったら市

家の扉を開けて、なんだか匂うと思ったら、犯人は昨夜、買ってきた、べったらだった。

毎年恒例べったら市に今年も足を運んだ。紐でぶら下げられるようにしてくれる店で皮なしを買うと決めている。

今年は小伝馬町から人形町に抜けて帰ってきた。あの、親子丼で有名な「玉ひで」が、味付け卵を売っていたので、そちらも購入。

もちろん、神の留守に守ってくれる恵比寿様にお参りはしてきましたよ。

媚びてはいけない

あれこれ抵抗してみたところで、押し寄せる中国人に「数」で負けるのだから困ったものだ。しかも、思い切り頭がよくて礼儀正しい中国人は、日本には来ない。来たとしても、私たち庶民の前には姿を現さない。だから厄介だ。目に付くのは、外国人との共存に不慣れで自己主張の激しいプチ金持ちだから、失礼のてんこ盛りになる。

そこへ起きた領土問題だから、日本人だって嬉しくはない。だからといって、間違っても戦争などという愚かな選択は何としても避けねばならない。いま中国で起きているデモは、所詮、裏で当局に操作されているであろうガス貫きデモなのだから、それに動揺することはない。感情的になる必要もない。同じ土俵に立ったら終わりである。

クドイようだが、いま出来ることといえば、相手のヘキを研究して、最悪の事態を想定する。心の準備の積み重ねで、ストレスを軽減する。これに尽きる。

 そして、何より、媚びないことである。彼らが日本人を蔑む隙を与えないことが重要だ。お金を落としてくれるお客様だからとサービス過剰にしても、彼らは感謝しない。むしろ自分たちにかしずく召使いくらいにしか思わない。

 かつて日本人がパリでヴィトンやエルメスを買い漁ったとき、フランス人は金持ちの日本人を特別扱いしただろうか。そんな日本人を心の中では見下していたことを思い出そうではないか。

 いま私たち日本人に問われているのは、プライドだ。彼らがどんなに札束を積もうが、ソフィティケーとされた日本人には勝てないのである。最大の武器は、日本的なるものを愛し、誇りを持ってそれえを守り抜こうとする姿勢だと私は考えている。

尖閣問題、東京でもデモ

今日の午後、青山界隈は少し騒がしかった。マイクロフォンの音に誘われて探ってみると、そこには日の丸を掲げた群集が・・・。

人々は港区青山公園に集結していた。麻布にある中国大使館へデモ行進しようというのである。集った人々を前に設けられた小さなステージでは、日本政府の不甲斐無い対応、日本のマスコミが前回のデモを報じなかったこと、ノーベル平和賞問題に言及し、あるいは西村慎吾氏にいたっては核武装を声高に叫んでいたのだが、実は青山公園は、米軍のヘリポート隣に位置する。拍手した人たちの何人が、それを認識していたのか興味深い。

集ったのは以前から右翼的なる人々だろうと想像しがちだが、実は普通の人々が多いのに驚いた。最近の中国の対応は、一般の日本人の中に潜んでいたナショナリズムに火をつけたのだろう。ファッショナブルな若夫婦が何組か、乳母車に日の丸を立てていた。子どもの将来を憂いているのか、右の写真の娘さんの頬に日の丸が描かれていた(顔がわからぬようトリミングしたので、判別が難しいかも)。

中国大使館までは同行しなかったので、そこで何が起きたのかは知らないが、少なくとも、彼らは中国のデモ隊よりはるかにお行儀がいいとの印象を抱いた。

追伸:同じ日、中国では4箇所で反日デモが起きた。四川省の成都、河南省の鄭州、浙江省の杭州、陝西省の西安。大使館や領事館のない都市でのデモは、政府によるガス抜きだという指摘もある。

青山公園から中国大使館を目指すデモ隊(左)。    乳母車に日の丸、子どもの頬にも(右)

アボカド三昧

最近は、すっかりアボカド中心の日々である。牛乳と一緒にミキサーに入れ、スイーツが良ければ糖分を加え、食事モードならコンソメを加えるといった具合だ。

インドネシアでアボカドスイーツに慣らされた後、LAではメキシカンばかり食べていたので、アボカドなしでは淋しいのである。

写真は、LAで友人が連れて行ってくれた老舗のメキシカン・レストランで、ワカモーレを作ってもらっているところ。美味しくてたくさん食べると、メイン・ディッシュが入らなくなる。こういうのは、東京では食べられない。

中国人「ノービザ入国」でいいの?

北海道と九州が「中国人観光客をノービザで入れる」計画があるのだという。

気は確かなのか――。 

数日前の朝、ワイドショーでこれを聞いたときには、わが耳を疑った。誰がそんな愚かなことを考えたというのだろう。九州や北海道の人々の安全は考慮されているのか。いや、これは日本全国の治安問題である。 

しかも、中国の運転免許証で自由にドライブできるのだという。日本の交通ルールを知らない中国人が運転して交通事故が起きたとき、誰が責任をとるというのだろう。これには、さすがに「大丈夫?」と森永卓郎さんがつぶやいたが、スタジオでは誰ひとり異論を声高に発言せずに、次の話題へと移った。 

ビザを取得できる中国人だから、日本に来て買い物をしてくれるのだ。ビザなしということは、貧しい人(=お金を落としてくれない人)も、略奪する人も、不法滞在者も犯罪者も含まれる。一度入国したら、九州北海道だけでは終わらない。日本全国に移り住み、窃盗が多発し、善良な日本市民が犠牲になる。麻薬だって、いくらでも持ち込める。 

これは、政府が来年創設を目指している「総合特区制度」を受けた流れで、九州観光推進機構は「九州アジア観光戦略特区」を、北海道観光振興機構は外国人の就労規制を緩和する「北海道観光インバウンド特区」を申請しているのだという。 

九州については「九州内の離島やハウステンボスなど特定地域に限定して」というが、そのまま離島に住みついた場合、どうなるのだろう。数少ない島の人々が、言葉も通じない中国人がいきなり大挙して住み着いたとき、どうやって共生できるというのだ。

他方、北海道観光振興機構も、ホテル従業員として働きやすいよう外国人の就労規制を緩和するというのだ。これでは、北海道が中国化するのは時間の問題である。既に、北海道の土地不動産は中国人に買われている。中国人がホテルを建設しても、雇われるのは日本人ではなく、本土から呼び寄せた中国人だ。

中国人のノービザ入国問題は、親中総理の福田政権でも浮上していた。放っておけば、現政権下では通ってしまいそうだ。このまま見過ごしてもいいのだろうか。

少なくとも、九州と北海道で暮らす市民の了解を得ることが先決であろう。それを受けいれるなら、犯罪対策など、あらゆる事態を想定をして、心の準備をしておく必要がある。想定の作業は、メディアの仕事である。

どうか目先の「地元の利益」という言葉に踊らされないでほしい。必要なら、ビザを持つ中国人を一人でも多く呼び込むよう知恵を絞ればいいではないか。

ウェストサイド物語

昨夜、NHKハイビジョンで、バーンスタイン特集を見た。映画「ウェストサイド物語」が新鮮だった。というより、この映画のテーマがわかっていなかった自分に愕然とする。

最初に劇場で観たのは中学生のときだっただろうか。次は20代前半で観ているはずだが、単なる不良グループの縄張り争いという記憶だけで、本質がちっともわかっていなかった。二度目はテレビで、吹き替えで観たからかもしれない。

バースタインの楽曲と、振り付けの素晴らしさに、つい目を奪われてしまうのだが、これは「移民」の物語なのだ。英語でmigrants を連発しているのに、字幕の「よそ者」という訳に、プエルトリコ人だけが肩身の狭い思いをしていると捉えたらしい。

よくよく見れば、相手はイタリア系移民。WASPに虐げられたマイノリティの物語だというのに、当時の私はイタリア人はほかの欧州人同様、アメリカ社会に同化していると思い込んでいたのだろう。そういえば「ゴッドファーザー」を観たのは、いつだったのだろう。うーん、若かったとはいえ、アメリカという国の成り立ちを理解していなかった自分の無知が恥ずかしい。途中で「トニーがポーランド移民」と兄がマリアに語る場面でさえ、聞き逃したに違いないのだ。

それにしても、バーンスタインは凄い。1990年、ベルリンの壁が開いて半年後の「プラハの春音楽祭」で彼がタクトを振るのを見たことがあるが、作曲家としても、ピアニストとしても、半端でない才能の持ち主である彼に、改めて拍手してしまった。

同時に、ついつい体が動きだして踊っている自分にも驚く。「19の手習い」で25歳までモダンバレエを習ったのだが、2年目の発表会でいきなりジャズダンスを振付けられ、「クール」を踊ったのである。若いころ身体に叩き込んだことは、体が硬くなった今日でも音楽に反応する。もっと幼いころから習っていればいまごろ、さぞかし身のこなしが美しかったに違いない。

いや、いまからでも遅くない。少し肢体を鍛え、根底に流れる歴史的背景を把握すべく映画を見直してから死ぬ、というのも悪くない。そう、ハリウッド映画には深いメッセージがこめられているのである。