オペラへのドレス、ルチル、ロードクロサイト、ピンクトルマリン

 

 

三枝さんのオペラのレセプションで撮影。隣は姿月あさとさんです。

ユキ・トリイのこのドレスは胸元が開いているので、谷間はブローチで隠し、大玉ルチルをネックレスに。

ロードクロサイトとピンクトルマリンを交互にしてバングルに仕立てます。どちらもドレスに入っている色です。右手に巻いているのは胸元と同じ花のブローチ。

バッグはアメリカのCOACHで買ったミンク、ボレロはフェイクです。

                   左手にしているのは、ロードクロサイトとピンクトルマリン。6ミリ玉26個、それぞれ3本を交互につけています。ドレスに使われている色とあわせています。これにエメラルド原石の6ミリも加わると、もっとドレスに合いますが、6ミリはまだ、見たことがありません。

土曜日の続きです

月曜日に備え、議会図書館で本のリクエストをしておき、DCの国立公文書館に移ってリサーチの続きをする。土曜日にはシャトルバスがないので、メリーランドには行かない。
資料のコピーはイメージだけならデジカメで間に合うが、細かいドキュメントは、ゼロックスと併用する。プリペイドのコピーカードにクレジットカードで入金しようとしたら、機械が受け付けてくれない。マイクロの部屋でも同じだった。スタッフいわく「この機会、時々カードも受け付けるけど、今日はどうだかわからない」。
閲覧室には最低限のものしか持ち込めない。長財布も禁止。カードも入る小銭入れにカード以外は3ドルくらいしか入っておらず、20ドル札を取りにロッカー室に行く。
アメリカ人は故障に対して寛大だ。地下鉄のエスカレータもしばしば故障したまま動かないことがあるが、人々も文句も言わずに、階段と化したエスカレータをテクテク歩く。停電でも、動揺しない。
17時に追い出されてアパートに戻り、ジョージタウンの街を歩いてみる。春めいた陽気と週末の開放感で、街は予想以上に賑わっている。どこのレストランも一杯だ。
あっ。見慣れた店構えを見て、初めて気づいた。こんなところにアバクロがあった。ずっと以前からこの前を通っていたのに、外から見えるアイテムが私の興味の対象外で、ただ素通りしていたのだった。
ここは、ほぼサンフランシスコと同じようなカジュアルな店づくりだ。私の探していた綿ニットも売られていたが、NYで既に買っていたので、軽く見学して外に出た。
たしかに、NY五番街のアバクロは、東京銀座のそれと似ていた。香水も強いし、音楽のうるささもクラブ風。とはいえ、銀座ほどには力が入っていない印象を受けた。何より、お兄さんたちがイケメンでなく、フツーにしか見えない青年なのだ。
驚いたのは、私が探している綿ニットの色の豊富さ。サンフランシスコやDCのジョージタウンでは3色なのに、白、ターコイス、ウグイス色、もしかするともう一色あったかもしれない。アバクロのテイストと少し違うので、人気がないようだった。店には世界中の観光客が次々訪れていた。
聞くところによれば、アメリカでアバクロの勢いは低下しつつあるという。五番街の外国人観光客と海外進出が、生き残りの鍵なのかもしれない。

観光客が押し寄せるワシントンDC

さかのぼって、土曜日の話。
週末はアパートの接続がうまくゆかなかったのでした。

土曜日は朝から議会図書館に出かけた。まずは本をリクエストして、月曜日夜に備える。公文書館の後で訪れても、本が出ていれば、時間を有効に使える。
リーディングルームのカウンターでは、IDカードがリニューアルしてウェブからリクエストできるようになったといわれたのだが、急ぐのであれば、これまで通り画面検索して手書きで提出したほうが早い。
しばらく来ていなかったので、段取りを間違えることが多い。リサーチャー用の入り口に来て思い出した。土曜日は、ここから入ることができなかったのだ。はるばる周ってきたのに、また大きな道路を渡らなければならない。そして案の定、地下道のあるフロアを間違えた。早くも迷子になりかける。
本のリクエストを終え、外に出ようとして、またまた意図せぬ場所に出てしまった。途中で会った、かなり肉付きのいい職員のオバサマたちに誘導され、観光客と同じ出入り口へ。
凄い!中も外も観光客でごった返している。すぐそこにある議事堂とセットで見学している風だ。これも、ダン・ブラウン効果か。
日本政府も観光客を呼びたければ、日本に埋められた謎を村上春樹さんに書いてもらい、世界中に翻訳本を出せばいいのではないだろうか。

議会図書館の中にいます

議会図書館のリーディングルームにいます。
21時に閉まると思っていたら、21時半まで大丈夫でした。本が届くのを待っています。
ダン・ブラウンのせいで、本を運ぶベルトコンベアが気になります。一冊ごとに本を置く枠が設けられているのですが、だとすると、人間がこの上に乗れるのかどうか。もしかしたら、以前はこの枠はなかったのかもしれません。バゲージクレームのスーツケースと同じにしか見ていなかったのでしょうか。全く記憶にありません。
出入り口のガードマンは、コンピュータ画面に夢中でした。カードゲームで遊んでいます。
公文書館で見かけた、白髪のロングヘアが印象的な少し気難しそうなお姉さまがーーおそらくは欧州か南米の50代の研究者だと思うのですが、やはり議会図書館にやって来ました。滞在中に効率よく梯子するところは、私と同じです。

米国議会図書館

大失敗――。
議会図書館が21時まで開いているのは金曜日と思い込んでいたが、実は昨日の木曜日こそ21時までであり、今日は17時で閉まってしまったのだ。
つまり、17時発のバスでメリーランドからDCに戻り、それから議会図書館で本のリクエストをする梯子計画が、無残にも崩れたのである。
アパートに戻ってPCやカメラを置いた後、SAFEWAYという普通のスーパーに出かけた。スプレイ式のホイップクリームを買うためである。
スーパーがあるのは、ウォーターゲートビル。日本を発つ前に、NHKBSで「大統領の陰謀」を観たばかりだったので、つい身近に感じてしまう。今回与えられた部屋からは、このビルがよく見える。西の方角にあるので、夕景が美しい。
今回は議会図書館も違って見えるはずだ。日本からの機内で読んだダン・ブラウンの『ロスト・シンボル』の上巻の逃走劇は、この議会図書館が舞台なのだ。ワシントンDCの話だからと、つい成田のツタヤで上下巻、買ってしまった。
議会図書館では、3つのビルディングを行ったり来たりするのが難儀だった。必ずといっていいほど、迷子になる。資料によっては、アダムスだのジェファソンだの、申請する部屋の建物もまちまちで、あちこち振り回されたものだ。請求してから45分待たないと出てこない。だから、平行して、色々な資料をリクエストしておく必要があるのだ。
中心にあるリーディングルームが八角形であることは、この本を読むまで意識していなかった。ただ、大理石と木の融合した中世の教会や美術館を思わせる空間に身を置くだけで、ものすごく賢くなった気がして、21時の閉館まで読みふけった。日本の図書館も、もっと伝統文化の匂いがするようにすればいいのに、とつくづく思う。
そういえば、国会図書館は、ロックフェラー財団の寄付で建てられたものなのだが、戦後、資金がなかったからとはいえ、もう少しデザインに工夫があっても良かった気がする。バブル期の税収が潤沢だったときに、一部改築しても良かったのではないか。同じ公共事業でも、もっと日本人の心のよりどころとなる文化財に国家予算を投じるべきだったのである。それが、後世に財産となることに、政官ともに誰一人目配せできなかったことが、残念でならない。

久々のワシントンDC

公文書館通いの日々が始まった。
地下鉄の駅まで歩いて5分ほど。去り行く冬を包み込むようなワシントンの春の陽だまりを歩くのが好きだ。
とはいえ、早朝は風が冷たいので、外に出てから部屋に戻り、中を半そでにして、ダウンを羽織った。
ワシントンDCにある国立公文書館の本館からメリーランドの別館へとバスで移動する。時差を引きずっているせいか、バクスイしてしまった。
入り口の荷物検査で入館証を見せ、期限切れを指摘される。一昨年末で切れていたのは意外だった。そういえば1年前の4月、入稿してから初校が出る前に写真を探しに来るつもりだったが、インフルエンザ騒動で思いとどまったのを思い出した。成田で足止めを食っては、校正が思うようにはかどらないと考えたからだ。
地下鉄アナウンスの声も若返ったような気がする。コンピュータで作っているのかもしれず年齢は関係ないかもしれないが、トーンが高くなり、アナウンスのリズムも明らかに変わっている。
アキュビストたちの顔ぶれも随分変わった。知っている顔がオフであるにしても、初めて会う人が大半だった。部屋のレイアウトも変化している。
夜は得意のTRADER JOESに出かけ、食材を買い込んだ。オーガニックが売りで、値段も安く、店員のモラルも高いのはいつもと変わらない。
つい生のアーテクチョークを買いそうになったが、今回は短期間なので、瓶詰めのマリネを試すことにした。あとは、お決まりの、オーガニックのキャロットジュースやアボカド、葉っぱもの、マッシュルーム、たまご、シナモンのパンを揃え、ひき肉とハムを買って終わり。コーヒーはハワイコナ。ビールはブルームーン。冒険するのも悔しいので、つい定番に落ち着いてしまう。
それにしても、アメリカは水が相変わらず、ひどい。塩素が強いのだ。飲料水はミネラルウォターを飲むとして、お風呂と洗顔に支障をきたす。皮膚がガビガビガサガサになるから、困ったものだ。日本人の肌がきれいなのは、水質の良さによるところも大きいのではないだろうか。
その日本の水源を山ごと中国人が買い占めているという。それだけは死守してほしいと願うのだが、親中の民主党政権には、聞き届けられない願いだろうか。
そういえば、国際機関で働いている友人が、ここ数年の間に、組織内の中国人のポジションが変わったと言っていた。

アムトラックにて

いま、アムトラックの中です。新幹線のような列車で移動中。NYペンステーションからワシントンDCのユニオンステーションへと向かっています。
ネットがつなげるから、嬉しくなります。同時進行です。
PCを開いているのは、なぜか女性が多いですね。若者か、ワーキングウーマンか。男性は疲れているのか、眠っている人がほとんど。あ、一人、デーブルをはさんだボックスシートに移動して、仕事を始めました。
たったいま、フィラデルフィアに着きました。

NYエアポートバスにご用心

NYにやってきた。
JFK空港から15ドルのバスに乗る。これで2回目だ。
大きなバスでグランドセントラル駅に着いて、そこからホテル組とペンステーション組が分かれて、荷物とともに目的地に送り届けられる。ワシントンDCのように、乗り合いシャトルもあるのだが、15ドルの値段に引かれて、これに乗ってしまってしまった。前回は、とんでもないハプニングが起きたことを、すっかり忘れて。
あれは一昨年の12月だったと思う。駅で乗り換え、イタリア人と二人、後ろの座席に乗ったのだが、ホテルに着いてみると、私のスーツケースが無い。たしかに、大きなバスから荷物を出し、各自が道路を渡って、ドライバーに荷物を渡したのだ。一体、どこに消えたのだろう。いや、今日から、どうやって私は過ごせばいいのだろう。
怪しいのは、この、ろくに英語が通じない中国人ドライバーだ。事態の重大さも飲み込めていないらしい。もしも見つからなければ許さない。彼に思い切り抗議して、同僚と連絡を取らせた。こういうとき、なぜか急に英語が上手になる私だが、相手も相手で、絶対に自分のミステイクは認めない、荷物が勝手に車から降りたといわんばかりの開き直りようである。こういうときは、引いたら負け。徹底的に闘う。
その車に乗った場所に戻ってみると、なんと、私の赤いスーツケースは道路にポツンと放り出されているではないか。誰にも持っていかれなくて本当に良かった。資料や日本からの土産物がどっさり入っているのだから、初日に消えては、困るのである。
道路に残されたスーツケースを見張っていて同僚たちは、私にすこぶる同情的だった。どうやらチャイニーズの彼には、こういうポカが頻繁にあるらしい。
にもかかわらず、彼は一度も謝らない。ホテルに送り届けた段階で、チップを要求する、厚顔無恥な輩である。せめて最後に一言謝ってくれれば、チップはチップとして払うつもりだったのだが、またまた腹が立ってきた。彼のせいでホテルに着くのが遅れたのだ。しかも、ホテルでスーツケースを卸してくれたのは、ベルボーイであって、彼ではないのに、なぜ彼がチップを要求できるのだろうか。
とはいえ、転ばぬ先の杖である。以来、いかなるときも、自分のスーツケースが載せられるのを見届けてから自分が乗り込むことにしている。だから、今回は何事も起こらないはずだった。しかし・・・
再び呆れた事件が起きた。今度は途中で投げ出す、という形で、である。
事を起こしたのは、やはり中国人ドライバーだった。彼は私のホテルをみつけると、後ろを指さして、「あそこだ。ここから歩いたほうが早い」そう言うと、さっさと車から降りて、私の荷物を路上に置いたのである。そして、  資料が一杯つまったスーツケースを自ら引きずって、横断歩道を渡れというのだ。
それはおかしいと抗議してみたものの、スーツケースは既に降ろされている。彼の中では、ぐるっと周って前につけるのは大変だという言い訳つき。根っからの怠け者なのである。しかも、当然のように、チップを要求する。それは筋が違うだろう。彼には、大型バスから降りるときに、既にチップを渡している。それでも、ホテルに着いた段階で、さらに渡すつもりで用意していたのだが、仕事を真っ当しない人間が、なにゆえチップを要求  できるのか。ずうずうしいにもホドがある。
乗るときには、つい黒人女性の明るさに誘われて切符を買ってしまった私だが、思えば、この会社で中国人にあたると、まともに仕事をしないことを忘れていた。ラテンアメリカやアフリカからやってきている人々は気持ちよく仕事をこなすのに、なぜだろう。前回と同じかどうかさえ記憶にないが、彼のせいで、華人系移民の印象が悪くなる。
今度は乗り合いバスにしよう、と前回も誓ったことを思い出した。こうやって書き留めれば、もう忘れないはずなのだが。