今年は上賀茂神社が遷宮を終えて最初の葵祭。お天気にも恵まれました。
行列は、朝10時に御所を出て、下鴨神社、上賀茂神社と続きます。この装いで御所と下鴨で行列の写真を撮影し、自分は上賀茂にてカメラに収まりました。左は集合写真から切り取ったもの。右は参集殿にて。
着物は毎年恒例、秋尾流紗袷。帯は昨年とは別の葵文。撫松庵製。化繊が5%くらい入っていて、高級感には欠けますが、この色使いが気に入って購入。二葉葵は上賀茂神社と下鴨神社の神紋ですから。扇は下鴨神社で売られています。お茶席用。
投稿者: AKIO Satoko
2016年5月 牡丹菖蒲文@祝宴
80年代、母が花嫁道具の一環として誂えてくれた着物の中で、最も地味な付け下げです。
初めて袖を通したのは、母が逝去して数年後。お茶会や対談、観劇で着用して、おそらく今年が4回目。年老いても着られそうな色合いなのと、蒲公英や菖蒲が描かれ季節を選ぶこともあって、着る機会が少ないのです。加えて、合わせる帯が難しい。色を優先して桃色や青色を合わせてみましたが、着物に負けて失敗しています。今回、誉田屋製のこの帯を持ってきてみて、少し重厚感を出せた気がしますが、ベストマッチングかどうか微妙です。さりとて、龍村のキラキラした箔とかを持ってくると、立食パーティでは仰々しいですしね。
文化庁前長官の近藤誠一さんのアカデミア賞受賞を祝う会に招かれ、この着物を着ることにしました。近藤さんは和文化に精通されているので、洋服で伺うわけにはまいいりません。案の定、会場には和服姿がの男女がたっくさん。記念撮影に応じてくださったのは、発起人のおひとり、ノーベル賞に輝いた野依博士。
近藤さんに初めてお目にかかったのは、ワシントンDCでした。Public Dipilomacyについてのお考えが、ジョージタウン大学大学院フェローとして渡米していた私の胸に響き、帰国後、雑誌で「日本の真髄」の連載対談を始めたのです。
この日は東京でも京都でも雨。東京でお世話になっている美容師さんが、研修のためお休みだったので、京都から着物姿で新幹線に乗ることにしました。会場の学士会館は東京駅から遠くないこともあり・・・。だから、着付けも髪も自己流、普段着と同じです。
菖蒲のある風景@洛北
菖蒲のある風景@洛中
賀茂くらべ馬は5月5日です
端午の節句展@重要文化財・杉本家住宅
2016年5月 足沙式、そして杉本家の五月人形を拝見
左の写真は、杉本家住宅。京商家の五月人形を拝見しました。江戸時代の武者ではなく、明治期の人形飾りは応神天皇を中心に据えているのが特徴。歴史好きにはたまりませんね。「端午の節句」展は4日まで。
帯が八咫烏なのは、上賀茂神社の「賀茂くらべ馬・足沙式(あしぞろえしき)」を観てから、洛中に移動したため。賀茂くらべ馬は、5月5日の端午の節句に開かれる競馬会神事。馬の特性をはかり、本番の組み合わせを決めるのが、足沙式です。乗尻(騎手)は賀茂族の選ばれし人々。葵祭の路頭の儀(行列)も、彼らが先導するのです。
さて、帯ですが、昭和祭の写真より、八咫烏が浮き出て見やすいでしょうか。着物は母のお召。幾何学文なので、喪服には見えません。
2016年4月 ヤタガラスの帯
ついに手に入れました! 暗くて黒くてわかりにくいとは思いますが、帯に描かれているのは、八咫烏です。
2月11日の紀元祭に間に合わばよかったのですが、しかし、昭和祭に締めさせて頂きました。
正直、失敗でした。雨が降らなければ、昨年同様、楼門をバックに写真を撮るつもりだったので、朱の前で映える青い着物を選んでしまったのです。遠目には略喪服に見えてしまいますね。この帯には今後、文様がある着物を合わせましょう。
地の色は実は真黒ではないのですが、見えにくい。だから、描かれているのが八咫烏と気づくのは、相当の通。さすがですね。婦人会の方々が気づいて、「もしかして、八咫烏?」と声をかけてくださり・・・。
そうなんです。上賀茂神社に縁のある方々なら、八咫烏に反応せずにいられない。八咫烏については、改めて書きます。
しばらく上賀茂さんへは、この帯の似合う着物を研究して、八咫烏文で参拝するつもりでございます。あ、でも。葵祭では葵文を纏います。
比叡山にかかる虹
伊勢再訪
今日は二見が浦の興玉神社から参拝。その後、外宮、内宮へ。
朝はいつものように8時10分の近鉄特急で。「しまかぜ」には間に合いそうにないので、帰りは4時すぎの特急で。
二見が浦界隈で機動隊関係者が大勢歩いている姿を目撃した。サミットに備えてのこと。
地震は中央構造線を東進しているようだ。無事を願うばかり。