昨夏、北斗七星の帯を手に入れてから、これを締めて外宮参拝するのが夢でした。ようやく実現したというわけです。
この意味が分かる人は、かなり神社通、いや歴史通ですね。外宮の大切な神事においては、神職が北斗七星文の装束を着用するというコアな情報があります。
写真は早朝、多賀宮から降りてくる途中。外人観光客の人に撮ってもらいました。
この後は、伊雑宮へ。
投稿者: AKIO Satoko
2016年6月 若冲の帯は雨ゆえ諦め、亀甲文で
雨の日のお茶会って、何を着ていいか迷いますよね。
昨年に続いて、蛍の茶会なるものが、亀岡の樂樂荘で開かれました。高級な着物を強いられるような緊張した茶会ではなく、比較的若い人々の集まりで、夜は地鶏や亀岡牛のバーベキュー。その後、川のほとりに飛び交う蛍に会いに行くというもの。
本当は若冲の蛙の帯を締めるつもりだったんんです。昨年の経験では、蛍狩りに出向く川沿いでは、田んぼに潜んでいる蛙の合唱が見事なんですね。漆黒の中、その声と蛍の光を眺めていると、自然のすばらしさを思い切り体感できる。
なのに、京都では土砂降り。「今日は洋服のほうがいいですよ」とご亭主に言われていたものの、茶室に洋服で行くなら、ロングスカートに白いソックス持参。お稽古ならそれでいいけどねえ。それに、雨はスカートの裾も濡れそうな勢い。天気予報を見ても雨雨雨。「じゃあ、濡れてもいい着物をお召になったらどうですか」
困りましたねえ。たっくさんあるのに、単衣は絹がほとんど。上布(麻)は6月の茶席では違和感あるし、襦袢を下に着て浴衣を着るのも、7月まで我慢すべきだし。コートを着れば、絹を着て若冲の帯がいいけれど、バーベキューの油が困りもの。うーん、たしか母が綿の着物と教えてくれた単衣があったはず。急いで家探し、奥から引っ張り出して、着てみました。亀甲文といえば出雲大社。そうだ、亀岡には出雲大神宮がある。亀甲文こそふさわしいじゃない、などと勝手に決めて。
もう少し暑ければ、帯は朱の羅にしたいところですが、しかし、気温も低かったんです、この日。亀岡では22度とあります。なので、安易だけれど、紅い蝶文を締めてしまいました。何より、二部式に作り変えたので、締めるのが樂なんです。
さて、蛍狩りはといえば、今年最初で最後。会えてよかったあ。今年は暑かったので、京都市内では5月に飛び始め、逃していました。
昨年は、向日葵の絽ちりめんを着用。帯にトンボを飛ばして。明治の洋館をバックにいい写真が撮れています(2015年6月参照)。
2016年6月 麦文に夏燕
田口葉子さん写真展
会田雄亮先生を偲んで
陶芸家の会田雄亮先生が旅立たれて半年余。京王プラザに集い、先生を偲びました。私も発起人と一人として。
鳥居ユキ先生のコレクションのたび御一緒して、その後のレセプションで、世界情勢についてお話させていただいた日々が懐かしい。包容力のある笑顔にあまえて、つい生意気な発言もしたことも思い出し、少し反省。富士山のふもとにあった工房にご招待いただき、陶芸初体験も。手ひねりで、お茶入れ、墨床、筆置きを作成させていただきました。
会田先生はその美しい容姿から、ネスカフェCFの「違いがわかる男」にも起用され、茶の間の女性たちは皆とりこになったよう(私はさすがに幼かったので記憶になく)。機会があれば、京王プラザ正面玄関の陶壁をごらん頂ければ幸いです。その他の作品はHPで。http://www.yusukeaida.co.jp/
おしどり夫婦だっただけに、残された奥さまが心配。
2016年5月 中村橋之助丈の祝・芝翫襲名
中村橋之助丈の八代目芝翫襲名パーティに伺いました。奥さまの三田寛子さんと、鳥居ユキ先生のコレクションで時々ご一緒しているご縁で。ユキ先生は、発起人のお一人でした。
長男は中村橋之助、次男は中村福之助、三男は中村歌之助を襲名されます。お父さまの横に、3人の息子さん達が並んだ姿は、本当に美しく、梨園の妻として、3人男子を産んだだけでもリスペクトに価するのに、襲名するまで無事に育てられた三田寛子さん、ご立派です。歌舞伎ファンとして、感謝。
それにしても、こんな盛会なパーティは初めて。2300人もいらしていたようです。さすが成駒屋さん。大物女優も埋没してしまうほどの、ものすごい熱気。故勘三郎夫人の好江さんが会場入り口あたりに、姉として存在していらしたのが印象的でした。七代芝翫のお嬢さまですから。
祝宴に選んだ着物は、ハイビスカス文。5月末ですから、単衣です。例によって、母が嫁入り道具にあつらえてくれたもの。おめでたいお席ですので、帯は金銀市松です。
なにせ2300人も集まると空間がほとんどありません。やわらかものや振袖が多い中、よほど大胆なデザインでないと、裾の文様まで目がいかないもの。紋のない額紫陽花文に、帯留をオパールの紫陽花がよかったかも。葵文の自己流紗袷がよかったかも、などと勉強させられた夜でした。
橋之助丈、襲名おめでとうございます
橋之助丈の八代目芝翫襲名の祝宴に伺いました。息子さんとともに、親子4人襲名。ステージに上がった4ショット、美しかったあ。
三田寛子さんとのご縁で会場にはせ参じたのですが、妻として母として、少し緊張されていた風。3人男の子をこんなに立派に育てて梨園の妻の鑑ですね。
総勢2300人と大盛況で、どんな和服も埋没してしまうほど。詳細は「きもの適齢期」へ。HP右上のKIMONOをクリックしてみてくださいね。
黙祷を! 山の手空襲から71年
昭和20年5月25日、71年前の今日は、4度あった山の手空襲の最終日。渋谷・原宿・表参道を含む東京各地にB29から落とされた焼夷弾の数は、3月10日の2倍だったといわれています。
表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人、青山墓地に向かった人は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ)を目指した人、明治神宮に向かった人は、犠牲となっています。その様子は『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に詳しいので、ぜひご高覧ください。
表参道に焼夷弾が落とされたのは22時22分頃。せめて黙祷を。毎年、犠牲になられた方々に思いを馳せることが供養だと考えています。
2016年5月 皐月なのに30度の茶席に何を着るか
この日、京都は31度。単衣を着たくなるものですが、16時からのお茶席は亀岡にて、日中の最高気温が28度とわずかながら洛中より涼しいのです。夜にはさらに下がるはずなので、悩みに悩んで、見た目が涼しい色の、袷の無地にしたのです。お茶席の後、地鶏のすき焼きが待っていましたから、この日を境に、洗いに出すことを考えて。もちろん、襦袢は縦絽にしています。
ほかのお客様は、単衣をお召しの方が多かったです。
帯は、牡丹に、尾の長い鳥が刺繍されたもの。この日を逃すと、出番は1年後になりそうだったこともあり。あ、でも、来年は酉だから、活躍するかも、です。
祇園ない藤さんの草履・・・。台が橙色の草履でどうしようかと考えあぐねておりましたが、この帯だと大丈夫のよう。
2016年5月 備忘録
蝶が織られた色無地。一つ紋。例によって、嫁入り道具として母が用意してくれたものですが、一度くらいお茶会で着用したでしょうか。どんな玉の輿に乗るかもしれぬと誂えてくれていたのに、普通の人と結婚したので、母の情熱はさめてしまいました。狭いマンション暮らしゆえ、和服は実家に預けたまま。披露宴に出るとき以外、私に和服を着せようとはしていませんでした。面倒ですものね。
蝶文が子どもっぽい気がして、自分で和服生活を始めてからも袖を通していませんでした。でも、いまとなっては、貴重で、面白い地紋ですよね。今年は27度を超える5月から着られる気がしています。
葵と色が同じなので、これを纏って葵祭の最後を飾る献茶式に行ってみようと思ったのですが、都合がつかず、断念。備忘録として、アップしておきます。