2002年11月 結婚式

従姉妹の結婚式には黒留袖で出席。弟が結婚してしまうと、仲人でも引き受けない限り、黒留袖は出番がなくなりました。従姉妹なのだから、色留袖でもいいのですが、この桐の花文では、若いうちに着こなしておいたほうがいいと判断。帝王を象徴する鳳凰は桐の木に棲むのだとか。本来、桐は菊と同様、皇室専用だったそうです。色使いも含め、本人はとても気に入っております。帯は例によって龍村で。

2000年11月 アジア太平洋賞授賞式


アジア太平洋賞授賞式には、若いころ母から譲り受けた絞りの訪問着に、龍村平蔵さんの帯をして出席しました。他界する直前の正月、大学院を受験する旨を母に打ち明けたら、珍しくエールを送ってくれたのです。そんな母に応えるべく書いた修士論文をベースに仕上げたノンフィクション『運命の長女:スカルノの娘メガワティの半生』に賞が与えられました。
授賞式(右)には、お花とともにTBS「いちばん!エクスプレス」のスタッフも駆けつけてくれました。左はその後の祝宴@帝国ホテルで撮影したもの。上智大学の仲間、それに仕事でお世話になった方々にお祝いして頂きました。皆さまに支えられての受賞。ありがとうございます。

日本エッセイスト・クラブ賞授賞式

 昨日の七夕は、第58回日本エッセイスト・クラブ賞の授賞式が日本記者クラブで行われた。前回のアジア太平洋賞のときは、大賞が一人、特別賞が三人だったので、ほかの人が話している間などに準備が整ったのだが、単独授賞というのは実に忙しい。スピーチの後は、すぐに列が出来て、ずっとサインをしていた。毛筆で、などとこだわったので、書くのも乾かすのも時間がかかった。

機内スタイル

機内に持ち込むのは、このスタイルです。黒と茶の二段構え。クロワッサン型のバッグは2003年にアメリカで流行っていました。肩にかけて脇にはさむか、キャリーに載せるか、パスポートも長財布も入るので便利です。COACHがグローブ作りから始まった理由がわかるような風合い。

このバッグが便利なのは、エコノミーの座席で、腰の下に入れるとラクなこと。クッションの柔らかさはないが、支えにはなります。

東京と京都の掛け合わせ

日曜日の石川九楊講演会のために前日に京都入り。チェックインすると15時の打ち合わせに間に合わないからと、荷物をひきずって、地下鉄に乗る。教わった経路が地下鉄仕様だったためだ。

京都で地下鉄に乗ることは滅多に無い。だから、ベルリンで戸惑った時と不思議な感じは同じである。思えば、京都での移動は、いつも徒歩かバスかタクシーだった。外の風景が見えるのが楽しいのと、バスの行き先が神社仏閣なので、表示もわかりやすいのだ。NYも最初のころは、バスで移動していた。

やはり東京は凄い。最近はたいがいの乗り物の改札付近に、エレベータやエスカレータが存在する。キャリーバッグをひきずっていても、どうにかなる。なのに、京都ときたら、表示が不親切な上に、どこも階段しかなく、荷物を持って階段を上り下りするうちに、汗だくになってしまった。おまけに、地上に出れば、雨が降っている。最悪だ。

京都で車椅子だと大変なのではないだろうか。バスはどうなっているのだろう。アメリカの州によっては、バスの乗り口が自動で下がるようになっている。あちらの車椅子は電動が圧倒的なので、それを使う客が乗った場合には、回転できるように、皆でその一帯を空ける。それが当たり前なのだ。

たとえばワシントンDCなどは、地下鉄にエレベータとエスカレータが必ずあるが、特にエスカレータが故障したままということは、めずらしくない。便利なのか便利でないのか悩むところだが、それでも、インフラとして、どちらも備え付けているところは、考え方として正しい。

で、打ち合わせはといえば、先生は参加されないのだという。昨夜遅くに、京都の塾生とともに打ち合わせを終えたのだという。それを伝えておいてくれれば、チェックインして荷物を預けるくらいの調整は可能であったろうに。私なら、そう連絡するのだが、どうも京都の人たちはノンビリしている。伝統文化に携わる人々や女将さんたちは別として、普通の人々は、気が利くようで、気が回らないということがよくある。

そういえば、先日、あるコンサルタントの人が語っていたことを思い出した。地方経済が大変とよく言われるが、実際、東京ほどには効率よく働かないから、同じに論じられないのだという。地方のある企業に、「試しに、東京の企業と同じくらい社員を働かてみましょう。残業もさせてみて、結果をみましょう」と助言した。結果、利益が2割上がったのだそうだ。

京都には、ホンモノを追求する心や、我々が置き去りにしてきた知恵がたくさん詰まっている。しかし、それを維持しているのは、伝統文化を維持する世界に特化しているのかもしれない。一般の人々は、案外、ノンビリしてるのだろう。移民が押し寄せる時代には、その気質は災いする。東京と京都のいい部分をミックスできると、日本のありようが明確になるような気もするが、これについては改めて考えてみたい。

「戦略」アレルギー

昨日、文部科学省の会議に出ていて、驚いたことがある。「戦略」という言葉に過剰なまでに敏感なのだ。

ある研究プロジェクトの成果発表について、タイトルに戦略という言葉を盛り込むことを提案したところ、却下されたのだ。研究者の間で、反発があるからだという。

戦略と使っただけで、戦争に突入していった日本のありようにつながるとする思考回路は理解できる。そうした敏感さが戦後日本の平和を維持してきたのも確かだ。しかし、世界は大きく変わっている。そこに囚われている段階ではない。

たとえば、アメリカにいれば、戦略という単語はデモクラシーと同じくらい連発される。中国のいまの動きをみれば、きわめて戦略的である。そのハザマにいながら、戦略を持たない国が近い将来どうなるかは明らかである。

東アジア共同体についての会議に出た人によれば、日本勢はきわめて楽観的で、棚ぼた式に、これまでのようなポジションを日本が維持できると錯覚しているという。これは大きな間違いである。

小さい国ながら、大国に飲まれないための「戦略」。これを日本が持たないかぎり、私が生きている間に、日本は二等国になりさがる。いや、どこかの属国になる可能性も十分ある。それに日本人が耐えられるとはとても思えないのだが。

吉報を受けて

  受賞の知らせを受けた瞬間。このあと、目がうるうるしてきます。

6月17日付の朝刊に記事が掲載されたので、朝からたくさんの方々より、電話やメールを受け取りました。ありがとうございます。通勤電車で読んで駅のホームから電話をくれた人、会社についてすぐにメールをくれた人、あんなに小さな記事をしっかりみつけてくれて、まだまだ新聞が読まれていることを実感しました。メールが大半でしたが、電報も一通受け取り、なんだか懐かしくてほっとしました。電子ブックが話題の昨今、便利さから一瞬、そちらに振れたとしても、やはり紙の本がいいという人が圧倒的ではないでしょうか。そんなことを考えた6月17日でした。

日本エッセイストクラブ賞受賞

昨日、「日本エッセイストクラブ賞」の最終選考会が開かれ、拙著『ワシントンハイツ』の受賞が決まりました。

選考会の間をどこで過ごすか、結果をどこで受けるかは悩むところですが、今回は『ワシントンハイツ』に登場する明治神宮の森におりました。吉報は、満開の菖蒲園にて受けました。

ちょうど前日に増刷も決まり、第二版は28日に書店に並びます。

皆さまに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。